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ポピュラー音楽理論の流派

By 2021.09.17序論

さて、前回確認したおおまかな西洋音楽理論史を、もう一度おさらいしますね。

最小限の音楽理論史

めちゃくそザックリですけども、こうなります。「古典派理論」と「モダンジャズ理論」が、理論界における二大流派である。その傾向と特色は、端的に言い表すならば以下のようなイメージでした。

二本柱

まず「作曲」か「演奏」かという“軸足”の置き方が違うし、「型」や「濁り」に対する厳しさにも違いがある。なんとなくクラシック理論の方が厳しいイメージがあるかもしれませんが、逆に「クラシック理論ではOKなのにジャズ理論だとダメ」というパターンも、あります。

そして、どちらも現行のポップス・ロック・EDMといった「狭義のポピュラー音楽」のために作られたものでは当然ない。それでは、いま世間にある“普通の音楽理論”はどっちの流派から来ているのかという話になりますね。今回はそこを掘り下げます。

6 “普通の”音楽理論とは?

そうは言っても、難しい話ではありません。今の一般的な音楽理論というのは、ジャズ理論とクラシック理論が入り交じって形成されています。そしてその“交ざり方”は実に様々で、著者のバックグラウンドがそこに反映されています。

もちろんある程度で共通した部分というのはあります。ただ流派により真っ向から対立する部分もありますし、名称や記号の表記なんかもかなりバリエーションがあって、今さら統一はできない状態にあります。また伝統理論と現実とのギャップに対する向き合い方も、著者によって書き口が異なります。

重なり構図

だから、このサイトの「自由派音楽理論」は“独自”であることを明示していますが、「ポピュラー音楽理論」のコンテンツというのはみんな多かれ少なかれ“独自”ではあるのです。本によってはジャズ理論をほとんどそのままの姿でポピュラー理論と銘打っている場合もあるし、逆にクラシック理論をベースにしてジャズ理論の基礎を上乗せしたものだとか、そういった“取り合わせ”が無限に存在しています。

そして流派の説明をしない理論書も当然あるので、結果として「2冊で内容が食い違った時にどっちを信じればいいのか分からない」とか、「見解の違う2冊で学んだふたりで口論が起きる」とかいった問題が起きたりする。

どちらが標準?

大学と連携関係にある流派なんかは確かにやや強めの勢力として陣取っていますが、それさえもインターネットで世界と繋がる現代においては「ちょっと大きめのコミュニティ」にすぎません。「自分の知ってる理論が標準だ」という自信が、ある意味いちばんミスコミュニケーションの原因になる時代だとも言えます。

だから厳密な意味で“標準”の理論というのはこの世に存在していなくて、もし「流派全般におおむね共通した内容を網羅している」ことを“普通”と呼ぶのなら、それなら自由派音楽理論も十分“普通”の部類に入ります。

音楽理論と音楽性

さて今の一般的な理論は、クラシックとジャズの“混血種”であって、ポピュラー音楽を前提に作られた体系ではない。その理論が、実際のところポピュラー音楽にどれくらい適応しているのでしょうか? 多少具体的な話に切り込みます。

電子音楽 × 電子音楽の型

こちらは何ということもない楽曲のイントロ。ピアノでいうと白鍵だけを使ったシンプルな音楽です。いたって普通に聴こえますが、実はこれ、コードの使い方がジャズ理論・クラシック理論どちらの「型」にも大きく逆らっているのです。

見解の相違

まだFとかAmとか言われてもナゾだと思いますが、とにかく「弱い」とか「逆」とか「不可」とかダメ出しをされまくっていることは如実に分かるかと思います。

でも実際には、こういう型はむしろ最近のトレンドです。現代からしたらもうこれは「型破り」なんて評するほどのモノではなく、ノーマルなパターンとして日常に溶け込みつつあります。ここに、大きな価値観のズレが発生しているのです。

しかし理論の歴史を学んだ今であれば、その理由も分かりますね。人類は型を作っては壊しの歴史を繰り返してきたのですから、昔の理論にない“新型”がいま流行しているのは当然のこと。やはりクラシック/ジャズの理論を流用するだけでは限界があるわけです。

電子音楽 × 古典の型

せっかくなので試しに、古典の型に忠実にしたがって、先ほどの曲を「正しく」修正してみましょう。

こちらは、クラシック理論の「型」を忠実に用いたもの。教本360ページぶんの知識を駆使して、完ぺきな美しさを構築しました! 1 …が、こっちの方がよっぽど違和感がありますね。だってこの型は200年以上昔の型だし、それに「完ぺきな美しさ」というのも、このジャンルが求めているものでは決してないからです。これではあまりにも、お行儀が良すぎて変なのです。

でも“普通の音楽理論書”の中にはこの型からスタートするモノも当然あって、それで学んだ人にとってはコッチが「普通」でさっきのが「例外」ということになります。

電子音楽 × ジャズの型

一方ジャズはどうでしょう。せっかく斬新なサウンドを追求する理論なので、こちらはめいっぱい高等なテクニックを盛り込んで曲を彩ってみますね。

高度で芸術的な音楽が仕上がりました! …が、これもこれで、過剰なテクニックの押しつけになってしまっています。サウンドが高度すぎて、このジャンルの基準からすると不気味に聴こえます。
むろんこれはテクニックの使用を控えめにすればいいだけの話ですが、しかしさっきのシンプルなやつが「例外」としてスルーされたまま、「普通」に理論を修めて辿り着くゴールがコッチだというのは、やはり音楽観の相違を感じるところです。

普通ってなに?

つまり、こういうことです。クラシック理論/ジャズ理論をベースにした“普通の音楽理論”でも、ある程度はポピュラー音楽に適用できます。しかし「基本の型」や「目指すゴール」にはズレがあって、そのズレを補正したり見極めたりするのが他ならぬ学習者側であるという、決定的な問題があるのです。

ましてや「コレ自分はカッコイイと思うんだけど、理論書に例外って書いてたから使うのやめようかな…」なんてことになったら、せっかくのセンスを理論が邪魔することにもなりかねません。

Check Point

音楽はジャンルごとに個性があるのだから、音楽理論も違って当たり前。根本から目指す音楽性が違っている。だからポピュラー音楽とはかけ離れたクラシックやジャズの理論をいくらまとめ直しても、優れた「ポピュラー音楽理論」にはならない。

確かに音楽理論の中にはジャンルを超えて通じる部分もあるが、だからといって違うジャンルのスタイルまでも「模範」として教わるのは、学ぶ側からするとややこしい。現実との擦り合わせを、学習者側がやらなければいけない現状がある。

たまに導入で「ジャズはポピュラー音楽の代表だからこれを学べば大丈夫」とか「ポップスも元を辿ればクラシックだからこれを学べば大丈夫」とかいう甘言を目にしますが、これはハッキリ言ってポピュラー音楽を見下した発言です。
本当はR&Bやロックンロール以降の“狭義のポピュラー音楽”だけでもう十分ひとつの流派を作っていいだけの歴史を重ねてきているのですから、「古いので大丈夫」なんていうのは、理論のアップデートを拒んでいるにすぎません。

「ポピュラー音楽」とは?

20世紀以降の「ポピュラー音楽」の変化を見ることが出来る面白い動画があります。

こちらはレコード/CDのリリース数を元に1910-2019年の各ジャンルの勢力変動を可視化したもの。リリース数だけで音楽の人気を測れるものではないですが、大いに参考にはなります。

最初はオペラやマーチといったクラシック音楽が最大勢力だったところをまずカントリーが抜き、それからジャズやタンゴのようなダンス向け音楽が流行り、ジャズが複雑化して「ビバップ」がランクインする頃から他ジャンルへと人気が移っていくさまを見ることができますね。こうしたジャンルの広がりを見れば、「ジャズ理論=ポピュラー理論」という方程式は、21世紀の今ではもう成り立たないものだと分かります。

伝統理論のすごさ

誤解なきよう補足しますが、クラシック理論/ジャズ理論がダメだとか使えないということでは全くありません。当たり前の話ですが、クラシック/ジャズにおいてはそれぞれが間違いなくぴったりで、最強です。そしてその理論の精錬度は驚異的なものがあります。

クラシック × クラシックの型

例えば先ほど「お行儀が良すぎる」とディスられた古典派の型も、きちんと本来のあるべき楽器編成とジャンルで演奏すればその魅力がハッキリ分かります。

楽器や曲調が変わったことで、この明朗で優美なコードがビシッとハマり、魅力が十分に引き出されました。そしてこの一点の曇りもない美しさは、360ページぶんの綿密な理論がなければまず作れません。

そう!クラシック理論というのは、こういう美しい音楽を前提に作りあげているんですよ。 さっきみたいな大衆音楽に無理やりあてはめて、ダサいだなんてとんだ風評被害です。

そうですね。このレベルの美しさを誰でも再現できるようにしてくれる古典派理論は、クラシックを作る人にとっては本当に有難い存在です。

ジャズ × ジャズの型

「過剰なテクニックの押しつけ」と呼んだジャズの型の方も、ちゃんとしたジャズの形式で成仏させてあげましょう。

これはオシャレ! さっきは不気味に聴こえたものが、ジャズの編成、ジャズのテンポでやったら綺麗にハマりました。ジャズ音楽のために作った理論なのだから、当然です。そしてこんな本格ジャズサウンドを誰でも作れるようにしてくれるジャズ理論は、ジャズ民にとってかけがえのない存在です。

いかにも。あんなジャズとかけ離れた音楽でジャズ理論を評価しないでほしい! 変な実験はやめてほしいね。ジャズ理論に対する冒涜だ。

お二人の言い分、どちらもごもっともです。前回の歴史探訪でも見てきたとおり、こうした伝統理論はそのジャンルのためにトコトン磨き上げられてきたもので、そのジャンルでこそ100%のパワーを発揮するものです。

このようにして見ると、もともと“ジャンル特化”で磨かれてきた理論がそのまま「ポピュラー音楽理論」として転用され、しかもそのせいで過小評価されている現状というのは、過去の理論家からしてもむしろ不本意な出来事だと言えます。

教える側

理論を教える側はこの現状をどう思っているのでしょうか? 真意のほどは分かりません。ただ、数百年をかけて人から人へ伝言ゲームのように理論が伝えられて、ちょっとずつ変革してきたという歴史を踏まえると、理論の各項目が「いつ」「何のために」作られて、「どのように」変化してきたかを把握している人の方が、少数派なのかもしれません。現状と食い違いがあるなとは思いつつ、「理論とはそういうものだ」と割り切っている人もいると思います。

偉人が誰かは知りませんけど

本当は100年200年前の音楽に向けて作られた理論。それを「先人達の叡智の結晶」として教わってしまうと、「理論的に説明がつかないと気持ちが悪い」「禁則と教わったものはついつい使うのを遠慮してしまう」といった強迫観念に、知らず知らずのうちに囚われることになります。

そんなわけで、現行の「普通の音楽理論」は、ちょっと問題を抱えています。同じアート/エンタメの分野でも、絵画やシナリオのセオリーというのは一般に受け入れられている。それに比べて“音楽理論不要説”がよく持ち上がる背景には、理論が現実の変化に追いつけていないという音楽ならではの事情があったのです。

音楽理論に学ぶ価値はあるのか

こうなってくるともう、音楽理論を学ぶなんてやっぱり時間の無駄ではないかと、そう思えてきますね。でも、こうした課題は結局まとめ方や教え方の問題であって、工夫しだいで全然解決できる課題ではあるのです。だからまだちょっと希望を捨てずに、今度は理論を擁護する側の意見を聞きましょう。メリットとデメリット、両方が出揃って初めて正しい判断が下せるわけですからね。

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