音楽理論の歴史と流派 ❶

音楽理論 序論

そんなわけで、音楽理論の正体を知るためには、少なからず音楽理論の歴史に触れる必要があります。当然クラシック音楽の世界を通り抜けることになるので、音楽の授業みたいでイヤですけど、でもコレをちゃんと通らないことには、「先人たちの叡智の結晶」とかいうザックリしたセールストークにも、反論する術がありません。

反論できない

こんな怪しげで偉そうな言葉を信じて音楽理論信者に仲間入りするというのでしょうか? ほんの15分ガマンして音楽理論の歴史を辿れば、こやつの言ってることの何がホントで何がウソだか分かります。過去から今へ音楽理論がどう繋がっているのか、真実を確かめに行きましょう。

#4 音楽理論の歴史と流派

堅苦しい歴史の話を長々とするつもりではないので、そこは安心してくださいね。できるだけ短く、全体像を知るために必要な最低限だけを辿っていきます。もちろん、内容を暗記する必要もありません。音楽と音楽理論の変化の歴史を、音源とともに体感してもらえればよいのです。

紀元前約550年 : 音響学のはじまり

ピタゴラス

よく音楽理論の始まりと言われるのは、紀元前の話。我々が慣れ親しんでいる「ドレミファソラシド」という音階を発明したのは、一説によるとピタゴラス学派だと言われています。この音階は、すごく数学的・科学的な視点から編み出されたものだったんですよ。1

だから紀元前の頃からすでに、民族音楽とは違う人為的な音楽の歴史は始まっていたのです。まあコレは音楽理論というより、「音響学」の始まりですね。我々がイメージする「音楽理論」が生まれるのは、もっともっと後の話。


このあとキリストが誕生しまして、そこから音楽の進化をリードしていくのは宗教、つまり教会音楽です。特に9世紀〜13世紀にかけて、ひとつのメロディを斉唱していたところから合唱へと音楽が進化し、「対位法」と呼ばれる理論が練り上げられていくのですが、この中世のあたりは話を大幅にすっ飛ばしますね。

16世紀:和音理論の芽生え

グッと現代に近付きまして、16世紀。この時代の代表的な作曲家には、教会音楽の父と呼ばれたパレストリーナがいます。2

この時点でもうすでに、十分高度な音楽を作り出していますね!もちろん、「対位法」などの音楽理論に基づいてこうした美しい楽曲が作られたわけです。音楽理論と人間の付き合いは長い。

音楽理論については、16-17世紀ごろになるとコード理論の源流となるような研究がドンドン増えてきます。数学者としておなじみのメルセンヌも、音響学を研究していました。他には和音に関する重要なアイデアを提唱したとされるイタリアのジョゼッフォ・ザルリーノ、フランスのセバスティアン・デ・ブロサードといった理論家が名を残しています。

Zarlinoザルリーノ
(1517-1590)
Mersenneメルセンヌ
(1588-1648)
Sebastien Brossardブロサード
(1655-1730)

すぐ後に述べる超有名音楽理論家ラモーも、こうした人たちの影響を受けて自身の理論を完成させたと言われています。3

18世紀初頭:和音理論の急速な発展

そして1722年、フランスのラモーという作曲家・音楽理論家が「Traité de l’harmonie(和声論)」という本を書きます。そこには現代のコード理論に繋がるような根本的な発想が提言されていて、当時の音楽界に多大な影響を与えました。この頃になってようやく、音楽理論の世界が大きく動き始めるのです。4

日本ではあまりその名を知られていませんが、ラモーはあの世界的ヒットソング、「きらきら星」を作曲した人物でもあります。

ラモー

ただ、著書を実際に読んでみると分かりますが、この頃の音楽理論は、まだ現代のものとはかなり違っています。まだまだ今ほど「記号化・情報化」がされていなくって、いかにも過渡期という感じがします。

和声論
まだ理論がバラバラだった時代

ですから例えばラモーとほぼ同期で最も有名な作曲家として、ヴィヴァルディJ.S.バッハがいますが、彼らの音楽スタイルには、今日の一般的な音楽理論とは異なる部分がいくつもあります。

ちょっと我々が想像する、優雅なクラシック音楽とは違いますよね。この辺りの時期までのクラシック音楽は、神に捧げる宗教音楽としての側面が強いので、このような神秘的な音楽の需要が高かったわけです(ただし宗教音楽とは別に、歌劇の音楽も平行して発展はしています)。

この時期の西洋音楽のことを、音楽史では「バロック」と呼びます。まあ、クラシック音楽についての詳細は、興味のある人だけが別途調べてもらえればと思うので、ここでは割愛します。

バッハ

18世紀後半:古典派による音楽観の確立

もちろん音楽理論を研究していたのはラモーだけではありません。それからも研究と発展は続き、そして現代に通じる音楽理論の地盤が固まったのは、モーツァルトやベートーベンが生きていたくらいの頃の話です。この時代のことを音楽史では「古典派」と呼びます。

Haydnハイドン
(1732-1809)
Mozartモーツァルト
(1756-1791)
Beethovenベートーベン
(1770-1827)

よくバッハと並列されるモーツァルトとベートーベンですが、実は100年近く後輩なんですね。この時代にかけて、クラシック作曲家(・理論家)たちの置かれた状況はどんどん変わっていきます。社会情勢が変わり印刷技術が発達したことで収入の得方が変わり、簡単にいえば「宗教音楽から、大衆に向けた音楽へ」という指向性が強くなっていきます。5

そんな時代背景の中で発達した古典派の理論というのは、極端にシンプルな言い方をすれば「ベタ」の理論です。神聖な宗教音楽とは違って、誰でも聴き楽しめる音楽。そのためのセオリーが洗練されていったのです。

ルールというより「お約束」

「ベタ」というと何だか悪いイメージがしますが、でも実際に「ベタ」の力は侮れません。例えばお笑いなら、ボケたからにはツッコミが入らないと収集がつかない。あるいは映画なら、いわゆる「死亡フラグ」を立てた人間には、ベタとは思いつつも死んでもらわないことにはスッキリしません。

死亡フラグ

古典派が言う「理論」というのもまさにそれで、ルールというより「お約束」というイメージが近い。「こう来たら、こう行くのが一番王道のパターン」というのを教えてくれるもの。そのシステムに従うだけで、美しいサウンドの音楽を完成させられる。そのパターンを膨大なデータとして蓄積し、巨大な「礎」を築きあげたのがこの時期なのです。

例えば「お辞儀の伴奏」でお馴染みのコレは、「ベタ」の代表作と言えます。もう2つめの音を聴いた段階で、次が想像できますからね。試しに「ベタ」を裏切ってみると、こうなります。

ウーン、これは現場が荒れそうです。そう、自由な芸術である音楽とはいえ、「お約束」はやっぱりある。そして当時は、そのお約束に忠実に作られた音楽が楽しまれていた時代だったわけです。

「お辞儀の伴奏」が代表作なんて、ちょっとベタにもほどがあると思いますか? でも、よく考えたら「18世紀」って、ようは江戸時代後期ですからね!

江戸時代後期の日本といえば
杉田玄白 (1733-1817)
蘭学医だよ。ターヘル・アナトミアはまじで衝撃だったよね。

伊能忠敬 (1745-1818)
日本地図を作り始めたのは、55歳の時からなんだよ。第二の人生歩むよね

葛飾北斎 (1760-1849)
江戸時代後期の浮世絵師だよ。富士山の絵をいっぱい描くよね

ペリー (1794-1858)
日本に開国迫るよね

あれ、18世紀って思った以上に昔の話だな。そう思ってもらいたいのです。ヨーロッパで「風刺画」が普及したのも18世紀後半、日本で「落語」が栄えたのも18世紀後半です。エンターテインメント全体が、まだまだこれからの時代。それを思えば、ベタなサウンドの音楽が愛されていたって、全然おかしなことではないのです。大衆が音楽に対して過剰な“刺激”を求める時代は、まだこの後です。

現代との繋がり

現代はもちろん、語り手が犯人の推理小説、ヴァンパイアとのラブストーリー、ツッコミの存在しない漫才、何でもアリです。当然音楽においても、古典の型を破っている名曲は星の数ほどあります。コード進行の規則なんかは明らかに厳しすぎで、現代のトレンドとも矛盾しています。音楽理論に対し「アンチ」の人々は、そうした点を批判しているわけです。

一方で、時代を経ても変わらず戦力になる知識が含まれていることも事実です。サウンドバランスを整えて気持ちいいサウンドにする方法論や、音をスムーズに繋ぐ技法などは、200年経った今でも活用できます。物事やっぱりどちらか100%ということはなくって、良いところもあれば悪いところもある、そういうものです。

19世紀:着実な変革

さて、作曲家が経済的に自立したことで、作家は自分の個性を作品に反映させることがより容易になりました。初めは古典派の「お約束」の中で表現していたものが、次第にそれを崩していく風潮が広がっていきます。そして19世紀に入っていくと「ロマン派」と呼ばれる時代が訪れて、音楽の価値観はどんどん拡張され、クラシック音楽はさらに複雑化していきます。

上はワーグナー、下はリヒャルト・シュトラウスという後期ロマン派の作曲家です。フレーズ自体はテレビなどでよく使われるので、聞いたことがあるのではないでしょうか? 「ワルキューレの騎行」は、「林先生の初耳学」で毎週ジングルとして流れていますね。

先ほどの古典派と比べると、ずっと「アート」っぽくなっていますよね。なんたって表現のクセがすごい。ある意味、古典派が「王道のシステム」の中でやれることをやり尽くしたために、個性的にならざるを得なかったとも言えます。

また、そんな風に作曲家たちが新しい音の世界を追求する一方、音楽学者たちの研究も続きます。特にドイツのカール・ヴィルヘルム・ユリウス・フーゴー・リーマンという学者が、音の「記号化」を推し進めることに大きく貢献していて、現代でも使われる重要な音楽理論用語のうちのひとつを、このリーマンが作り出したとされています。ちょっと、名前がかっこよすぎますね。

この時代(1800年代後半)の書籍になると、だんだんその内容も現代の理論と近しいものになってきます。ラモーの時代からおよそ150年。ずいぶん長い月日が経ったものです。

リーマン

ここまでの流れを、簡単にまとめておきますね。

Check Point

音楽理論は、18世紀から楽器・文化の発展と共に急速に発達した。そこで完成した古典派理論とは、「ベタな王道パターンのまとめ集」のようなもの。そしてその様式は19世紀から少しずつ実験的に崩されていき、クラシック音楽は複雑性を増していった。

それを後から追うような形で、音楽理論もその全体像が整理され、記号化されていった。

私たちは、江戸時代の「ベタ」を参考にしていたのか! って感じですね。でももちろん、現代の音楽理論を構成しているのは、18世紀の古典派理論だけじゃありません。ここから現代まで、めまぐるしい進化の過程を見ていきます。

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