ポピュラー音楽理論の流派

音楽理論 序論

さて、前回前々回で確認したおおまかな歴史の流れを、もう一度おさらいしますね。

最小限の音楽理論史超ザックリ理論史

まず古典派理論が確立され、モダン・ジャズ理論が発展し、それが成熟しきった頃にロック音楽などが生まれ、それ以降様々な音楽をミックスして発展してきたのが、近代のポピュラー音楽です。

音楽理論の、二大流派。その中身は、端的なに言い表すならば以下のようなイメージ。

二つの理論

二者は大きく異なり、見解が食い違う部分もある。そして、どちらもポピュラー音楽のために作られたものでは当然ない。それでは、いま世間にある一般的な音楽理論、“普通の音楽理論”はどっちから来ているのかという話になりますね。今回はそこを掘り下げます。

#6 “普通の”音楽理論について

そうは言っても、難しい話ではありません。今の世間一般の音楽理論は、ジャズ系/クラシック系が入り交じって形成されています。そしてその「混ざり方」は実に様々で、ポピュラー音楽理論の形式というのは未だに標準化されていないのです

もちろん「ある程度」で「なんとなく」共通した部分はあります。ジャズ系でもクラシック系でも共通している言葉や内容というのも結構ありますから、「どの本を手に取ってもコレについては見解が大抵一致する」という箇所も当然ある。

重なり構図

ただ流派により見解が食い違ってしまっている部分は解決しようがないですし、コードの表記なんかもかなりバリエーションがあって、今さら統一はできない状態にあります。また本によっては純粋なクラシック系・ジャズ系の理論をそのまま「ポピュラー理論」と銘打って伝えている場合もあるし、ジャズ系をベースにしつつクラシック系の中から基礎的なものだけ抜粋して組み合わさっているだとか、そういった「取り合わせ」が無限に存在しています。

そうしたコンテンツを通じて理論を学んだ人が、また誰かに理論を伝える。そういう伝言ゲームの中でこれまで述べてきたような理論の文化的背景、成立の歴史などは削ぎ落とされて、どの流派のどんな考えから来る理論なのかを知らずに教えている人だって、いる訳なのです。

偉人が誰かは知りませんけど

そうすると話にも尾ひれがついて、「江戸時代のベタ集」だったものがいつの間にか「千年以上に及ぶ偉人たちの叡智の結晶」と呼ばれるようになり、「ジャズの即興演奏のガイドライン」だったものが気づけば「正しい音楽を作るために守るべきルール」になってしまった・・・。

自由派は“独自”を謳ってこそいますが、じゃあ逆に「これを学んでおけば誰とでも話が通じる」という“標準”があるかというと、そんなものはないわけです。というか、流派の“混ざり方”がその人の学んできた環境次第ということを鑑みれば、あらゆる音楽理論書は多かれ少なかれ“独自”なのです。

そして多くの書籍ではそうした流派の説明はされないので、結果として「2冊の理論書で内容が食い違った時にどっちを信じればいいのか分からない」とか、「見解の違う2冊で学んだふたりで口論が起きる」とかいった問題にまで波及して、音楽理論の世界全体の空気がなんだか淀んでいる。そういう現状です。

流派を聴き比べ

では少し話を進めて、クラシックとジャズの“混血種”として今ある一般的な音楽理論は、実際問題ポピュラー音楽にどれくらい適応しているのでしょうか? 流派の違い、理論の違いを実感するために、聴き比べの実験をしてみましょう。

電子音楽×現代の標準的な進行

こちらは何ということもない楽曲のイントロ。ピアノでいうと白鍵だけを使って、基本的なコード進行で成り立っています。いたって普通に聴こえますが、実はこれコード進行がジャズ理論・クラシック理論どちらで見ても禁則だらけです。

見解の相違

こんな具合で、ダメ出しの嵐。でも、現実世界ではむしろこういう進行は最近のトレンドです。聴いた感じも、別に不自然じゃないですよね。なのにこの曲は「理論的におかしい」というレッテルを貼られてしまう。1

電子音楽×古典派の標準的な進行

それでは従来の「型」とはどんなものなのか。まず古典派が「模範」とする型に忠実にしたがって、サウンドは同じままでイントロを作ってみます。今回は日本で一番有名な「和声」という本を360ページほど読み進めて身に付く範囲の知識で作ることにしますね。2

なんでしょう、ミスマッチすぎて逆に何か新しいゆるカワ系ジャンルを切り拓いてしまった気さえしますが・・・まあ、カッコよくはないですね。理論を活用できたとも、到底思えません。ここから見えてくる問題点は3つあります。

  • 偉人たちの感性の結晶と言われたこの「模範型」が、明らかに時代に見合わない旧式の型であること
  • こだわるポイントが現代と違う(徹底した美しさの追求)ため、360ページも読んだわりにはさほど聴き映えが面白くないこと
  • 結局先ほどの禁則だらけの進行はどこまで進んでも教えてくれないので、自力で探すしかないこと

やはりスタートが違うし、ゴールも違う。必然的に、「学んだけど使わない」「学んだけど結局そのルールは気にしてない」といった出来事が重なり、ついには重要な知識も含め理論自体から離れてしまう。そんなことが起こりうるわけです。

電子音楽×ジャズの発展的な進行

一方ジャズはどうでしょう。せっかく斬新なサウンドを追求する理論なので、こちらはめいっぱい高等なテクニックを盛り込んで曲を彩ってみますね。

きっと「なんか気持ち悪い」と感じる人もいれば、「なんかすごい、惹かれるものがある」と思う人もいるかもしれない。何にしても、このジャンルの一般的な価値観に照らしあわせれば、このコード進行は明らかに行き過ぎで、複雑すぎる響き、複雑すぎる展開のせいで音楽が聴きづらいものになってしまっています。ここからも同じように3つの問題が浮き彫りになります。

  • やっぱり基本の「型」がずいぶん違う
  • こだわるポイントが違う(より複雑なサウンドの追求)ため、せっかく学んだ高等テクニックがさほど活きない
  • 結局先ほどの禁則だらけの進行はどこまで進んでも教えてくれないので、自力で探すしかない

もちろんこれは極端な例です。伝統理論にも、ポピュラー音楽と共通したスタイルは含まれています。ただいずれにせよやはり、それ相応の「価値観のずれ」はあるし、何よりどこの部分が現代の感覚とずれているかは自分でひとつひとつ確かめなきゃいけないというのが大変です。
クラシック系、ジャズ系のどちらもが同様の問題を抱えているわけですから、たとえこの2つをどのようにブレンドしようと、既存の枠組みを使う限りは「本質的にポピュラー音楽とずれている」という問題は常に存在しています。

モチはモチ屋

一応念のために補足すると、クラシック理論やジャズ理論がダメだとか使えないということではありません。当たり前の話ですが、クラシックやジャズを本格的にやるなら本格クラシック理論・本格ジャズ理論が間違いなくぴったりで、最強なわけです。

例えば先ほどの古典派の型も、きちんと本来のあるべき楽器編成とジャンルで演奏すればその魅力がハッキリ分かります。

うってかわって弦楽四重奏ですけども、コード進行自体はさっきの時と全く同じです。同じコード進行なのに、妙なゆるカワ感はなくなりましたね。「優雅なお茶会」って感じです。楽器や曲調が変わったことで、この明朗で優美なコードがビシッとハマり、サウンドの魅力も、コードの魅力も十分に引き出されたということです。そしてこの一点の曇りもない美しさは、360ページぶんの綿密な理論がなければまず作れません。

そう!クラシック理論というのは、こういう美しい音楽を前提に作りあげているんですよ。 さっきみたいな大衆音楽に無理やりあてはめて、ダサいだなんてとんだ風評被害です。

そうですね。これはジャズでも同じこと。どっぷりとその流派に浸かることで初めて得られる感覚、理解というものがあります。さっきの奇妙なコード進行を、ちゃんとしたジャズの形式で成仏させてあげましょう。

これはオシャレ! ジャンルの違いや楽器編成の違いによって、同じコード進行でもその「成立度」「納得感」が天と地の差ですね。「ジャンルによって理論の効き目が変わる」というのは不思議な気もしますが、でも当たり前です。ジャズのために作った理論なのだから、ジャズで使った時にいちばん効果を発揮するのです。

いかにも。あんなサウンドで演奏されたって、ジャズの魅力が出るわけないよ! 変な実験はやめてほしいね。ジャズ理論に対する冒涜だ。

お二人の言い分、どちらもごもっともです。それってつまり、こういうことですよね。従来の音楽理論がいう「模範」というのは、けっきょくそのジャンルのために作られた型にすぎないのだ。ジャンルが変われば好まれるスタイルも変わるし、ましてやクラシックやジャズのような古い様式でもって現代の音楽を語るなど全くもってナンセンスなことです。

Check Point

音楽はジャンルごとに個性があるのだから、音楽理論も違って当たり前。根本から目指す音楽性が違っている。だからポピュラー音楽とはかけ離れたクラシックやジャズの理論をいくらまとめ直しても、「ポピュラー音楽理論」にはならない。

確かに音楽理論の中にはジャンルを超えて通じる部分もあるが、だからといって昔の“スタイル”までを「模範」や「原則」として学ぶのはおかしい。ましてや、高度な技法は覚えたとしても、ジャンルによっては使い道がほとんどない。

たまに導入で「ジャズはポピュラー音楽の代表だからこれを学べば大丈夫」とか「ポップスも元を辿ればクラシックだからこれを学べば大丈夫」とかいう甘言を目にしますが、これはハッキリ言ってポピュラー音楽を見下した発言ですね。本当はポピュラー音楽だってもう、十分ひとつの流派を作っていいくらいの歴史と文化を重ねてきているのですから、「古いので大丈夫」なんていうのは、理論のアップデートを面倒くさがっているにすぎません。

つまり、「先人たちが築き上げた知識の集積」なんて言っておきながら、見せてくれるのは結局200年以上前に作られて、もう60年以上更新されていないデータベースそのまんま。その無責任な現状も、「理論を破った先に真の創造性があります」とか、それっぽい言葉で誤魔化しているのです。

教える側

教える側はこの現状をどう思っているのでしょうか? 真意のほどは分かりません。中にはこうした歴史に詳しくない人もいるでしょうし、知っていたとしてもわざわざ貴重な紙幅を割いて自著に不利なことを言うはずがないですよね。

だから流派の話も、もし知っていたとて詳しく触れないでしょうし、むしろその辺を明らかにしないまま「すごい歴史のあるやつだから、すごいんだぞ!!」というアピールに利用されているシーンの方がよく目にします。

自信があるなら勝手にすれば

偉人たちを引き合いに出して「あなたは同じくらい天才なんですか?」と自己肯定感を低下させ、「知らないとデタラメな音楽になってしまう」と恐怖心を植え付ける。こんなの、マインドコントロールの手法と何ら違いありません。

心に枷

こんな言われ方をしてしまったら、心のどこかに「かせ」がかかってしまうのは当然のこと。こんな風に理論を教わってしまうと、「理論的に説明がつかないと気持ちが悪い」「禁則と教わったものはついつい使うのを遠慮してしまう」といった強迫観念に、無意識のうちに縛られることになります。大昔にできた理論で、全部を説明できるわけないのにね。


さて。音楽理論って、なんか怪しい。なんか信用できない。そう思っていたのだとしたら、その直感は当たっています。今の音楽理論の世界というのは、なかなかの”ごまかし”のうえに成り立っています。
同じアートや創造の分野でも、絵画やシナリオの書き方のセオリーというのは一般に受け入れられている。それに比べて音楽理論がよく「不要だ」と言われるのは、現実問題として、理論が作られた時期と今とで音楽に対する価値観がドンドン変わってきていて、従来の理論では効果が薄れてしまうという、音楽ならではの事情があるのです。

音楽理論に学ぶ価値はあるのか

こうなってくるともう、音楽理論を学ぶなんてやっぱり時間の無駄ではないかと、そう思えてきますね。でも、それって結局まとめ方や教え方の問題なのです。その工夫しだいで、全然解決できる課題です。

ココまでずっと悪い側面を話してきたのは、まずそこを包み隠さず明らかにすることで、理論に対する不信感の正体を明確なものにして欲しかったからです。音楽理論には、良いところもたくさんあります。

だからまだちょっと希望を捨てずに、今度は理論を擁護する側の意見を聞きましょう。メリットとデメリット、両方が出揃って初めて正しい判断が下せるわけですからね。

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