コード理論をはじめる

コード編 Ⅰ章:新しい言葉

#1.そもそもコードって何?

「コード理論」を学んでいく前に、そもそも「コード」ってなんのことなんでしょうか?語感からすると何だかすごく専門的な響きを感じますが、日本語に直せば、けっきょく「和音」のことです。

ひとつの音を鳴らした「単音」に対し、複数の音を鳴らしたものは一応すべて「和音」、すなわちコードです。
3音鳴らせば「三和音」、4音鳴らせば「四和音」。もちろん2音だけでもコードと言えます。
つまりコード理論とは、「音をどんな風に重ねたらどんな風な響きになるかをまとめたデータ集」のようなものです。

例えばピアノの鍵盤をグーとパーでベチャっとやると、こんな音がするはず。

これは、美しくないですね。いわゆる「不協和音」です。しかしうまく音を重ね合わせれば、ただ和音を奏でるだけでも魅力的な音楽になります。

音階の時と同じように、明るい響き、暗い響き、奇妙な響きといった個性が和音にも存在します。どう重ねればどんな響きになるのか? そして、それになんと名前をつけるか? それを解説していくことが、コード理論の中心部分となります。

三和音

#2.長調・短調について

和音の話に入っていく前に、その根幹である「長調(メジャーキー)」「短調(マイナーキー)」の話を改めてさせてください。

クラシック系の理論では、音楽は「長調(メジャーキー)」と「短調(マイナーキー)」に大別できると考えます。音階も「長音階(メジャースケール)」「短音階(マイナースケール)」があって、中心の位置によってそれが区別されるという話は、準備編でありましたね。

長音階
音階の例
短音階
音階の例

でもコレってやっぱり、わかりにくいですよね。白鍵だけを使って作曲したとしても、それが「Cメジャーキー」か「Aマイナーキー」のどっちにも分類される可能性がある。

しかもそれがどっちを中心に感じるか次第なんて、かなり微妙です。全然理論っぽくない。実はクラシックの理論だと、この2つはすごく厳密に分離されているのです

古典派の音楽

クラシック時代は、長調と短調を対照的な存在として定義しました。光と闇、愛と憎しみ、生と死、出会いと別れ・・・そういったコントラストを表現するには、長短をクッキリわけたほうが良いとされたのです。
そして、長調・短調それぞれで使う和音を限定することにより、それぞれの明るさ・暗さを引き立てるような構成になっています

長調はトコトン明るく、短調はトコトン暗く作られていますね。

実はクラシックでは、長短は単に「どっちを中心に感じるか」なんて感覚的な分け方ではなく、もう曲作りの様式がハッキリと分かれているのです。長調と短調で個別に理論が存在している。それがクラシック系統の理論が難しく感じられる理由のひとつです。

近代のポピュラー音楽

しかし時代が移ろうにつれ、より複雑な感情を表現したいと思うようになると、明るい/暗いをクッキリ分ける思想も廃れてきました。明暗を混ぜることで生まれる新しい表現が次々と生まれ、今では長調と短調は一曲の中で混ざっていて、どちらともいえない曲が当たり前です。

上の3曲にしても、いずれも明るいとも暗いとも言いづらいよね。この「どちらとも言えない曲想」が現代においてはスタンダードであり、クラシック時代の長調/短調論にぴったり従っている曲を探す方が難しいくらいです。

クラシック理論は、「大きな歓び」や「深い悲しみ」といった曲想を表現するのには適していますが、「原宿でいやほい」なんていう曲想が必要になってくるなんて、想像もしていなかったことでしょう。「ウィーンでお茶会」なら、あったかもしれませんけどね。

自由派の考え方

ポピュラー音楽世界の実情がそうなのだから、ポピュラー音楽のための音楽理論というのを考えたときには、長調/短調を区別して理論を構築していくと、メリットよりもデメリットの方が目立つことになります。

  • 現代的な「どちらとも言えない曲」を作りづらくなる
  • 「どちらとも言えない曲」を分析する際に、長調と解釈した人と短調と解釈した人とで、記号の振り方が変わってしまう(無駄な混乱が生じる)
  • 長短で分けて説明するから、覚える内容量が単純計算で2倍に膨らむ
  • 現実世界が古典派の短調様式に従っていないので、理論と現実のギャップに苦しむことになる

ですから普通のポピュラー音楽理論では、実は長調と短調は取り立てて区別しない形式も普通にあります。いわば、CメジャーキーとAマイナーキーを2つでワンセットと捉えます。

双子

自由派も当然、このリベラルで現実的な考え方を採択します。この2つをハッキリ区別させなくっても、ここから先の理論展開には全く1ミリも問題ありません。そして万が一「メジャーキーなのかマイナーキーなのかハッキリしなさいよ!!」と迫られることがあれば、シンプルに曲が明るいか暗いかで判断すればよいだけの話です。

総体のトーンが明るくなっていれば長調、逆に暗くなっていれば短調。曲によっては、どちらともつかないものもある。それが自由派の考え方です。というか、古典派の伝統様式を知らない一般的な人間の認識は、それ以外にありませんからね。

Check Point

あるメジャーキーには、対になるマイナーキーが必ず存在する。対になるキーは音階の構成音が同じ(レラティヴなスケール)なので、普通に曲を作っていれば自ずとキーの長短は曖昧になる。

これを良しとしない古典派クラシックでは「長調」「短調」を明確に定義し、それぞれ使うコードを限定することで、キーの長短がクッキリ分かれるようなシステムを作っている。

一方で現代のポピュラー音楽では、長短は曖昧なのが当たり前であるから、キーの長短を区別する重要性が薄い。よって自由派においても、メジャーキーとマイナーキーをことさら区別しない形式で理論を組み立てていく。

これでまず、「音楽はこうあらねばならない」という大きな押し付けのひとつから解放されました。この調子で、禁則ゼロのままコード理論を網羅していくのです。また、伝統的なクラシックの様式についてはⅦ章できちんと扱いますのでご安心ください。

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