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「拍と拍子」の回で解説したように、リズム構造の最も基本的な枠組みは、私たちのカウント感覚にあります。1,2,3,4というカウントが、「拍」というリズム理論の根本概念を支えています。しかしそれは身体的な感覚であるがゆえ、状況によってはテンポの解釈に二重性が発生するという話も、同回でしました。
高速で刻まれるハイハットに身を任せるか? ゆったり刻まれるキックとスネアに身を任せるか? 今回の内容は、その延長線上にあります。
1. タイム・フィール
「テンポ」という概念、「拍」という概念には人間の解釈が介入する。その最も分かりやすい例を今ここで実際に体験してもらいたいと思います。
こちらはテイラー・スウィフトの『Teardrops On My Guitar』という曲。BPM=100くらいのミドルテンポのポップスで、この曲に関してテンポ感の見解が割れることはないでしょう。非常に分かりやすい、標準的なリズムのポップソングです。では、こちらはどうでしょうか…?
これは同じ楽曲の、リミックスバージョンです。おそらく歌は同じ録音を使用しており、メロディやコードが進むペースは全く同一です。ただ、ドラムのキック・スネアのスピードだけは半減しています。さてこの曲の「テンポ」はどうなるのでしょう? BPM=100のままなのか、半減してBPM=50になったのか……。これは完全に意見が割れるところです。
これは決してどちらかが正しいという話ではありません。ただ単に、今の手持ちのアイテムだけではこの状況を適切に言い表すことができないという話なのです。
楽譜がない世界のリズム理論
今回のような「このスネアって、2・4拍目と見るべき?それとも3拍目と見るべき?」というような疑問は、クラシックの世界では発生しません。なぜならクラシック音楽には必ず楽譜があるからです。楽譜こそが作品の本体と考えられているのがクラシックの世界。楽譜には拍子を示す記号が書いてあって、何が何拍目というのは必ず判明します。
しかしポピュラー音楽の世界にとって、楽譜は必需品ではありません。録音物そのものが作品です。だからこの問題はレコードの発明以前には起こりえなかった問題であり、またそれゆえ一般的な音楽理論にとっては完全な“穴”となっている部分なのです。
バックビートが生み出す“感覚”
改めて状況を確認するとこうです。まず2・4拍目にスネアが鳴る「バックビート」があまりにもポピュラー音楽において圧倒的な存在であるため、キックとスネアの打点が、楽曲のテンポ感の認知に多大な影響を与える。したがって、キック/スネアのビートバターンの演奏スピードが半減すれば、事実上テンポが半減したように感じられる。しかし、「テンポ」という概念にはメロディやらコード進行やら他の要素も絡んでくるため、一概にキック/スネアだけを見て「テンポが半減した」と言い切ることもできない——。
そこでミュージシャンたちの現場で代わりに広まっていったのが、フィールFeelという言葉です。日本語では特に、「タイム・フィール」という言い方をします。
つまり、楽譜上だとかDAW上とかで、数値のうえでの「テンポ」がどうなってるかは知らねえ。でもキック/スネアの頻度が半減したとき、明らかに音楽がゆったりとスロウになるのを体感した。このフィーリングは確かに存在している。理屈をこねてテンポが変わってないと言うんだったら勝手にしろ。オレらはこの体感するリズムのことを「フィール」と呼ぶ、と。新しい言葉が創出されたわけなのです。
- フィール (Feel)
- 楽譜やDAW上の構成に関係なく実時間に基づいて体感される、演奏や聴取における主観的なテンポやリズムの感じ取り方。典型的にはドラムパターン(特にキックとスネアの配置)によって生じる1。
- 日本語ではもっぱら「タイム・フィール」という。
これは“体感”の問題です。1秒に1回鳴らしてたスネアが2秒に1回に変わったら、音楽の何らかのスピード感が半減してはいるよね?という、その体感を適切に拾い上げるための言葉が、フィールです。
準備編の音階談義では、「音楽理論は印象論なのか?」という話がありました。今度もまた、「音楽理論は感覚論なのか?」と言われそうですね。そうです、感覚論です。ただし、感覚で物事を論じてるのではなく、感覚を論じているのです。私たちはリズムを感じて音楽を楽しんでいます。だから私たちがリズムをどう知覚するかという感覚に踏み込まなければ、今回のようなトピックを正しく論じることはできないのです。
「フィール」という概念を導入することで、先ほどの“Teardrops On My Guitar問題”は次のようにまとまります。
まるっと解決です! また冒頭のトラップビートのようなテンポの二重性に対しても、「テンポは速いかもしれないが、フィールは遅い」と表現したり、あるいは他楽器のフレーズが乗ってきた時「シンセのフレーズは速い方のフィールで演奏してるが、このラップは遅い方のフィールで乗ってるね」といった個別の説明も可能になります。
「テンポ」というと、どうしても楽譜の先頭に書かれている数字、あるいはDAWのBPMエリアに書かれている数字、つまりは楽曲全体で共有するひとつのもの。そういう感じがしますよね。「フィール」という言葉は、その“共有物”だけでは拾いきれない細かなリズムの体感を論じるための言葉だと思ってください。
2. ハーフタイム
先ほどは1つの曲の原版とリミックス版という特殊なシチュエーションでの比較でした。しかしこの「フィール」は実践でも活用されまくっていて、その典型例が曲中でのフィール変更です。
- インディーロック 急ぎめ→チルめ
- ドラムンベース→トラップビート
こんなふうに、事実上スピード感が半減したドラム演奏を同じテンポの枠内に収めることができるので、あるパートで勢いをゆっくりに変えたり、ドラムンベースとトラップのような毛色の違ったリズムパターンを一曲の中に入れ込むことができるわけです。このように、通常状態からフィールを半減させた演奏状態のことを、ハーフタイムHalf-Time、日本語では特に「ハーフタイム・フィール」と呼びます。
(ちなみに今回は1,2,3,4のカウントを変えずに継続しましたが、フィール変化に合わせてカウントもゆっくりにするという考え方もあるでしょう。)
実際の楽曲での使われ方を見てみましょうっ
ロックのハーフタイム
日本のロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONの代表曲。とてもノリの良い曲ですが、間奏2:03あたりからリズムパターンが変則的になってきて、2:19の「ハッ」という掛け声というともに完全にハーフタイムになります。そのあと2:41の「腐った心を」から再び本来のテンポに戻り、また盛り上がるサビへと繋がっていくという構成になっています。こうやって激しい曲の中でメリハリをつけて最後まで盛り上がってもらうために、ハーフタイムを活用するのは定番の技法です。
トラップのハーフタイム
YOASOBIの『Biri-Biri』は、先ほど見たようなドラムンベースとトラップの混合という形でハーフタイムを活用した一例。この曲の場合、0:35~のBメロで一度スネアのないジャージークラブ・ビートを挟んでいるところが巧いですね。0:47~のパートからトラップビートが始まってフィールがハーフタイムとなり、その後はまたドラムンだったり高速4つ打ちだったりのアップテンポへと戻っていきます。
カントリーのハーフタイム
りりあ。の『愛とか。』は、カントリーのリズムをフィーチャーした一曲です。カントリーもまたゆったりとした演奏に対して急速なスネアのビートが作るテンポの二重性が特徴でした。そこでこの曲ではまずアコギやドラムがBPM=196くらいの軽快なフィールでリズムを刻み、1:01~のBメロからハーフタイムにすることでいったん曲を落ち着かせます。そしてサビ直前の1:21~からまたフィールを元に戻して元気なムードでサビに行くといった構成になっています。
ブロステップのハーフタイム
テンポ感を半減させる性質上、BPM高めの楽曲で使われることの多いハーフタイム・フィールですが、BPM=120台のEDMなどでもハーフタイム化されることがあります。
ブロステップの第一人者、Skrillexの出世作『Rock n Roll (Will Take You to the Mountain)』は、標準的なBPM=128の4つ打ちでスタートします。そのまま最初のドロップを経て、1:42から2回目のビルドアップに入ります。そして2:12~の2度目のドロップでハーフタイムに切り替わって重厚感のあるフィールへと変化します。ブロステップではこのように、フィールの速いドロップと遅いドロップの両方を用意して、言わば“1曲で2度おいしい”ような構成を作ることは定番のひとつとなっています。
ハーフタイムは曲を飽きずに長く聴かせるにあたって非常に効果的な手法で、現代のポピュラー音楽ではこうして様々な形で、実にカジュアルにフィールの切り替えがなされています。まるでサッカーの試合で前半と後半の間に“ハーフタイム”を挟んで気持ちを切り替えるかのごとく、音楽の世界でもハーフタイム制度が導入されているわけなのです(๑•ᴗ•๑)
3. ダブルタイム
フィールを半減させる手法があるなら、当然その逆、つまり途中からフィールを倍速にする手法も存在します。その場合は、ダブルタイムDouble-Time、こと日本では「ダブルタイム・フィール」といいます。
ロックのダブルタイム
ロックでは、最初ゆったりとしたテンポから初めて、サビでフィールをダブルタイムにすることで分かりやすく盛り上がりを作る、という展開が考えられます。せっかくなので、ドラムのカバー演奏をされている方の動画を参照させていただきます。
スピッツの『みそか』はAメロ・Bメロがゆったりめのテンポで堂々と始まります。それがサビ(1:17~)になると、一気に倍速! 疾走感を一気に高めるのです。サビに入った瞬間も気持ちいいですし、サビが終わってまた元のテンポに戻るところもまた開放感があって心地よいです。
さらにこの曲、間奏(2:51〜)からは今度はなんとハーフタイム化までしています! 基本のタイム、倍のタイム、半減のタイムの3つ勢揃いで一曲を作っている、非常にドラマチックな構成になっているのです。
EDMのダブルタイム
先述のとおりEDMではハーフタイムを活用した曲がおなじみですが、同様にしてダブルタイム化する曲もけっこうあります。
こちらの曲はスロウなテンポから始まり、ドロップに入っても非常にゆっくりなキック・スネアのビートを展開しています。スネアが2・4拍目という前提で考えると、BPMは70くらいです。相当ゆっくりのテンポですね。そして2:38あたりからの展開にご注目。そろそろスロウなビートにも飽きてきたかなというところで満を持してダブルタイム!そこからは古典的な4つ打ちのEDMで攻めていきます。BPM=140となり、これは普通のハウス系EDMよりはテンポが速いですから、一気にスピーと感のある楽曲へと変貌するわけです。
用語のバリエーション
ハーフタイム、ダブルタイムという用語や、フィールという用語は、今現在まさに現場に広まって学術界に取り上げられていく最中にある、比較的新しい言葉です。そのため表現の仕方や定義にはまだハッキリとされきっていないようなところがあります。多くの曲では単にテンポを半減した・倍速化したと言えるようなケースもありますから、そういう場合「ハーフテンポ」「ダブルテンポ」と表現しても当然さしつかえないことになります。また日本語では、それを縮めて「半テン」「倍テン」と呼ぶことも。この“テン”はおそらくテンポから来ているのですが、「半テン」と言うと半分に転ずるというニュアンスも想起される、ちょっと洒落の利いた言葉ですね。
ダブルタイムとダブルテンポでは意味が異なると考える人もいるようですが、実際みんながどれくらいそれを区別しているかは微妙なところです。“Teardrops On My Guitar問題”を思い出すなら、楽譜やDAWのプロジェクトを前提に話したとき、実際にBPM=xだったところをBPM=2xに変えているなら「ダブルテンポ」、そういった変更なく楽譜(ピアノロール)上で音をギュッと詰めることで演奏を倍速化させているなら「ダブルタイム」だと区別しても良さそうですが……そもそも楽譜がない世界に対応するために新語が生まれたのに、楽譜を見なきゃ言葉が選べないのはおかしな話です。とにかく現実の演奏スピードが倍速/半減化していたら、ダブルタイム/ハーフタイムの語を使うには十分ふさわしいでしょう。フィールという言葉を厳密にどう定義するかによってもココの見解は変わってきそうで、あまりこだわるのは不毛なことです。
曲中でテンポ感を倍化したり半減したりすることで、大きな緩急をつけることができる。それを覚えておいてもらえればバッチリです。
まとめ
- 主にキック/スネアが生み出す体感的なテンポの速さ、リズムの取り方を「フィール」といいます。
- 曲中でフィールを倍速にすることを「倍テン」または「ダブルタイム」といいます。
- 曲中でフィールを半減速にすることを「半テン」または「ハーフタイム」といいます。