Blackadder Chord

コード編 Ⅷ章:研究室

§5 文脈と認知

特にジャズに親しんでいる人たちにとってはこのくらいのコードは大したことでもないようで、YouTubeのコメントでもTwitterでも、「こんなのジャズじゃよくあるコードだぜ」というような、半ば冷笑的な意見も見受けられます。

しかしそれはなんとも短絡的な見解です。よくよく考察すれば、そこには面白い気づきがあるものです。

文化的側面

まずひとつ注目すべき点は、そのような複雑なコードがJ-Popの世界で積極的に取り入れられ始めているという、文化的興味深さです。例えば似たような話で、近年のトラップでは、「マカーム」と呼ばれる中東風の音階が盛んに使われています。

「最近のトラップ、こんな中東風のスケール取り入れてるんだよ、面白いよね〜」という話に、いったい誰が「いや、インドの音楽聴いたらそんな音階いくらでも出てくるよ? 騒ぐことじゃなくない?」と返事するでしょうか。 あまりにも的外れな意見です。
EDMと東洋の民族音楽という、一見まったく重なりそうにない二者が、音の世界の上ではなぜかピッタリとハマり、新しいセンスをもたらしてくれる。そしてそこに「ピッチベンドの表現を多用するEDMだからこそ、四分音を含むマカームと相性が良かったのでは?」などと考察を交えていけば、どんどん興味深いお話になってくるわけです。

Blackadder Chordも同じこと。洗練された技巧の極地ともいえるジャズの世界にいたコードが、ワチャワチャしたカワイイ日本アニメの世界と異様にマッチして、愛用される。その組み合わせの妙を人は楽しんでいるのです。

認知科学的側面

もうひとつの点は、こちらの方が重要ですが、このコードが私たちに認知・記憶の面から音楽を見ることの発展可能性を示唆してくれることです。Blkコードそれ自体は、ハーフディミニッシュとドミナントセブンスの中間くらいにいて、聴き慣れないコードクオリティを我々にもたらします。そのときに我々の脳内で何が起きているのか? そこに研究の題材が転がっています。

IIm7V7IIIøVI7IIm7V7IΔ9I+

こちらは、Blkなしの普通のコード進行です。こうした進行を通じて、私たちはIIIøI+のサウンドを学習します。そしてある日、次のようなサウンドを耳にします…

IIm7V7IIIblkVI7IIm7V7IΔ9♯IVblk

この時のIIIblk♯IVblkを比べてどうでしょう、前者の方が少しハーフディミニッシュに近しく感じられ、後者はオーグメントに近く感じられませんか? 個人差はあるでしょうが、私は最初のIIIblkに対し、後のIVblkほど露骨な「Aug感」は抱きません。

これは、「錯視」と似ています。経験から脳が解釈を行い、実際にはない感覚を認知してしまうというやつです。

チェッカーシャドウ錯視

視覚において我々が経験から“明暗”を勝手に補完してしまうというのなら、聴覚においても“明暗”を自動補完したとて不思議はない。そうなると、これはさらなる仮説へと繋がっていきます。

コンテクストの多重性

その仮説とはこうです:Blkコードの中でもルートがIVのものは特に使い勝手がよく使用例も多いわけですが、その要因は「コンテクストの多重性」ではないか。「脳内補完」の候補が多ければ多いほど、そのコンテクストに支えられてコードが自然に聴こえるのではないか。

序盤でBlk Chordの分類を行いましたが、あれは由来を元にした分け方です。では逆にルートの方から“逆引き”して、幾つの文脈を持ちうるかを考えてみましょう。

ルート I II II III III IV IV V VI VI VII VII
②-1 偶成
②-2 aug
③-1 dom9
③-2 ø

今回は、ポピュラー音楽の範疇で一般的と思われるラインでマルつけをしました。少しだけ説明すると、例えば「I」の「②-2 aug」にマルがついていないのは、『IblkをIV+/Iと解釈しようとしても、IV+なんてコードはポップスでは全くもって一般的でないため、我々の脳がそう解釈することはないだろう』といった具合です。

△は、「二次ドミナントのトライトーン代理」に由来するルートに付いています。ジャズでは一般的でも、ポップスでこの技法が使われることが稀であるからです。

こうしてみると、IVが最も多くのコンテクストに支えられていることが分かりますね。
我々はI+からIVの流れを聴き慣れている。ベースラインがV→IVの合間にIVを通るパターンも聴き慣れている。IVøがIVへ流れるパターンも聴き慣れている。その記憶と認知が、IVblkというコードを聴きやすいものにしているのではないか?

もちろん私は科学者ではないので、このような認知のプロセスにはこれ以上踏み入ることができませんが、このような「記憶と認知がコードの印象に与える影響」が“まったく無い”と切り捨てる方が暴論ではないですか。
例えばIblkなんか、おなじみI7からの発展であるから、さぞかし使いやすいだろうと思ったのですが、やってみるとなかなかフレーズ作りに苦労しました。

IVΔ7III7VIm7Iblk

とてもIVほど気軽に使える感じはしません。それは、Iblkが「I7からの発展」以外に支えとなるコンテクストを持っていないからではないでしょうか?

Blk Chordを「domi9のomit3」の一言で済ませることは簡単です。しかしその解釈は、「domi9における使用頻度では圧倒的勝者であるIが、この形においてはIVに劣る」という不思議な現実を説明してはくれません。
もっと言えば、IVblkがリスナーたちの耳に届いたとき、彼らがルート音を無視してそこに「aug感」を認知し、「分数aug」という名前がつけられていたという現実もすっかり捨象されてしまいます。「認知・記憶」という観点を考慮しない理論系がもつ脆さを、Blackadder Chordは示唆しているのです。

「多重文脈形体」というテーゼ

IVblkならば、工夫すれば「ホールトーン系」も含めた5つの文脈を内包することもできます。これが従来の目線でいけば、「どの文脈なのかを推測して確定しよう」という方に話が行きますが、逆にこれを「多重文脈形体」などと定義して存在を認めてしまえば、そこにさらなる発展性が生まれると思いませんか?
いま世間一般にあるアヴェイラヴル・ノート・スケールの理論は、即興演奏に対する配慮がふんだんにありますから、「コードはスケールから生まれるものとし、二者を一体化して捉えることで、アドリブの際の不明点をなくす」というような指向性がありますね。

しかし、作曲だけに限定するのであれば、全てのディグリーのインターバルを明示化する必要はありません。全く正反対に考えて、「スケールに不明点を残すことで、スケール理論からは生まれづらかった“中間の表現”を、『多重文脈形体』を理論化して活用することで体系化していく」という発想もできるはずなのです。まさに、コペルニクス的転回です。

多重文脈の活用

Blkの多重文脈性を利用することで、これまで思いつかなかったアイデアを生み出すこともできそうです。

こちらはCC+の繰り返しから始まり、8小節目でF♯blk、そしてそこからBm7へと進み、それをIImと見立ててAメジャーキーの2-5-1-4を構築していくという例です。Blkの文脈多重性を見込んで、ピボットコードとして使用するというアイデアです。

こちらはより面白い例。F♯blkBΔ7へ進み、それをIVと見立てて4-5-1-6の進行ですっかりFメジャーキーへ転調してしまう例。トライトーン反対側への転調にもかかわらず、実にスムーズです。

ピボットコード自体はありふれたアイデアですが、どちらの例でもBlkは知的なトリックを実行しています。Blkに入った瞬間はオーグメントっぽくふるまい、しかし出ていくときにはドミナントセブンスっぽい顔をしているのです。

こんにちは

今回はフレーズのインターバルを慎重にコントロールし、Augの香りをちょっとずつ弱め、ゆっくりと「スラッシュコード系」から「ドミナント9th系」へと変形し、最後の方でM3rdであるA#音を鳴らすことでドミナントセブンスとしてのクオリティを確定させています。

転調の際には、転入先のスケールであらかじめ演奏するというテクニックはよくあります。しかしコードクオリティ自体が変質していくというカメレオンのような挙動は、「多重文脈形体」のコードにしかできません

カメレオン戦略

我々はベース音を聞き取る能力には長けていませんから、コードチェンジの瞬間はウワモノのC+がまず耳に飛び込んでくる。しだいにベースとウワモノが繋がって、ひとつのドミナントセブンスコードとして見えてくる。人間の認知の処理速度の遅さを利用したトリックというわけです。

ですからBlkの存在は、図らずも「縦で区切って」「ひとつに決める」という現代の音楽理論の基本コンセプト、その根底を問いただすのです。楽曲にコードネームをつけて分析するとき、我々は音楽を「明らかにした」と感じます。しかしその情報の解像度は、楽曲そのものが持っている情報量と比べると遥かに粗いものです。理論に詳しくなればこそ忘れてしまいそうな事実を、Blkは再確認させてくれるのです。

Blkの多態性、文脈多重性を利用すれば、実に自由な転調が可能です。

Blkを用いた転調

組み合わせ、重なり合わせの面白さ。音楽の奥深さを思い出させてくれるコードでした。


名前について

さて、けっきょくこの「Blackadder Chord」、どうやっても“単一のコード”と捉えるには広すぎる文脈を持っているという実像が見えてきました。Joshua Taipale氏自身が発見した曲の中にもホールトーン系、テンションコード系、スラッシュコード系の3つが全部入っているわけなので、この名前をどれか一系統だけに用いることも不適切です。

ですからこの「Blackadder Chord」という言葉を使うのであれば、それはこうした一連のコードの「総称」として、あるいは敢えて「多重文脈形体」としてのこのコードを示したい時にふさわしい名前と言えそうです。より正確にコードを示したいならば、シンプルに従来のコードネームを使ってあげるべきです。

「だったらBlackadder Chordなんて名前、なくてもいいじゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、まずこのJ-Popに輸入された文化的意味を重視したいということ、「総称」としてあるぶんには便利であること、それから何より、ひとりで7曲も実例を見つけて採譜もして、動画にしてくれたJoshua Taipale氏に敬意を示したいということ。

Joshua Taipale氏Joshua Taipale氏

この3点から、「Blackadder Chord」という名前をこのサイトでは推していきたいと思います。天体に発見者の名前が付いたりするのと同じ感覚でね。

まとめ
  • Rt・M2・トライトーン・m7のインターバルから成るコードに対し、「Blackadder Chord」という名前が与えられました。
  • Blk Chordは(特に3rdが不定であることから)多数の文脈を持ちうるものであり、Blkはその総称ということになります。
  • Blkは、オーグメント、ハーフディミニッシュ、ドミナントセブンスといったコードの代理として使用することが考えられます。
  • Blkの多重文脈性を利用して、これまでにない音楽の構成法も可能になります。

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