目次
前回は、理論に縛られないためには理論の生まれ・育ちを知っておくのがよいという話で終わりました。歴史の勉強というと堅苦しく感じますが、これは最初の重要なワンステップです。
というのも、これを通っておかないことにはいつまで経っても「音楽理論」という言葉が持つ威光から真の意味で自由にはなれないからです。
本当は、クリエイターは理論に「従う/従わない」という立場ではなく、理論を「従える」立場にあるべきです。そしてその関係性を築くための最速の手段が、けっきょく相手を知ることなのです。
これは言わば“ワクチン”のようなもので、一度アトラクションのように歴史を擬似体験しておけば、後のさまざまな場面で効果を発揮することになります。だから作曲家や時代の名前を暗記する必要はありません。
音源に関しても、「興味を持った人向けの資料」として置いている側面が強いですので、全部きちんと聴く必要はなく、雰囲気を感じてもらえればそれで十分です。
4. クラシック理論の発展
音楽理論は西洋に限らずエジプトや中国など世界各地での歴史がありますが、ここで紹介するのはヨーロッパとアメリカを中心とした西洋の音楽理論の簡単な歴史です。
紀元前 : 古代の音響学
西洋音楽理論の歴史といったら、紀元前の古代ギリシャまで遡るのが一般的です。ピタゴラス教団が、音に関する重要な研究や発見をしたと言われています。
良い曲が作りたいとかいう話ではなく、数学的な関心が音楽理論の発展に繋がったんですね。ピアノもギターもチューニング(調律,音の高さの調整)の基準が決まっているわけですが、それが定まっていく過程にはたくさんの数学者たちの努力がありました。
このピタゴラスが西洋音楽理論史のスタート地点としてしばしば語られますが、そうはいってもこれは物理学に近い話であって、ここからもう一段階進むまでには1000年以上の時間が空くことになります。
9-16世紀 : “ハモリ理論”の時代
さて本格的に西洋音楽理論が発展する最初の動力源となったのは、宗教です。キリストがこの世に爆誕して、「聖歌」が生まれ発展しました。最初は仏教のお経と同じように全員で同じメロディを斉唱していましたが、いつしか飽き始めたのかハモリを乗せて合唱するようになりました。そして、どうやったら綺麗にハモれるのかの研究が進んでいきます1。
1曲目が元々の斉唱スタイルで、まさにお経のようですね。2~5曲目はそれぞれ12,14,15,16世紀のスタイルです。長い時間をかけて、少しずつ変化していく様子がわかります。とりわけ、合唱でおなじみの、時間差で歌を掛け合う技法が発展したのがポイントです。この時期に発展した“ハモリ理論”は、「対位法」と呼ばれます。
教会の外
もちろんこの時代に聖歌しか音楽がなかったわけではありません。教会の外ではいわゆる吟遊詩人などが世俗音楽を発展させました。
こちらは13-14世紀の世俗音楽で、その内容はラブソング、歌劇のための曲、季節を祝う歌、軍を祝す歌といったもの。こうした世俗音楽も、もちろん教会の音楽に影響を与えることになるし、ひいては理論にも影響を与えていくことになります。こうした音楽は教会の聖歌よりも何かと自由度が高いわけで、教会から離れた俗世だからこそ出来た革新というのもありました。
世俗音楽の新しいリズムが教会音楽に導入された頃には、神への冒涜だという非難もあったそうです2。ヒップホップやロック、あるいはジャズですら最初に流行した時には“低俗”だと言われていたわけですが、実はそんな言い争いを人類は何百年も前からずっと繰り返しているんですね😵💫
当時は俗だと言われた表現であっても、後世から見たらそれは革新の萌芽であった──。これは音楽史上で何度となく起きているパターンです。そこから考えると、昨今のヒップホップやEDMが生み出したテクニックが、100年後になって「これは音楽理論史における重要なターニングポイントだった…」などと語られる可能性も十分ありえるのです。
ここでは理論史という性質上あまり広い範囲の音楽にフォーカスを当てられませんが、「理論で語られる世界の外側にもたくさんの音楽があった(ある)」という認識は忘れずに持っておきたいところです。
16-17世紀 : コード理論の芽生え
そして16-17世紀頃、ようやくコード(和音)の理論が成長しはじめます。代表的なところでイタリア3の音楽理論家で大聖堂の楽長も勤めたツァルリーノという人物や、哲学者としておなじみデカルトも音楽理論の発展に貢献しました。
注目してほしいのは、まず「今までの理論に反する音楽が海外からやって来て、それが流行ったから、それに合わせて理論をアップデートする」という“後追い”がこの頃から行われていたということ。それから理論界隈も決して一枚岩ではなく、異なる考えをもった人たち同士が意見をぶつけながら発展してきたということです。
「メロディ+伴奏」のスタイルへ
そして17世紀にかけて音楽のトレンドもまた変わっていき、この頃から複雑な歌の掛け合いよりも「単独のメインメロディ+伴奏」という主従関係がハッキリと分かれたスタイルの音楽勢力がだんだん優勢になってきます。主メロ+伴奏ですから、要するに今のポピュラー音楽と同じスタイルですね。
こちらは1607年のオペラ作品です。ことオペラではセリフが歌に乗りますから、セリフの聞き取りやすさという観点からも掛け合いではなく単独のメインメロが自ずと主体になりました4。オペラは17世紀に誕生し流行したのですが、それが「単独メロ+伴奏」の台頭を後押しした側面はあるでしょう。
そしてこの時期にもやっぱり理論に反する音楽が大きな物議を醸しました。
21世紀を生きる私たちは全部を「クラシック」でまとめてしまいますが、それぞれの時代にタイムスリップしてみると、こんなふうに反骨精神を持ったクリエイターを必ず見つけることができます。
18世紀前半 : コード理論の発展
この「メロ+伴奏」の音楽スタイルへのシフトは進み、いよいよそれが完全にメインストリームへと成長するのが1700年代のことです5。
この変化に対応して、音楽理論の方もまた大型アップデートが進みます。最も有名なところで1722年にラモーという作曲家が「和声論」という書を発表し、世に多大な影響を与えることになります。
彼は先見の明に優れていて、今から300年以上前なのにもかかわらず、現行の「コード理論」でも現役バリバリで使われているような重要なアイデアをいくつか提唱しました6。他にこの時期の有名な作曲家としては、ヴィヴァルディやバッハがいます。ちょうど理論が変貌していく途中を生きた彼らの音楽には、現行の理論にそぐわないような表現も色々と見つけることができます。
そうは言いつつも、ラモーらが投じた一石は波紋を広げ、音楽も音楽理論も新しいスタイルへと移行していきます。
18世紀後半 : 古典派理論の確立
時代背景に少し触れておくと、17-18世紀は様々な革命が起こった大改革時代であり、特に18世紀後半ごろにかけて貴族から市民へと文化の主権が移っていきました。音楽界も例外ではなく、作曲家たちは教会や貴族に仕えることありきだったところから、だんだんお金を稼ぐ手段の幅が広がってきます。たとえば産業革命によって楽譜の出版が盛んになったことが、収入アップのチャンスに繋がりました7。
この時代は「古典派」と呼ばれていて、代表的な作曲家にはモーツァルトやベートーベンがいます。
「古典」は英語で言うと「クラシック」ですから、まさにこの古典派の時代は「クラシック音楽」という言葉が指す範囲のど真ん中にあると言えます。この時代の音楽のトレンドとしては、教会や貴族よりも市民へターゲットが移っていった影響なのかは定かでないですが、「メロ+伴奏」のスタイルが完全に主流になり、華美で複雑なものよりかはシンプルで明快なものが目立ち、メロディは歌いやすく覚えやすい。すごく平たく言えば大衆性が増しました8。
思わず口ずさみたくなるようなキャッチーなフレーズが目立ちます。音楽理論界もこの新スタイルに照準を合わせて古典派時代の音楽理論をどんどん洗練させていきました。
古典派理論のイメージ
古典派理論は、現行のコード理論の原型と言える存在です。だからその中身についてもちょっと簡単に、イメージを共有したいと思います。
古典派理論の内容は大きく分けて2つあって、ひとつは「美しい音の並べ方」、もうひとつは「展開構成に関する定石」です。
前者については、オーケストラのような大編成や、逆にピアノソロのように音数の限られた世界でも、バランスよく音響を組み立てるための専門技術というようなイメージです。とても専門性が高いので、ポピュラー理論にはあまり継承されていません。
後者については、平たく言うと「起承転結」を音楽で構成する方法や、曲をスムーズに展開していくやり方などの指南です。こちらは親しみやすい内容であるため、ポピュラー理論にも多く継承されています。
お約束、お決まり
「起承転結」のような展開に関するセオリーは、いわゆる“お約束”とか“お決まり”と呼ばれる概念に近い。例えばお笑いなら、ボケたらツッコむのがお約束。あるいは映画なら、ワルモノは最後に成敗されるとか、心優しい主人公は最後に報われるとか、そういうお決まりのパターンがありますよね。
同じように当時の音楽にも“ベタ”な展開というのは存在していて、それをまとめた教科書が古典派理論なのだと思って頂ければ、イメージとして近いものがあります。ベタとかお約束とか言うとなんだか聞こえが良くありませんが、でもそれは要するにスタンダードを確立したということですから、これは紛れもない偉業なのです。
“標準”と“外し”
例えば「おじぎの伴奏」でおなじみのフレーズは、まさしく基本の型そのものです。
ピアノが3回なりますけども、私たちは経験から2発目の時点で「ああ、次で終わるな」というのが予感できますよね。そしてその期待どおりに終わる。これが“お約束”どおりの展開です。試しにそれを“外し”にいくと……
──ちょっと現場が荒れてしまいました。「終わらんのかい!」という怒号が飛び交っています。これもこれで面白いですけど、少なくとも“教科書”に載るような正攻法ではありません。そしてリスナーもまだこの時代には、こんな過激さは求めていませんでした。
古典派理論は当時の音楽観に基づき、標準とそうでないものとを区別しました。そこで「不可」の烙印を押されたものが、200年以上経った今でも「禁則」として語り継がれているのです。
ここでようやくひとつ、音楽理論における謎ルールの正体が見えてきました。元を辿ればこれは、数百年前のヨーロッパで作られた“お約束”だったのです。