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西洋音楽理論の歴史と流派

By 2022.01.10序論

前回は、理論に縛られないためには理論の生まれ・育ちを知っておくのがよいという話で終わりました。歴史の勉強というと堅苦しく感じますが、これは最初の重要なワンステップです。

というのも、これを通っておかないことにはいつまで経っても「音楽理論」という言葉が持つ威光から真の意味で自由にはなれないからです。

「音楽理論は人類が気持ち良いと感じる音の法則

本当は、クリエイターは理論に「従う/従わない」という立場ではなく、理論を「従える」立場にあるべきです。そしてその関係性を築くための最速の手段が、けっきょく相手を知ることなのです。

これは言わば“ワクチン”のようなもので、1度アトラクションのように歴史を擬似体験しておけば、後のさまざまな場面で効果を発揮することになります。だから作曲家や時代の名前を暗記する必要はありません。
音源に関しても、「興味を持った人向けの資料」として置いている側面が強いですので、全部きちんと聴く必要はなく、雰囲気を感じてもらえればそれで十分です。

4 クラシック理論の発展

音楽理論は西洋に限らず🇪🇬エジプトや🇨🇳中国など世界各地での歴史がありますが、ここではあくまでも「ポピュラー音楽理論」に繋がるまでの最低限だけをということで、欧米に話を絞ります。

紀元前 : 古代の音響学

西洋音楽理論の歴史は、紀元前の古代ギリシャまで遡ります。ピタゴラス教団が、音に関する重要な研究や発見をしているのです。

🇬🇷 ピタゴラス (B.C.582-496)
整数って神じゃん。そしたらハープとかの弦もさぁ 長さを整数比にしたら綺麗に響くんじゃね? これヤバない?

整数への信仰はいかにも古代という感じですが、結果的にそれが音楽を数学的に考えるという科学に繋がりました。ただこれは音楽理論というよりは音響学や物理学に近い領域の話ですね。

それ以降も同じくギリシャのアリストクセノスプトレマイオスといった学者達が歴史上重要な理論書を残していますが、ここから音楽理論が次のフェイズに発展していくまでにはかなりの空白期間があります。

9-16世紀 : “ハモリ理論”の時代

本格的に西洋音楽理論が発展する大きな動力源となったのは、宗教です。キリストがこの世に爆誕して、「聖歌」が生まれ発展しました。

最初は仏教のお経と同じように全員で同じメロディを斉唱していましたが、いつしか飽き始めたのかハモリを乗せて合唱するようになりました。そして、どうやったら綺麗にハモれるのかの研究が進んでいきます。1

1曲目が元々の斉唱スタイルで、まさにお経のようですね。2~5曲目はそれぞれ12,14,15,16世紀のスタイルです。長い時間をかけて、少しずつ変化していく様子がわかります。とりわけ、合唱でおなじみの「時間差で歌を掛け合う」技法が発展したのがポイントです。

このハモリ・掛け合いに関する理論は対位法Counterpointと呼ばれる一大理論になりました。

権威と俗世

また一方で教会の外ではいわゆる吟遊詩人などが世俗音楽を発展させました。彼らの音楽も、もちろん理論に影響を与えていくことになります。

こちらは14世紀フランスに作られた曲です。こんな感じのちょっと民族音楽チックな風合いの音楽もヨーロッパ内に併存していました。

特に「耳新しい軽快なリズム」なんかは厳粛で保守的な教会だと容認されにくいところもあって、教会から離れた俗世だからこそ出来た革新というのもありました。

詩人

当時は「俗だ」と言われた表現であっても、後世から見たらそれは立派な進化であった──というのは、音楽史上で何度となく起きているパターンです。
そこから考えると、昨今のヒップホップやEDMが生み出したテクニックが、100年後になって「これは音楽史における重要なターニングポイントだった…」などと語られる可能性も十分ありえるのです。

16-17世紀 : コード理論の芽生え

そして16-17世紀頃、ようやくコード(Chord, 和音)という単語がこの世に生まれ、コードの理論が成長しはじめます。代表的なところでイタリア2 のツァルリーノという学者や、哲学者としておなじみデカルトも音楽理論の発展に貢献しました。

🇮🇹 ジョゼッフォ・ツァルリーノ (1517-1590)
イギリスから来たニューサウンドがめっちゃバズってたから音楽理論に取り入れたよ。その気持ち良さを数学で客観的に証明しようとしたよ
🇫🇷 ルネ・デカルト (1596-1650)
いや、音が澄んでる・濁ってるとかはあるかもしれんけど、「気持ち良さ」は主観でしかないやろ

「流行ってたから理論に取り入れた」。実はこの時代から既に新しい音楽に合わせて理論の方を考え直したという歴史があるんですね。“理論無視”の音楽が流行るのは決して最近のポップスから始まった話ではなくて、むしろそれが世の常でした。

ただこの時代はまだ理論の根拠に「神は6日間で世界を創造したから、6というのも神聖な数で…」といった宗教性が見られます。そんな調子ですから理論家たちの中でも論争は常にあって、決して一枚岩ではありませんでした。3

「メロディ+伴奏」のスタイルへ

そして16-17世紀には音楽のトレンドも移ろい始め、複雑な掛け合いよりも「メインメロディ」と「伴奏」の主従関係がハッキリと分かれた音楽が少しずつ優勢になってきます。

こちらは17世紀初頭のオペラ曲。「メロ+伴奏」ですから、要するに今のポピュラー音楽と同じスタイルですね。そしてこの時期にもやっぱり“理論無視”の音楽が物議を醸していました。

🇮🇹 クラウディオ・モンテヴェルディ (1567-1643)
音が濁ってて禁則にふれてる? そんなん知っとるわ。こっちはな、ココは濁らした方が歌詞が活きると思って“あえて”やっとんねん。これが第二世代の音楽や。お前ら第一世代には分からんかもしれんけどな!

21世紀を生きる私たちは全部を「クラシック」でまとめてしまいますが、それぞれの時代にタイムスリップしてみると、こんなふうに反骨精神を持ったクリエイターを必ず見つけることができます。

18世紀前半 : コード理論の発展

この「メロ+伴奏」の音楽スタイルへのシフトは進み、いよいよそれがメインストリームへと成長するのが1700年代のことです。

スタイルの変化

音楽スタイルの変化は、必ず音楽理論にも変化をもたらします。最も有名なところで1722年にラモーという作曲家が「和声論」という書を発表し、世に多大な影響を与えることになります。

🇫🇷 ジャン=フィリップ・ラモー (1683-1764)
ワシ思うねんけど、やっぱ「コード」という存在ありきで理論組み立ててくのがいいんちゃうかな

彼は先見の明に優れていて、現行の「コード理論」でも使われているような重要なアイデアをいくつか提唱しました。

他にこの時期の有名な作曲家としては、ヴィヴァルディやヘンデル、それからバッハがいます。理論界が移り変わる過渡期を生きた彼らの音楽には、現行の理論にそぐわないような表現も色々と見つけることができます。

🇩🇪 J.S.バッハ (1685-1750)
同期のヤツらが作った理論にあーだこーだ言われる筋合いは、まあないですよね

そうは言いつつも、ラモーらが投じた一石は波紋を広げ、音楽も音楽理論も新しいスタイルへと移行していきます。

18世紀後半 : 古典派理論の確立

時代背景に少し触れておくと、17-18世紀は様々な革命が起こった大改革時代であり、特に18世紀後半ごろにかけて貴族から市民へと文化の主権が移っていきました。ファンがコンサートを聴きにいったり、楽譜を買って自分で演奏することが一般化し、音楽はより身近なものとなっていきます。

音楽の大衆化

王族・貴族・教会などと関係なく、大衆に認められさえすればアーティストとして生きられるようになったというのは決定的な変化でした。この時代は「古典派」と呼ばれていて、代表的な作曲家にモーツァルトやベートーベンがいます。

🇦🇹 モーツァルト(1756-1791)
どうも、私です。
🇩🇪 ベートーベン(1770-1827)
や、自分は革命児なんで、ぶっちゃけこの時代の人たちと一緒にされたくないっす

「大衆ウケして売れたいなあ」という観点や、「貴族向けの華美な音楽はもはや黒歴史、虚栄の象徴」というような反骨心もあってか、この時代はシンプルに削ぎ落とされた分かりやすい音楽がトレンドになりました。

思わず口ずさみたくなったり、自分で弾いてみたくなるようなキャッチーなフレーズが目立ちます。彼らはラモーに端を発した新理論を参考にしましたし、また音楽理論界もこの新スタイルに照準を合わせて「古典派時代の音楽理論」を洗練させていきました。

古典派理論のイメージ

古典派理論は、現行のコード理論の原型と言える存在です。だからその中身についてもちょっと簡単に、イメージを共有したいと思います。

古典派理論の内容は大きく分けて2つあって、ひとつは「美しい音の重ね方・繋ぎ方」、もうひとつは「展開構成に関する定石」です。

古典派理論の中身

前者については、オーケストラのような大編成や、逆にピアノソロのように音数の限られた世界でも、どちらでもバランスよく音を組み立てるための専門技術というようなイメージです。とても専門性が高いので、ポピュラー理論にはあまり継承されていません。

後者については、平たく言うと「起承転結」を音楽で構成する方法や、曲をスムーズに展開していくやり方などの指南です。こちらは親しみやすい内容であるため、ポピュラー理論にも多く継承されています。

お約束、お決まり

「起承転結」のような展開に関するセオリーは、いわゆる“お約束”とか“お決まり”と呼ばれる概念に近い。例えばお笑いなら、ボケたらツッコむのがお約束。あるいは映画なら、ワルモノは最後に成敗されるとか、心優しい主人公は最後に報われるとか、そういうお決まりのパターンがありますよね。

死亡フラグ

同じように当時の音楽にも“ベタ”な展開というのは存在していて、それをまとめた教科書が古典派理論なのだと思って頂ければ、イメージとして近いものがあります。ベタとかお約束とか言うとなんだか聞こえが良くありませんが、でもそれは要するに「スタンダードを確立した」ということですから、これは紛れもない偉業なのです。

“標準”と“外し”

例えば「おじぎの伴奏」でおなじみのフレーズは、まさしく基本の型そのものです。

ピアノが3回なりますけども、2発目の時点で「ああ、次で終わるな」というのが予感できますよね。そしてその期待どおりに終わる。これが“お約束”どおりの展開です。試しにそれを“外し”にいくと……

──ちょっと現場が荒れてしまいました。「終わらんのかい!」という怒号が飛び交っています。これもこれで面白いですけど、少なくとも“教科書”に載るような正攻法ではありません。そしてリスナーもまだこの時代には、こんな過激さは求めていませんでした。

古典派理論は当時の音楽観に基づき、標準とそうでないものとを区別しました。そこで「不可」の烙印を押されたものが、200年経った今でも「禁則」として語り継がれているのです。

一の型!

「型」が確立されたので、古典派はバラエティの豊かさという点でいうとバッハの世代ほど多様ではありません。むしろ型どおりに進んでいくストーリーを楽しんでいたような時代です。

古典派理論は、クリエイターとリスナーの間で共有された「型」である。それに従えば、大衆にとって分かりやすい作品に仕上がる──。そうなると、古典派理論は「天才たちの感性の結晶」というよりはむしろ「大衆の感性の結晶」に近いように思います。

実際に天才を天才と言わしめていたのは、そんなガチガチのルールを守りながらも他を寄せ付けない圧倒的な作品を作ったとか、あるいはその型を壊す革新的なことをしたとか、やはり理論では収まらないレベルの凄さというのがあります。

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