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変位音の傾性と変位のキャンセル

1. メロディと歌心

臨時記号を伴う「変位シェル」は重要な表現法ですが、効果的に使うにはいくらか注意が必要です。ちゃんと「歌心」を持って作曲しないと、おかしなメロディになってしまうリスクもあります。たいていはセンスでまかなえる部分だとは思うのですが、念のため理論的にも見ておこうと思います。

普通のカノン進行+普通のメロディ

まずスタートラインとして、こんな感じの普通の曲があったとします。このままでは面白みがないので、コード編II〜IV章で学んだワザを使って、伴奏を豪華にしていきます。

おしゃれな進行(メロディなし)

これはおしゃれ! いい感じにまとまりそうだ。そしたらば、音が変位したので、それに合わせてメロにも臨時記号を付けていきます。

おしゃれな進行+おしゃれなはずのメロディ

Oh….これは、明らかにメロディが失敗していますね。全く口ずさみたいと思えない、ひどいメロディになってしまいました。極端な例ではありますが、変位音をうまくメロディラインの流れの中に取り込めなかった最悪な事例です。実際ここまで下手くそになることはないと思いますが、これに近いことは十分起きえますし、何よりコードトーンに合わせてメロディを弾いているにも関わらずこうなってしまったことが大問題なのです。

コード理論上の不整合なんてひとつもないのに、ラインとして聴くと気持ち悪い。ここにコード理論とは別のメロディ理論の必要性があるわけです。一旦メロディを破棄して、もう一度作り直しましょう。

おしゃれな進行+ちゃんとしたメロディ

例えばこんな感じでしょうか。変位シェルを取ったのは1小節目だけで、あとは全て自然シェルです。やっぱりこっちの方がいい目立ち方、いいバランスに仕上がっていますね。頭でばっかり考えて機械的にメロディを構築してしまって、“歌心”を見失ってはいけない。ここからは、変位シェルを魅力的な形でラインに組み込むためのポイントを見ていきます。

2. 傾性の変化

メロディラインの魅力というものを考えたときに欠かせないのはカーネル的な目線、つまり音がキーの中でどこに位置し、原則としてどこへ向かっているのかです1

変位シェルの傾性はどうなるのか?原則的にはシャープした音は上へ、フラットした音は下へと傾性が働くと考えられます。

変位シェルの傾性

シャープした音は上の音に近づき、一方フラットした音は下の音に近づく。ほとんどの場合は半音差で隣接することになるので、そこへ向かって解決するのが最もなめらかな解決のモーションになりますよね。
例えばII7におけるファは、せっかくシャープしたのだから、ミへ下がるよりは、綺麗に半音上行できるソの方が進みやすい。逆にIVmのラは、哀愁を帯びてフラットしています。シに上がるよりは、ソに下がる方が自然なメロディラインが作りやすい。そういった傾向がおおむねあります。

周囲の半音関係が変わるということは、変位前と後ではスムーズに聞こえるラインが変わるということになりますね。たとえばII7においては・・・

傾性の変化

IIm上ではおなじみだった「ミ-ファ-ミ」の動きは、「ミ-ファ-ミ」となるとずいぶん不自然です。全音移動ですが、ファの響きが特殊なためパワフルというわけでもなく、上行指向のあるファを下へ“引き戻す”形になるため、なんだか決まりの悪いサウンド。歌モノではあまり聴いたことのないラインです。

先ほどの「おかしくなっちゃったメロディ」では、ラストのII7Vでこの「ミ-ファ-ミ」が使われていて、それが不自然さに繋がっていたのでした。

「変位によって消失する半音関係がある」そして「変位によって生まれた新たな半音関係を活かすとなめらかなラインが作れる」という概念は頭に入れておくとよいでしょう。

しるし – Mr.Children

こちらはその良い活用例。Aメロの「違うテンポで」のところで、ファの半音上行を上手く使っています。

違う

これ、もしもただのIImでただのファだったら、ファ-ソ-ラとすべて全音上行になりますから、けっこうパワフルな響きになってしまいますよね。II7によって生まれたファを利用することで、柔らかい印象のラインを構築できている。この辺りの感性がやっぱり、一流なのです。

3. 変位のキャンセル

しかしながら、傾性に従えば自然に聴かせられるとはいっても、メロディライン全体の造形やモチーフの展開的にどうしても変位音がうまくラインにハマらないという場面もあります。そんな時はどうしたらいいでしょうか?

実際のところ、コードの変位に対してメロディが必ずしも足並みを揃えなくてはいけないわけではありません。コード編で「クオリティ・チェンジ」を学んだときに、「IIIIIVIのメジャー三人衆は、ウワモノでシャープを打ち消すことが可能」という話をしました。

ポップスのメロディメイクにおいては、ラインを美しくする目的でこの“打ち消し”を発動することがしばしばあります。

こちらは打ち消し無しバージョン。コードに沿ってシャープをつけたらば、まずIII7で「ファ-ソ-ファ」という形になり、ハーモニックマイナースケールを思わせる形になりました。独特な「中東っぽさ」が生まれて、この場面では不必要に感じられます。
II7の方も「ミ-ファ-ミ」という具合にメロディラインの「溝」が広がり、ともすると不自然に聞こえるメロディになってしまいました。

そこで“打ち消し”を発動したのがこちら。濁りはあるものの許容できないものではなく、むしろ曲に深みを与える結果になっています。ただしこれを行う時には、前回の内容を踏まえて、変位音は目立たないようコード楽器がさりげなく弾くのが良いでしょうね。

この“打ち消し”、ポップスのメロディメイクを語るうえでは地味に重要なテクニックですので、そろそろ名称を設けたいと思います。このような変位音の打ち消しの技法を、変位のキャンセルCancellationと呼ぶことにします。

変位のキャンセル (Alteration Canceling)
その場のコードの構成音が変位しているときに、変位していないナチュラルの音を同時に鳴らすこと。
打鍵や撥弦、発声など音の出るタイミングが完全に同時でなくても、その持続音やリリース音が重なっていれば変位のキャンセルとみなせる。

ここでの「キャンセル」という語は、予約キャンセルのような“取り消し”というより、ノイズキャンセリングのように正反対のものをぶつけて“相殺する”という意味合いです。

4. シャープ系のキャンセル

まずはメジャー化したIIIVIIIの変位をメロディがキャンセルする実例を見ていきます。

のキャンセル

東京事変の『落日』では、ソのキャンセルが繰り返し登場します。0:40からの「記憶を辿る過程で」のところではコードがIIm7III7VIm7と進みます。III7の登場によりコードにはソの音が含まれますが、コードチェンジの瞬間、「辿る」の「ど」の箇所のメロディはナチュラルのソを歌っていることに気づきます。

『落日』における変位のキャンセル

それ以降もたびたび同様の形で、III7とソ♮の組み合わせが現れます。この場面でキャンセルを用いる意義としては、やはり「ソファミ」というラインの自然さを保つという面が大きいでしょう。もしソにするとソ-ファ間に「増2度」、[3半音]の大きな溝が生まれてしまってずいぶんサウンドイメージが変わってしまいますからね。

とりわけ特徴的なのは終盤3:29のところで、ピアノが「ソファミレ」というフレーズを連続させる中でキャンセルが発生します。「コードと足並み揃える」という垂直志向のロジックよりも「メロディの反復」という水平志向のロジックを優先させていることがよく分かるワンシーンです。またその背後で鳴るギターも面白く、III7に対し「ソラミ」というフレーズを乗せ、ソ♯なんていないかのような振る舞いをしています。

日向坂46の『こんなに好きになっちゃっていいの?』では、サビの後半にソのキャンセルが登場します。
サビは典型的な4-5-3-6進行から始まり、2周目には変化をつけてIIm7VIII7VImと変わります。2周目で二次ドミナントのIII7を持ち込むことでボルテージを一段階UPさせる定番技ですけども、その場面の「わがままな」というメロディは、レから跳躍したあとナチュラルのソを連打しています。

先ほどの「自然な順次進行の形成」という目的とは異なりますが、ここも仮にソにしたとするとレ-ソ間は「増4度」の跳躍となるので歌いづらく、また曲想としてもこの場面ではソ-ラが作る朴訥な印象のラインの方が相応しいでしょう。

このように現代のポップスにおいては、順次/跳躍といった形態を問わず、水平的なラインとしての美観変位音をアピールする意義の有無といった観点から変位のキャンセルを発動させることが普通にあります。特にアイドルソングや大衆的なポップスなど歌いやすさ・聴きやすさが重要になるジャンルにおいては、変位音がなければないほど歌いやすい・覚えやすいことが期待できるので、そういった意味でも変位のキャンセルは効果的な選択となりうるのです。

のキャンセル

IIIのキャンセルほど頻繁ではないですが、VIのドも時により同様の考えからキャンセルが行われることがあります。

YOASOBIの『三原色』では、メロに変位のキャンセルが複数用いられています。まず0:33の「あれから幾つ」のところでIII7のキャンセルが発生しています(が詳細は割愛)。その直後、「朝日を見たんだ」のところでは、コード進行はまさに朝日が差すかのようにVImからVIへとクオリティチェンジが行われます。しかしメインメロディはというと、そんなコードの演出は関係なしに、淡々とミ-ド♮と進んでいます。

ここもやっぱり、実際に置き換えてみると分かりますが、メロディまでがドにしてしまうとちょっとAメロにしては大袈裟というか、「ここのVIはそこまでして押し出したいやつではない」という感じがします。コードだけ密かに変位するという、キーから半歩だけはみ出したようなバランスが絶妙です。

ファのキャンセル

そうなるとIIのファのキャンセルは…? という話になりますが、こちらはファが強傾性音ということもあってか、他2つほど多くは見かけない印象です。ただ逆に言えばファには「ファ-ミの半音進行を作りたい」という傾性のロジックがあるので、それがキャンセルの引き金となるようなことはあります。

Lady Gagaの『The Edge Of Glory』では、Bメロにそれが現れます。Bメロ(“It’s hot to…”)はまず「ソファミ」というラインから始まり、コードはIVVVImII7と進みます。4-5-6で順当に着地した後にクオリティチェンジでちょこっと華を添えるという定番のやり方ですね。
しかしこのII7のところでもう一度Bメロ冒頭の「ソファミ」のフレーズをリピートしたいということで、II7が含むファはお構いなしで「ソファミ」を敢行した結果、ファのキャンセルが発動するという形です。

これもコードと調和するために「ソ-ファ-ミ」にしてしまうとメロの印象がガラッと変わってしまいますから、“水平”の論理を優先した結果と言えます。また、メロディのまとまりを見た時ココはもう次の小節と繋がるアウフタクトの部分になっているという点も、この箇所を比較的自然に聴かせることに寄与しているかと思います。
それからファを実際に鳴らしているシンセパッドのサウンドがあまり目立つ音ではなくボーカルの音を邪魔しないレベルで鳴っているという編曲上のバランスもまた良いですね。シャープ系のキャンセルを行う際には、変位音よりも高い位置にキャンセル音を置く形が安心で、基本になります。

キャンセル自体は別にどんな時でも行えるし、コード楽器の中で変位音とナチュラル音を一緒に鳴らすこともありますが、こうしたメロディラインの論理によって生まれたキャンセルはより一層自然に聴こえます。

その他のコードの場合

1章のクオリティ・チェンジではIIIIIVIのメジャー三人衆に限り変位のキャンセルが行えるという話でしたが、あれからシャープ系の変位を伴うコードの手持ちもずいぶん増えました。実はそうした他のコードでもキャンセルは同じように発生し得ます。

例えばコード編IV章の後半では、二次ドミナントをさらに発展させたパッシング・ディミニッシュという技法を紹介しています。

パッシング・ディミニッシュ

こうしたコードにおいても変位のキャンセルは可能です。パッシング・ディミニッシュでは曲を支えるベースが変位音をとることになり、ベース音のような大事な音とぶつかって大丈夫か?と心配になりますが、実際のところメインメロディから遠く離れた低い音の方が、近い音域でぶつかるよりもよっぽど共存しやすいところがあります。

岡崎律子の『For フルーツバスケット』はこのキャンセルが実際に見られる例です。Aメロの「君が笑かけてた」「冷たいつの中で」の部分で、♯Vdim7上のソという構図が発生しています。
聴いて分かるとおり、とても静かで穏やかなバラードです。もしソにしようものなら、途端にハーモニックマイナーの不気味なサウンドが生じて、雰囲気は台無しになってしまうでしょう。

つまり、「構成音にシャープがついてるからシャープにしよう」というレベルの考え方から卒業して、ちゃんと旋律として意思のあるものになっているかを考える段階に入ってきています。コードによっては「キャンセル」する方法もあるし、単に別の位置で自然シェルを取ることも考えられるし、コードを変えて衝突を避ける方法もあります。カーネル・シェルの両面から表現と向き合えば、メロディは必ず魅力的なものになります。

ほか、紹介しきれなかったパターンとしてこんなのもありました:

  • Elton John『Your Song』:III7/V上でメロがソ
  • 秦基博『ひまわりの約束』:IVm(-5)上でメロがファ
  • 手塚翔太(田中圭)『会いたいよ』:IVø上でメロがファ
  • サンボマスター『ヒューマニティ!』: I+/IV上でメロがソ
  • Roddy Ricch『High Fashion』: VIΔ7上でメロがド・ソ

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