モーダル・インターチェンジ

§2 解釈祭、はじまる

「モーダル・インターチェンジ」が包含するテリトリーは本当に広く、曲中に現れた様々なコードの解釈に決着をつける、いわば「解釈請負人」なのです。パラレルマイナーコード以外にも、これまで学んだコードの中で解釈を曖昧にしていたものが2つありますので、そこもズバズバ解決しましょう。

IVのハーフディミニッシュ

ひとつめは、ポップスの必殺技、♯IVøです。III章で紹介しました。

こちら、「II7(9)のルートを省略したもの」と考えてもよいですが、ジャズ理論ではこれもモーダル・インターチェンジで解釈します。II7の派生としてしまうと、次V7に行かなきゃダメな空気になっちゃいますからね。実際にはIVに進むことが多いので、ジャズではこれを二次ドミナントとはみなさないのです。

では何のスケールと入れ替えているかというと、「ファだけにシャープ」ですから、教会旋法の中にひとつだけあったシャープ系のスケール、「リディアン」から借りていると考えます。

リディアん

今まで漠然と「ポップスの必殺技」とだけ呼んでいた♯IVøに、「モーダル・インターチェンジ」という立派な名がつきました。

IIのメジャーセブンス

そして残るもうひとつは、II7の類似品である♭IIΔです。

「トライトーン代理」はあくまでも、トライトーンの共通性を利用した代理コードです。だからV7が♭II7になるのは分かるけど、♭IIΔになることは解釈できない。コード編IV章では、「クオリティチェンジが可能だ」という実践的説明のみでした。これについてもジャズ理論は、モーダル・インターチェンジの一種と解釈します。

IIΔで最もよくあるフラットのつき方はレ・ミ・ラ・シ。これも教会旋法の中にピッタリ該当するものがあります。「フリジアン」ですね。

フリジアン

だからジャズ理論ではこれを「フリジアンからの借用」と考え、トライトーン代理とは切り離して考えるわけです。

派生形の場合

場合によっては「シ-ド」の半音関係を楽しむためにシはナチュラルをキープすることもある。その場合にはレ・ミ・ラだけにフラットということになりますが…

これはちょっと、紹介済みのスケールとはいずれとも合致しませんね。ついにモーダル・インターチェンジの敗北か……と思われるところですが、そんなことはない。このスケールにもちゃんと名前があって、「ナポリタンマイナー」もしくは「フリジアン・ハーモニックマイナー」と呼ばれます。

ナポリタンマイナー

「ナポリタンマイナー」というのは、クラシック系理論でこのII系列のコードを「ナポリの和音」と呼ぶことからついた名でしょう。1 一方で「フリジアン・ハーモニックマイナー」は文字どおり、フリジアンとハーモニックマイナーを合体したような音階だからという名。「音階の調合」で「ドリアとフリジアを合体させて、ドリジア旋法や〜」なんて遊んでたのと同じことを、正式にやっているわけですね。

そもそも音階の名前なんて付けたもの勝ちなのだから、モーダル・インターチェンジに敗北などないのです。主音のドさえ変わっていなければ、あらゆるコードはモーダル・インターチェンジの掌の上にあると言って過言ではないでしょう。

§3 解釈とは何かを考える

ただ、このモーダル・インターチェンジという理論の思考法が、VI章これまでの技法たちとは異なっていることにお気づきでしょうか?

今まで登場してきた技というのはいずれも、「5度の連結」や「トライトーンの推進力」といった“原理”によって導出され、それゆえ後続の進行についても“原則”が定まっているという、非常にロジカルな作りになっていました。

技法 原理 原則的用法
二次ドミナント V-Iの強力な結束 後続は強進行すべき
Related IIm ii-Vの強力な結束 後続は強進行すべき
トライトーン代理 トライトーンの強力な解決 後続は半音下行すべき

この「根源的な原理から様々なテクニックが導かれていく過程」がジャズ理論の魅力でもあります。ところがこのモーダル・インターチェンジは、「主音が共通しているから」という、“原理”と呼ぶにはうすうすの理由であらゆる借用を正当化しています。だから借用する和音の前後をどのように繋ぐかについては、コード次第でまちまち。

ましてや「音階の名前なんて付けたもん勝ち」なのだから、これはもう完全に「後出しジャンケン」です。どんなコードが飛び出してきても、スケールを探して、なければ新しいスケール名を作っちゃえば解釈完了なのです。

先生! このラ・シにだけフラットがついたコード、何でココでこんなコードが使えるんですか!?
それはミクソリディアン 6にモーダル・インターチェンジしたからだよ
先生、このレにフラット、ファ・ソ・ラにシャープがついた変テコなコード、何でココでこんなコードが使えるんですか!?
それはエニグマティック・スケールにモーダル・インターチェンジしたからだよ
…なんでココでそのエニグマナントカっていうのに交換できるんですか……?
それは主音が共通だからだよ
…主音を変えなきゃ何やってもいいっていうのが音楽理論ですか……?
どんなコードだって解釈できるジャズ理論ってすごいよね
…じゃあもし主音を変えちゃったら……?
それは一時転調じゃん、何を今さら

何だかケムに巻かれた気がします。だから結局のところ「音楽は自由なんだから何をやってもいい、理論なんて後から付いてくる」という文字どおり“自由派”のアティチュードを、ジャズ理論も実質的には採用しているのだとも言えます。

極論を言えば、II7III7♭VI7あたりも主音が変位していませんから、これをモーダル・インターチェンジだとして処理することも“システム上は可能”なわけですが、当然そうはしません。「もっといい解釈」があるからです。
そのような点から見ても、この「モーダル・インターチェンジ」というのは「行き場のないコードたちの受け皿」となっているような側面が一部見受けられますね。

音楽的解釈とは何か

したがって、単に「これはモーダル・インターチェンジだ」と判っただけで分析を終わらせてしまうことはオススメしません。それがサウンドとしてどんな意味を持つのかというのをきちんと考えた方がよいです。

♯IVøだったらII9の根音省略と全く同じ形をしていること、♭IIΔだったら♭II7とサウンドや挿入位置が近似していることは、事実として認識し、考慮すべきことです。「体系上全く別モノです」なんていうのは、リスナーには関係のないことだからです。

「リディアンスケールからの借用と属調からの借用で、全然違う」という認識もそれはそれで大事ですが、同時に「でも結果としてファが出てくるという点では同じだ。これは聴き手にどんな印象をもたらすだろうか」と考えることも、大事です。
そのような音楽的意味については、借り先の音階が持つ文化性や、あるいはメロディ理論のカーネル論といった観点から複合的に観察するのが良いと思います。

体系上の都合から

理論書がこれらを一律で「モーダル・インターチェンジ」として説明しているのは、まずそうすることで細かなノンダイアトニックコードたちをひとつの章・ひとつの言葉でまとめてスッキリ紹介できるという便宜的な都合、そしてコードをスケールとセットで覚えることで知識をアドリブに直結させるという実践的都合が大きいのでしょう。

実践の際にはともかくとして、分析の際には音楽を「解釈する」とはどういうことなのか? あるいは、音楽を解釈する目的と目標、ゴールはどこにあるのか? そういう部分は常に自分に問いかけてほしいと思います。