目次
4. 調性引力
傾性の初回解説でも述べましたが、音楽理論においては音の関係性を重力・引力・磁力のような力学になぞらえて論じる観念があり、本格的な理論書であっても「引っ張られる(pulled toward)」「引きつけられる(drawn)」といった表現だったり、「gravitation(引力)」や「磁力(magnetism)」といった単語にしばしば遭遇します。
Some scale degrees have melodic tendencies—they tend to move in a certain direction to a specific scale degree. All scale degrees are drawn to 1 ˆ, which explains why melodies frequently end on 1ˆ. We might imagine that 1ˆ exerts a strong gravitational pull or magnetic attraction on the other scale degrees.
音階内の特定の度数はメロディ上の傾性を持つ—それらはある方向へ、特定の音度に移動する傾向がある。すべての音度は1度(主音)に引き寄せられ、だからこそメロディは頻繁に1度で終わる。1度が他の音度に強力な引力や磁力の影響を働かせていると想像してもいいだろう。
Solomon, Jason W.. Music Theory Essentials (p.25). Taylor and Francis.
こちらは2019年刊行のちゃんとしたクラシック理論の書籍ですが、ご覧のとおり、磁力・引力という言葉が登場します。つい先ほど「音重力」というワードもありました。確かに他の音と違ってシが上へと進行しやすいさまは、まるでドという磁石に引っ張られるかのようです。
もちろん本当に音が磁石になっているわけはなくて、これはあくまでも比喩であり、だからこそ上の引用文でも“想像”と言っています。とはいえこういった表現は説明においても実践においてもイメージがしやすく便利なものです。そこで自由派音楽理論でもこの考え方を取り入れ、音の安定/不安定や進行傾向など調性音楽におけるメロディの様々な性質をひっくるめて調性引力Tonal Gravitationと呼ぶことにします1。そして、それにまつわる諸論を「調性引力論」と呼びます。
例えばこれまでだと、「四七抜き音階」の音楽的性質について、傾性の概念を取り入れることでそのメカニズムはとても理解しやすくなりました。これは今後さまざまな音階を学ぶときにも同じです。“引力”というコンセプトで音階やメロディへの理解を深めていくのが、調性引力論です。
例外と未習領域
さて、基本原則はドミソの3音に他の音が引きつけられるという構図でシンプルですが、しかし現実はもう少し複雑です。今回解説した内容では説明しきれていない部分について、少し補足をさせてください。
慣性の法則
ある音の進行傾向というのは、実際にはその手前のメロディの流れというのも行き先に当然影響してきます。典型的なところでは、例えば「ド-レ-ミ-ファ」と順に音の階段を登ってきていたら、そこから「ソ」へ進むことは十分自然な流れとして受け取れます。
このメロディを聴いて、「おお、ファが傾性に逆らってソへ上行する、なんて力強いメロディなんだ・・・」とは、思わないですよね。むしろ自然な成り行きでトントンと上がっていったように感じる。喩え話を続けるなら、いくら磁石で引っ張るにしても、勢いよく進んでいるものを逆向きに引き止めるのは大変です。一度投げられたボールは、その方向へ飛び続けようとする性質がある。
音響心理学の世界では、この「メロディが同じ方向に進み続けることを期待する心理」をまた物理学になぞらえた比喩で慣性Inertiaと呼び、研究対象のひとつとなっています2。 ただこうした長めの前後関係まで考慮に入れようとすると、いよいよ複雑すぎで運用が非現実的になってくるので、このような側面の影響は切り捨てて理論を展開していきます。
短調の場合
もうひとつ。ここまでドが中心音という前提に沿って進んできましたが、短調においてはラがリーダーです。そのため短調の環境においてはラが最大の安定音となり、一方でソはラへと解決する傾性音という風に、立場が逆転します。
これについてはコードの理論もかなり絡んでくるので、後の章になってから改めて解説します3。
その瞬間のコードとの関係
それから、たいへん重要なのにもかかわらずまだ説明できていないのが、コード進行との関連性です。メロディの不安定さはその場のコードにもかなり影響されるため、強傾性音であってもコードに支えられていればそのまま長く伸ばしたり、遠くの音へ跳んだりといった様々な選択肢をとりやすくなります。
ただその解説に行くにはまずコード理論の基礎を把握する必要があるので、これも解説するのはII章以降となります。けっきょくのところまだI章の半ばなので、メロディのことを深く理解する道はまだまだ先まで続いているということですね。
さて、傾性を詳細に扱って分かったことはふたつ。まず音楽はやっぱり自由であるということ。たとえ定石の逆を行ったとしても、それがその曲にはピッタリということがあります。そして第二に、そうだからこそメロディのひとつひとつの動きにいかにメッセージやストーリーを込められるかが大事であるということです。
例えば「流れるような穏やかさ」を表現したい時には、「ファ→ソ」のような引力に強く逆らうラインはあまり好ましくない。「割り切れない気持ち」を表現したいのであれば、あえてシのような不安定な音で伸ばしてみたらハマるかもしれない。そのような感覚を養う中で、表現したい物事をリスナーに伝わる形で具体化する、その精度が高まります。そしてその能力を、人は“表現力”と呼ぶのです。
まとめ
- メロディの各音は異なる「傾性」を持ち、安定性や解決の方向が異なります。
- レ・ラは中傾性で使い勝手がよく、あえて解決しないという方法も、比較的容易に曲想として活かすことができます。
- シ・ファは強傾性で、「シ」の伸ばしが効果的である一方で、「ファ」を解決なしで効果的に聴かせるにはコードも交えた技術が要求されます。
- 「傾性」は、実際にはコードや前後関係の影響を受けて変化します、後々はコードとの関係性をもとにより深く理解することが望ましいです。