>うっちゃんさん
これは端的に言えば、流派による表記の違いです。「AB♭DEFA」という音階は、そのまま高さを5音下げると「EFABCE」となり、「ABCEFA」とメンバー自体は同じで、違いは音階の書き始めをEとしているかAとしているかという一点です。
普通に考えれば音階は主音から書くのがルールなのだから表記ブレなんてあり得ないわけですが、これが民族音楽の音階となると話が複雑になってきます。
Eから書き出すのは、こちらのページにもあるように、小泉文夫という民族音楽理論系の流派による表記です。対してAから書き出すのは、西洋音楽のキー・スケールのシステムに対応させたものです。
流派でブレが生じる背景には、日本の伝統音楽が西洋音楽ほど明確な主音を持たず、西洋的なハーモニーも持たず、根本的に西洋音楽理論の枠からはみ出ているという事情があります。( 参考資料 )
それゆえ小泉氏は「核音」という語を作り、新しい音階論を提唱しました。「核音」は「主音」とは微妙に異なる意味を持ちます。だから小泉流に則って都節が「EFABCE」と書かれていたとしても、それは「E音が(西洋理論的な意味での)主音である」ということを意味しません。
この食い違いは、参考資料の<資料8>の「ねんねんころりよ」が例として非常に分かりやすいです。この曲はメロディがA♭から始まりDで終わるという、極めて非西洋的な調べをもちます。
調号を見るとフラット3つのCマイナーキーになっていて、そしてこの曲に伴奏をつける時も一般にはCマイナーキーの演奏があてられます。(参考)
つまり西洋理論システムに則るとこの音階は「C-D-E♭-G-A♭-C」と表記されることになりますが、一方で小泉系システムに則れば「G-A♭-C-D-E♭-G」の順で表記されることになります。
当該記事で西洋理論的な並びを選んだのは、西洋理論を基準としたサイト全体との整合性、そして都節の歌や都節風の歌の多くにおいて上記のような西洋的ハーモニーづけがなされている現状をふまえてのものです。いずれにせよ、流派の違いから来る混乱を生んでいるのは問題であるので、紹介の仕方を見直そうと思います。