音楽理論の簡単な歴史と流派

音楽理論 序論

さて、前回の記事でまず音楽理論の全体像を理解しました。それで現れた最初の疑問が、なぜ音楽理論には「ルール」らしきものがあるのかということ。

その答えを知るためには、少なからず音楽理論の歴史に触れる必要があります。当然クラシック音楽の世界を通り抜けることになるので、音楽の授業みたいでイヤですけど、でもコレをちゃんと通らないことには、「先人たちの叡智の結晶」とかいうザックリしたセールストークにも反論する術がありません

反論できない

こんな怪しげで偉そうな言葉を信じて“音楽理論信者”に仲間入りするというのでしょうか? 受容するにも拒絶するにも、まずは相手を知ることからですよね。ここはちょっとめんどくさくても、一度は目を通しておくべきことなのです。

音楽と音楽理論の歴史を並べて眺めてみれば、理論が決して神のような崇高な存在でないことも、あるいは悪魔のような邪悪な存在でないこともわかります。

§4 音楽理論史❶ : クラシック系理論の発展

堅苦しい歴史の話を長々とするつもりではないので、そこは安心してくださいね。できるだけ短く、全体像を知るために必要な最低限だけを辿っていきます。もちろん、内容を暗記する必要もありません。音楽と音楽理論の変化の歴史を、音源とともに体感してもらえればよいのです。

B.C.550年ごろ : 音響学のはじまり

よく音楽理論の始まりと言われるのは、紀元前の話。我々が慣れ親しんでいる「ドレミファソラシド」という音の枠組みを発明したのは、一説によるとピタゴラス教団だと言われています。1

ピタゴラス (B.C. 582年 - 496年)
弦の長さと音の高さの関係を調べたりしたよ

たまに「音楽理論の歴史は2000年以上」なんて言われるのは、このピタゴラスまで遡ったときの話なわけですね。ただまあコレは音楽理論というより「音響学」の始まり。我々がイメージする「音楽理論」が生まれるのは、もっともっと後の話です。

1600年代まで : 斉唱から合唱へ

このあとキリストが誕生して、宗教が原動力となって音楽は高度化していきます。ただその進歩はとてもゆっくりなので、ピタゴラスから2000年ぶんの歴史は、ザックリ一言でまとめちゃいます : みんなでおんなじメロディを歌ってたのが、「ハモリ」や「かけ合い」をする合唱になった。

上は9世紀ごろに生まれた聖歌、対して下はパレストリーナという16世紀を代表する作曲家の作品です。この頃までに、対位法Counterpointと呼ばれる、「ハモリ」や「かけ合い」に関する理論が発展しました。

とはいえこの時代はまだ、Chord(コード)という言葉すらない頃のお話です。コード理論の源流となる研究が発達したのは、1600年代のこと。ベネチアのツァルリーノという学者や、哲学者としておなじみフランスのデカルトもこの時代の理論発展に貢献しました。2

ジョゼッフォ・ツァルリーノ (1517-1590)
イギリスから渡ってきたニュー・サウンドを音楽理論に取り入れたよ。アイツらの音楽まじで良き

イギリスのサウンドが大陸に渡ってインパクトを与えるなんて、なんだかロックの歴史と似ています。「新しい音楽が流行し、それを理論が後から追いかける」という構図は、この頃から既にあったのです。

1700年代前半 : 音楽理論の転換点

そして1722年、フランスのラモーという作曲家・音楽理論家が「和声論」という本を発表し、それ以降の音楽理論界に多大な影響を与えました。

ジャン=フィリップ・ラモー (1683-1764)
何たってあの世界的ヒットソング「きらきら星」を作曲したのワシやからな。しかもこの本、こないだ和訳されて日本でも好評発売中やで。異例の300年ロングヒットやんか。

ラモーの発想は当時としては先進的で、現代のコード理論はここから始まったと言っても過言ではない。この1700年代は音楽的にも音楽理論的にも過渡期であり、転換点となる時代です。

ラモーとほぼ同期のメンツとしては、あのバッハヴィヴァルディがいます。ようやく知ってるヤツが出てきたぞ、って感じですね。

彼らは当然ラモーより前の音楽理論を参考にしているわけですから、その楽曲には今の一般的な理論にそぐわない部分を色々と見つけることができます。

J.S.バッハ (1685-1750)
同期のやつらが考えた理論にあーだこーだ言われる筋合いは、まあないですよね

この時期の音楽は、「バロック音楽」と呼ばれます。

1700年代後半 : “ポピュラー”音楽の芽生え

ラモーやバッハの次世代メンバーにあたるのが、「古典派」と呼ばれるモーツァルトベートーベンたちです。一般的に「クラシック」と言って人々が思い浮かべるド真ん中が、このあたりでしょう。

ハイドン(1732-1809)
なんか知名度低いけど 交響曲の父つったら僕だからね

モーツァルト(1756-1791)
どうも、私です。

ベートーベン(1770-1827)
この3人の中では後輩、ぶっちゃけ自分は次世代っすよ。バリバリ若手枠っすよ!!

よくバッハと並列されるモーツァルト・ベートーベンですが、実は100年近く後輩なんですね。この時代にかけて、作曲家たちの環境はどんどん変わっていきます。3
簡単にいえば彼らは大衆をターゲットにして音楽でお金を稼いだ最初の世代で、そういう意味では彼らこそが「ポピュラー音楽第一世代」といえます。その大衆化がひとつの要因となってか、複雑化していた音楽は逆戻りし、「シンプルで分かりやすい、メインメロディがハッキリ分かる音楽」がトレンドになりました。

モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」と、ベートーベンの「悲愴」。どちらもキャッチーなメロディが素晴らしく、それゆえ前者はラッパーのKREVA、後者は歌手のBENIによって歌モノとしてカバーされています。

そして音楽が変われば、音楽理論も変わる。古典派が確立した理論は、極端な言い方をすれば「ベタ」の理論です。神聖な宗教音楽とは違って、誰もが楽しめるポップな音楽。そのためのセオリーが洗練されていったのです。

ルールというより「お約束」

「ベタ」というと何だか悪いイメージがしますが、でも実際に「ベタ」の力は侮れません。例えばお笑いなら、ボケたからにはツッコミが入らないと収集がつかない。あるいは映画なら、いわゆる「死亡フラグ」を立てた人間には、ベタとは思いつつも死んでもらわないことにはスッキリしません。「ベタ」というのは、クリエーションの基本であり、基準であり、王道であり、標準であるわけです。

死亡フラグ

古典派の理論もまさにそれで、ルールというより「お約束」というイメージが近い。「こう来たら、こう行くのが一番王道のパターン」というのを教えてくれる、そういう巨大な「礎」を築きあげたのがこの時期なのです。

「ベタ」の力

例えば「お辞儀の伴奏」でお馴染みのコレは、「ベタ」の代表作と言えます。もう2つめの音を聴いた段階で、次が想像できますからね。試しに「ベタ」を裏切ってみると、こうなります。

ウーン、これは現場が荒れそうです。そう、自由な芸術である音楽とはいえ、「お約束」はやっぱりある。そして当時は、そのお約束に忠実に作られた音楽が楽しまれていた時代だったわけです。

現代の我々からしたら、ベタはちょっとつまらない。でも「18世紀」というのは、日本でいえば江戸時代後期ですからね。ヨーロッパで「風刺画」が普及したのも18世紀後半、日本で「落語」が栄えたのも18世紀後半です。エンターテインメント全体が、まだまだこれからの時代。それを思えば、ベタなサウンドの音楽が愛されていたって、全然おかしなことではないのです。

江戸時代後期の日本といえば
杉田玄白 (1733-1817)
蘭学医だよ。ターヘル・アナトミアはまじで衝撃だったよね。

伊能忠敬 (1745-1818)
日本地図を作り始めたのは、55歳の時からなんだよ。第二の人生歩むよね

葛飾北斎 (1760-1849)
富士山の絵をいっぱい描くよね

ペリー (1794-1858)
開国しなさい

日本に置き換えると、ちょっとだけイメージしやすくなりますね。大衆が音楽に対して過剰な“刺激”を求める時代は、まだこの後です。

「ベタ」は現代に通用するのか?

現代はもちろん、語り手が犯人の推理小説、ヴァンパイアとのラブストーリー、ツッコミの存在しない漫才、何でもアリです。当然音楽においても、古典の型を破っている名曲は星の数ほどある。コードの規則なんかは明らかに厳しすぎで、現代のトレンドとも矛盾しています。音楽理論に対し「アンチ」の人々は、そうした点を批判しているわけです。

一方で、時代に左右されない普遍性の高いノウハウが含まれていることも事実です。だからこそベートーベンの「悲愴」のメロディは、21世紀になった今でも私たちのハートをガッチリ掴んでいる。

やっぱり物事どちらか100%ということはなくって、良いところもあれば悪いところもある、そういうものです。

1800年代 : 崩されていく「お約束」

さて、作曲家が経済的に自立したことで、作家は自分の個性を作品に反映させることがより容易になりました。初めは古典派の「お約束」の中で表現していたものが、次第にそれを崩していく風潮が広がっていきます。さっきバリバリ後輩アピールをしていたベートーベンは、実は古典派から次の時代へと進む先陣を切った存在でもあるんですよ。

「古典派」時代に一度シンプル路線に回帰した音楽はまた再び複雑化し、技巧的で壮大なものになっていきます。この時期を、「ロマン派」と呼びます。

上はワーグナー、下はリヒャルト・シュトラウスという後期ロマン派の作曲家です。フレーズ自体はテレビなどでよく使われるので、聞いたことがあるのではないでしょうか?

先ほどの古典派と比べると、ずっとアーティスティックになっていますね。なんたって表現のクセがすごい。ある意味、古典派が「王道のシステム」の中でやれることをやり尽くしたために、個性的にならざるを得なかったとも言えます。

音楽理論も進歩

また、そんな風に作曲家たちが新しい音の世界を追求する一方、音楽学者たちの研究も続きます。特にドイツのフーゴー・リーマンという学者が、音の「記号化」を推し進めることに大きく貢献しています。

フーゴー・リーマン(1849-1919)
和音の「機能」というアイデアを私が提唱しました。カール・ヴィルヘルム・ユリウス・フーゴー・リーマンといいます

ちょっとフルネームが、かっこよすぎますね。この1800年代後半になると、だんだんその内容も現代の理論と近しいものになってきます。ラモーの時代からおよそ150年。当時はそもそも情報流通のスピードが遅いですから、音楽理論は本当に長い歳月をかけて少しずつ洗練されていったのです。


ここまでの流れを、簡単にまとめておきますね。

Check Point

音楽理論は、18世紀から楽器・文化の発展と共に急速に発達した。そこで完成した古典派理論とは、「王道パターンのまとめ集」のようなもの。そしてその様式は19世紀から少しずつ実験的に崩されていき、クラシック音楽は複雑性を増していった。

それを後から追うような形で、音楽理論もその全体像が整理され、記号化されていった。

私たちは、江戸時代の「ベタ」を参考にしていたのか! って感じですね。でももちろん、現代の音楽理論を構成しているのは、クラシック系の理論だけじゃありません。ここから現代まで、めまぐるしい進化の過程を見ていきます。