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変位音の傾性と変位のキャンセル

5. フラット系のキャンセル

シャープ系のキャンセルと比べて、フラット系の変位のキャンセルは成立させる難易度がかなり上がってしまいます。というのも、上がる(♯)か下がる(♭)かでナチュラル音との度数関係が全く異なってくるからです。

シャープ系:キャンセル音は半音下 / フラット系:キャンセル音は半音上

「コードトーンの半音上にかぶさる音は危険」というのはコード編I章で説明しました。逆に半音下からの濁りには強い。III7のキャンセルで言えば、「ソ-ソ」という2音の関係は、ソというコードトーンに対し概念上半音“下”に位置するソを添える形になっています。半音数で考えれば「ド-シ」や「ファ-ミ」と同じ[11半音]、メジャーセブンスコードでいつも聴いている距離です。その観点からして、この濁りに関しては若干経験値を積んでいると言えます。

一方でフラット系のキャンセルを実施しようとすると、上図からも分かるとおりコードトーンに対して半音“上”から覆いかぶさる形になりますから、極めて強烈な濁りを生むことになります。その濁りを許容できないリスナーもそれなりの数いることが予期されるため、シャープ系ほどお気軽・お手軽には導入できないのです。ただ実際には稀ながらフラット系のキャンセルが実行された実例はあるので、紹介はしておきたいと思います。

のキャンセル

まずはIVm系から生まれるラのキャンセル例を見てみます。

Post Maloneの『Circles』は、IΔ7からIVへ流れ、そこから哀愁のIVmへと流れるコード進行が繰り返されます。しかし歌が入って最初のIVmのタイミング、歌詞が“Til we were upside down”という箇所でメロディはナチュラルのラを連打します。シンセパッドが鳴らすラの音と正面衝突していますが、表現としてはその毒気がアンニュイな雰囲気の演出に一役買っているようにも思えます。

Da-iCEの『image』では、サビがIVΔ7からIVm6へと進む定番の切ない系コード進行から始まりますが、メロディの「このまま」の連呼は「ソラド」という四七抜き音階を思わせるパワフルなフレーズを繰り返していて、コードのラを無視しています。
これもやはり「サブドミナントマイナーで切なくしたい」というコード進行の論理と、「半音のない四七抜きの力強いメロディを何度もリピートしたい」というメロディ進行の論理がぶつかった結果、じゃあ両方やっちゃうかとなって、やってみたら意外といけたという具合でしょう。ラはピアノの内側の指でさりげなく鳴らされており、ピアノは比較的音が減衰しやすい音色であるといった編曲上のバランスの良さも二者の共存を手助けしています。

のキャンセル

Official髭男dismの『イエスタデイ』では、サビの途中で2-3-4-5と順次上行するおなじみのコード進行が来ます。この「4」のところをIVm7にしてラとミの2音のフラットでガラッと曲想を変える形は定番で、パラレルマイナーの回でも紹介しました。ラはソへ、ミはレへとどちらも半音進行する滑らかさがポイントでしたね。

IVm7-V

この曲も御多分に洩れずそうなっていて、ストリングスがIVm上で高らかにミをとることでマイナーセブンスのサウンドを提示します。しかしその直後にボーカルは「今」というフレーズで「ミ-レ」と歌い、ストリングスがやろうとした半音の動きを拒絶します。
これもやはりDa-iCEの『image』と同様で、変化をつけたいコード進行とストレートに行きたいメロディとがぶつかった結果、両方やってしまおうという結論に至ったのでしょう。今回は問題のミの音がコードチェンジの直前で、短い音符で鳴っていることもあり、衝突が耳に障るよりも速く駆け抜けているような感じがします。

ちなみにこの曲ではIII7のキャンセルも多用されているので、ぜひ探してみてください。

arneの『epilogue』では、サビ1周目が定型の4-5-3-6系の進行で、2周目はひねって4-4-3-3と半音でスルスル下がっていくベースラインが用いられるという構成になっています。

歪んだエレキギターはどの音を弾いているのか識別が難しいですが、何にせよベースによって♭IIIのコード感が生じている状況です。しかしメインメロディはミの音に加担することなく「レミファミレド」と進みます。
「ミファミ」のようにファとの連結を含む場合はなおさら、その半音関係を崩したくないですよね。歌からすると「おいベース、ミで半音下行したいなら勝手にしたらええけど、こっちは上行してるんやから、ミファミの半音進行は絶対やめへんからな」という感じで、お互いがそれぞれ異なる理に従った結果でしょう。

これもやっぱりメロディのミをミに直してしまうと、たとえハーモニーとして調和したとしてもメロディライン単体のキャッチーさ、説得力が大きく損なわれてしまいますから、この選択は確実にプラスに働いているでしょう。ここまでの例でもありましたが、ベースとメロディ間でのキャンセルというのは互いの音域や音色が大きく異なるので成立させやすいです1

のキャンセル

最後にシですが、この音を含むコードとしてはまずもちろん♭VII、それから二次ドミナントのI7やその手前に付随するVm7などがあります。この音がキャンセルされる際たる理由はやはりメロディの論理で、シ-ドの半音関係を優先したいからという理由が多いのではないでしょうか。

miletの『Ordinary days』は、Aメロが3-4-5-5-6となだらかに上行するベースラインで始まります。0:44でVImに着地した後は♭VIIでフワッと浮かせるのですが、そこに乗る「奇跡のような」というメロディは「ドシラシド」と2度もシを無視してドとラの間を往復します。
繰り返しになりますが、ベースはラから半音でスルッとシへ進んでノンダイアトニックの雰囲気を出したい、でもメロディはシ-ドのラインを大事にしたい、その両取りの結果という感じです。

特性音シのキャンセル

「変位」とは微妙に異なりますが、例えば楽曲がミクソリディア旋法やフリジア旋法を使用した際にもシが登場しますね。ですから通常のメジャー/マイナーキー環境の曲中で一部の楽器だけが独立して旋法を弾いた場合にも、キャンセルと似たような事態が発生することになります。

Adoの『踊』はEDM調の楽曲で、いくつかの箇所でフリジア旋法がそのサウンドの重厚感に寄与しています。面白いのはAメロで、ここは早速ベースがフリジアンのフレーズを奏でているパートなのですが、しかしメロディは「なんだかな」の「だか」、および「つまんない」の「な」のところでナチュラルのシを取り、フリジアンを否定して通常のマイナースケールを演出しています
フリジアンはベースミュージックのベースラインは得意ですが、歌モノのキャッチーなメロには向いていません。そこでベースはフリジアンだけど歌は普通にナチュラルマイナーという、やっぱりここも“欲張り”で両方を採用した結果と言えます。二者のピッチがかなり離れているし、ベースも短く切るタイプのフレーズなので、あからさまにぶつかっているはずなのに思いのほか共存できていますよね。

ほか、紹介しきれなかったパターンとしてこんなのもありました:

フラット系キャンセルと理論的解釈

こうして例をかき集めて聴くと全然“アリ”なようにも思えてしまいますが、実際には決して使用例は多くなく、少なくともシャープ系のキャンセルと比べればレアです。上に示した6曲は全て2019年以降リリースの楽曲であり、もちろん先例はもっとあるにせよ、こうしてポップなヒット曲の中に堂々と登場する姿が散見されるようになったのはかなり最近の出来事だと思います。

理論上の立ち位置も、シャープ系とフラット系で異なります。シャープ系キャンセルの方は従来の理論で見てもまだ「これは9thテンションとみなし、ドミナントセブンス上のオルタード系のテンションと解釈すれば理論上問題はなく……」などと難しい言葉で理屈をこねれば一応筋を通すことができ、実際にジャズなどでその音響を普通に発見することができます。しかしフラット系はもう一般的な西洋コード理論ではお手上げで擁護のしようがなく、その枠組み内で音楽の正誤を語るのであれば完全に“誤り”と言われてしまう類のものです。

「これはまちがった音楽です!」

しかしながら序論の歴史話で見てきたとおり、理論は常に現実の後追いです。400年前モンテヴェルディの頃がそうであったように、ただ単に理論が時代について来れていないのだという見方もできます。リスナーの聴覚も、次第にこうした新しいサウンドに順応していくでしょう。

実際にこの「メロディと伴奏とで音階が離反している」という現象は、メロディック-ハーモニック・ディヴォースMelodic-Harmonic Divorceといった題目で昨今盛んに研究されている真っ最中です2。 日本語にするなら「旋律-和声間分離」といった感じでしょうか。
「旋律-和声間分離」の議論においては2章でやった「水平志向のメロディ」や3章でやったブルーノートなども共に議論のテーブルに挙げられています。100年後にはこうしたトピックが体系的にまとめあげられ、普通に理論書に載っているかもしれません。

確かに準備編では「全パートが共通してひとつの音階を使って演奏するのが基本」という説明をしましたが、この基本から外れた音楽が“誤り”かどうかを決める権限はそもそも音楽理論にはありません。理論は現実に起きている現象をとりまとめ説明する体系にすぎないからです。

とはいえ現状はその濁りが抱えるリスクを理解し、幅広いリスナーに安心して聴かせたいならこのような先鋭的な方法は封印するのが吉でしょう。逆に新規性を出したいなら積極的に使っていけばよい。そしてその際は上で見てきたような編曲上の工夫や“メロディの論理”があると受け入れられやすいはずです。


少々細かい分析が続きましたが、まとめてしまうと「メロディにはメロディにとって優先すべき事柄があって、メロディ単体の論理に従うことも大事だ」という話に尽きます。それが大事であるあまり、コードの変化を無視することさえある。コードの変位を打ち消すことが目的でメロディがナチュラルの音をとるというよりは、メロディ自身が自然なラインを求めた結果としてコードの変位を打ち消す形になったという感じでしたね。たとえコードとぶつかっていても、それぞれの論理があれば案外と自然に聴かせられるチャンスがある。旋律と和声の分離という、音楽の奥深さが見えるトピックでした。

まとめ

  • 変位和音では、変位した音の傾性を意識すると聴き馴染みのよいメロディが作りやすいです。
  • なめらかなメロディラインを保つために、「変位のキャンセル」を用いるという選択肢もあります。
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