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西洋音楽理論の歴史と流派

By 2024.03.29序論

前回は、理論に縛られないためには理論の生まれ・育ちを知っておくのがよいという話で終わりました。歴史の勉強というと堅苦しく感じますが、これは最初の重要なワンステップです。

というのも、これを通っておかないことにはいつまで経っても「音楽理論」という言葉が持つ威光から真の意味で自由にはなれないからです。

「音楽理論は人類が気持ち良いと感じる音の法則

本当は、クリエイターは理論に「従う/従わない」という立場ではなく、理論を「従える」立場にあるべきです。そしてその関係性を築くための最速の手段が、けっきょく相手を知ることなのです。

これは言わば“ワクチン”のようなもので、一度アトラクションのように歴史を擬似体験しておけば、後のさまざまな場面で効果を発揮することになります。だから作曲家や時代の名前を暗記する必要はありません。
音源に関しても、「興味を持った人向けの資料」として置いている側面が強いですので、全部きちんと聴く必要はなく、雰囲気を感じてもらえればそれで十分です。

4. クラシック理論の発展

音楽理論は西洋に限らず🇪🇬エジプトや🇨🇳中国など世界各地での歴史がありますが、ここで紹介するのはヨーロッパとアメリカを中心とした西洋の音楽理論の簡単な歴史です。

紀元前 : 古代の音響学

西洋音楽理論の歴史といったら、紀元前の古代ギリシャまで遡るのが一般的です。ピタゴラス教団が、音に関する重要な研究や発見をしているのです。

🇬🇷 ピタゴラス (B.C.582-496)
整数って神じゃん。そしたらハープとかの弦もさァ 長さの比率を整数にしたら綺麗な音になるくね?

良い曲が作りたいとかいう話ではなく、数学的な関心が音楽理論の発展に繋がったんですね。ピアノもギターもチューニング(音の高さの調整)の基準が決まっているわけですが、それが定まっていく過程にはたくさんの数学者たちの努力がありました1

このピタゴラスが西洋音楽理論史のスタート地点としてしばしば語られますが、そうはいってもこれは物理学に近い話であって、ここからもう一段階進むまでには1000年以上の時間が空くことになります。

9-16世紀 : “ハモリ理論”の時代

さて本格的に西洋音楽理論が発展する大きな動力源となったのは、宗教です。キリストがこの世に爆誕して、「聖歌」が生まれ発展しました。

最初は仏教のお経と同じように全員で同じメロディを斉唱していましたが、いつしか飽き始めたのかハモリを乗せて合唱するようになりました。そして、どうやったら綺麗にハモれるのかの研究が進んでいきます2

1曲目が元々の斉唱スタイルで、まさにお経のようですね。2~5曲目はそれぞれ12,14,15,16世紀のスタイルです。長い時間をかけて、少しずつ変化していく様子がわかります。とりわけ、合唱でおなじみの「時間差で歌を掛け合う」技法が発展したのがポイントです。

神に捧げるものとしての音楽

聖歌は神に捧げるものであるので、自由奔放に作ったものではいけません。だからこういうハモリのアレンジについても、とにかく当時の人々なりに神聖だと言えるロジックに沿って作る必要がありました。音楽理論に「ルール」や「禁則」といった思想が芽生えた根本の根本は、この宗教との癒着にあると言えるでしょう。

教会の外

もちろんこの時代に聖歌しか音楽がなかったわけではありません。教会の外ではいわゆる吟遊詩人などが世俗音楽を発展させました。

こちらは14世紀フランスに作られた曲です。こうした世俗音楽も、もちろん教会の音楽に影響を与えることになるし、ひいては理論にも影響を与えていくことになります。こうした音楽は教会の聖歌よりも何かと自由度が高いわけで、教会から離れた俗世だからこそ出来た革新というのもありました。

詩人

世俗音楽の新しいリズムが教会音楽に導入された頃には、「神の冒涜だ」という非難もあったそうです3。 当時は俗だと言われた表現であっても、後世から見たらそれは立派な進化であった──というのは、音楽史上で何度となく起きているパターンです。そこから考えると、昨今のヒップホップやEDMが生み出したテクニックが、100年後になって「これは音楽史における重要なターニングポイントだった…」などと語られる可能性も十分ありえるのです。

ここでは理論史という性質上あまり広い範囲の音楽にフォーカスを当てられませんが、「理論で語られる世界の外側にもたくさんの音楽があった(ある)」という認識は忘れずに持っておきたいところです。

16-17世紀 : コード理論の芽生え

そして16-17世紀頃、ようやくコード(和音)の理論が成長しはじめます。代表的なところでイタリア4 のツァルリーノという学者や、哲学者としておなじみデカルトも音楽理論の発展に貢献しました。

🇮🇹 ジョゼッフォ・ツァルリーノ (1517-1590)
イギリスから来たサウンドめっちゃ流行ってる。やば。これは理論に取り入れるべきだわ。この心地良さを数学で客観的に証明するわ。
🇫🇷 ルネ・デカルト (1596-1650)
いや、音が澄んでる・濁ってるとかはあるかもしれんけど、「心地良さ」は主観でしかないやろ。

注目してほしいのは、まず「今までの理論に反する音楽が海外からやって来て、それが流行ったから、それに合わせて理論をアップデートする」という“後追い”がこの頃から行われていたということ。それから「理論界」というのも決して一枚岩ではなく、異なる考えをもった人たち同士が意見をぶつけながら発展してきたということです。

「メロディ+伴奏」のスタイルへ

そして16-17世紀には音楽のトレンドも変わり、複雑な掛け合いよりも「メインメロディ」と「伴奏」の主従関係がハッキリと分かれた音楽が少しずつ優勢になってきます。

こちらは17世紀初頭のオペラ曲。「メロ+伴奏」ですから、要するに今のポピュラー音楽と同じスタイルですね。そしてこの時期にもやっぱり「理論に反する音楽」が物議を醸しました。

🇮🇹 クラウディオ・モンテヴェルディ (1567-1643)
この音の濁り方は禁則だ? そんなん知っとるわ。こっちはな、ココは濁らした方が歌詞が活きると思って“あえて”やっとんねん。これが“第二世代”の音楽や。アンタらの世代には分からんかもしれんけどな!

21世紀を生きる私たちは全部を「クラシック」でまとめてしまいますが、それぞれの時代にタイムスリップしてみると、こんなふうに反骨精神を持ったクリエイターを必ず見つけることができます。

18世紀前半 : コード理論の発展

この「メロ+伴奏」の音楽スタイルへのシフトは進み、いよいよそれがメインストリームへと成長するのが1700年代のことです。

スタイルの変化

この変化に対応して、音楽理論の方もまた大型アップデートが進みます。最も有名なところで1722年にラモーという作曲家が「和声論」という書を発表し、世に多大な影響を与えることになります。

🇫🇷 ジャン=フィリップ・ラモー (1683-1764)
ワシ思うねんけど、やっぱ「コード」という存在ありきで理論組み立ててくのがいいんちゃうかな

彼は先見の明に優れていて、現行の「コード理論」でも使われているような重要なアイデアをいくつか提唱しました。他にこの時期の有名な作曲家としては、ヴィヴァルディやバッハがいます。ちょうど理論が変貌していく途中を生きた彼らの音楽には、現行の理論にそぐわないような表現も色々と見つけることができます。

🇩🇪 J.S.バッハ (1685-1750)
同期のヤツらが作った理論にあーだこーだ言われる筋合いは、まあないですよね

そうは言いつつも、ラモーらが投じた一石は波紋を広げ、音楽も音楽理論も新しいスタイルへと移行していきます。

18世紀後半 : 古典派理論の確立

時代背景に少し触れておくと、17-18世紀は様々な革命が起こった大改革時代であり、特に18世紀後半ごろにかけて貴族から市民へと文化の主権が移っていきました。ファンがコンサートを聴きにいったり、楽譜を買って自分で演奏することが一般化し、音楽はより身近なものとなっていきます。

音楽の大衆化

王族・貴族・教会などと関係なく、大衆に認められさえすればアーティストとして生きられるようになったというのは決定的な変化でした。この時代は「古典派」と呼ばれていて、代表的な作曲家にモーツァルトやベートーベンがいます。

🇦🇹 モーツァルト(1756-1791)
どうも、私です。
🇩🇪 ベートーベン(1770-1827)
や、自分は革命児なんで、ぶっちゃけこの時代の人たちと一緒にされたくないっす。

「古典」は英語で言うと「クラシック」ですから、まさにこの古典派の時代は「クラシック音楽」という言葉が指す範囲のど真ん中にあると言えます。この時代は「大衆ウケして売れたいなあ」という観点や、「貴族向けの華美な音楽はもはや黒歴史、虚栄の象徴」というような反骨心もあってか、シンプルに削ぎ落とされた分かりやすい音楽がトレンドになりました。

思わず口ずさみたくなったり、自分で弾いてみたくなるようなキャッチーなフレーズが目立ちます。音楽理論界もこの新スタイルに照準を合わせて「古典派時代の音楽理論」を洗練させていきました。

古典派理論のイメージ

古典派理論は、現行のコード理論の原型と言える存在です。だからその中身についてもちょっと簡単に、イメージを共有したいと思います。

古典派理論の内容は大きく分けて2つあって、ひとつは「美しい音の並べ方」、もうひとつは「展開構成に関する定石」です。

古典派理論の中身

前者については、オーケストラのような大編成や、逆にピアノソロのように音数の限られた世界でも、バランスよく音響を組み立てるための専門技術というようなイメージです。とても専門性が高いので、ポピュラー理論にはあまり継承されていません。

後者については、平たく言うと「起承転結」を音楽で構成する方法や、曲をスムーズに展開していくやり方などの指南です。こちらは親しみやすい内容であるため、ポピュラー理論にも多く継承されています。

お約束、お決まり

「起承転結」のような展開に関するセオリーは、いわゆる“お約束”とか“お決まり”と呼ばれる概念に近い。例えばお笑いなら、ボケたらツッコむのがお約束。あるいは映画なら、ワルモノは最後に成敗されるとか、心優しい主人公は最後に報われるとか、そういうお決まりのパターンがありますよね。

死亡フラグ

同じように当時の音楽にも“ベタ”な展開というのは存在していて、それをまとめた教科書が古典派理論なのだと思って頂ければ、イメージとして近いものがあります。ベタとかお約束とか言うとなんだか聞こえが良くありませんが、でもそれは要するに「スタンダードを確立した」ということですから、これは紛れもない偉業なのです。

“標準”と“外し”

例えば「おじぎの伴奏」でおなじみのフレーズは、まさしく基本の型そのものです。

ピアノが3回なりますけども、2発目の時点で「ああ、次で終わるな」というのが予感できますよね。そしてその期待どおりに終わる。これが“お約束”どおりの展開です。試しにそれを“外し”にいくと……

──ちょっと現場が荒れてしまいました。「終わらんのかい!」という怒号が飛び交っています。これもこれで面白いですけど、少なくとも“教科書”に載るような正攻法ではありません。そしてリスナーもまだこの時代には、こんな過激さは求めていませんでした。

古典派理論は当時の音楽観に基づき、標準とそうでないものとを区別しました。そこで「不可」の烙印を押されたものが、200年経った今でも「禁則」として語り継がれているのです。

一の型!

ここでようやくひとつ、音楽理論における謎ルールの正体が見えてきました。元を辿ればこれは、数百年前のヨーロッパで作られた“お約束”だったのです。

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