目次
7. 音楽理論の価値
さて、前回は現行の“ポピュラー音楽理論”の悪い部分を明らかにしました。でもそれというのは工夫次第でいくらでも改善できるものです。だからそこの話は一旦置いておいて、今回は逆に音楽理論の良い側面に注目して、音楽理論賛成派の方にも耳を傾けてあげたいと思います。最初に話した「3つのレイヤー」に分けて、それぞれのメリットを見ていきましょう。
名前レイヤーの効果
まず「名前」の知識を得ることのメリットはすごく簡単で、目に見えない音という存在をデータ化(言語化)できるということに尽きます。
目に見えない芸術というのは、考えてみるとすごく特殊な分野ですよね。ですから音楽理論の重要性というのは、絵の理論や英文法とは同列には語れません。20世紀の有名な音楽学者ハインリヒ・シェンカーは、音楽の特質をこう述べています。
全てのアートは、音楽を除いて、自然や現実から反映したアイデアを基にしている。自然が様式を与えてくれる。アートとは言葉や色や形の模倣なのだ。音楽だけが異なっている。本質的に、自然と音楽の間には明確なアイデアの関連性は存在しないのである。(中略) 我々人類は、音楽を発展させたことを、他のアートと比べてもっと誇りに思うべきだ。
“HARMONY”より, 著:Heinrich Schenker
言われてみれば確かに。目の前の景色をそのまま紙に写せばそれが「絵画作品」になりますが、作曲は無からフレーズを生み出さねばなりません。その“ゼロからイチへ”のハードルの高さ、壁が音楽にはあります。
目に視えない芸術
人間の最も発達した感覚といえば、視覚ですよね。その分析力、記憶力、語彙力・・・どれをとっても圧倒的です。
例えば上の絵をごらんください。2012年に話題になった、「スペインのおばあちゃんが修復に失敗したキリストの壁画」です。左側の絵画を修復しようとがんばった結果、右側のような出来栄えになってしまったという、そういう事件です。これは・・・・・・まず似てないですね。そしてへたっぴということが一瞬で分かりますし、なぜ似てないのかを説明しろと言われたら、様々な言葉を使って問題点を指摘できます。
などなど、かなり具体的なツッコミが次々に思い浮かぶでしょう。じゃあ、これが音楽だったら?
こちらはお馴染み、坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』です。暗くて静かで冷たさがあって、すごく魅力的な曲ですね。このメインパートに憧れて、フレーズを作ってみたとします。
いかがでしょう。この曲は果たして、暗くて静かで冷たい雰囲気を出せているのでしょうか? 冬の情景が描けているのでしょうか? …絶対に絵画の時ほどスラスラとは分析の言葉が出てこないはずです。目と耳の圧倒的な差が、ここにあります。色の明暗や色彩なら、私たちはすごく繊細に分かります。100色の色鉛筆セットがあっても、一番ぴったりの色をパッと選べます。でも音楽では、どう鳴らせば“ぴったりの音”になるのかがそもそも分かりません。
データ化されないと、分析ができない
実は先ほど聴いてもらったピアノ曲は、圧倒的にヘタクソです。理論的に見ると実は“冷たさ”とは正反対で暑苦しい表現がたくさん詰め込まれています。このままでは、自分が本来表現したかったイメージが相手にしっかり届くことはなかなかないでしょう。
創造は模倣から始まると言いますが、音楽においてはそもそも正しく模倣できているかどうかさえも定かでないわけです。さらに、仮にうまくマネできなかったと感じたとして、何がダメなのかを分析することがまた困難です。「アゴひげと髪の境目なくなってカオナシみたいになっちゃったなァ。次は境界線を描くか、色を分けるかしよう」という反省自体ができないという状況なのです。
データ化されないと、記憶ができない
言語化されていない音情報は、脳のメモリにしまったり引き出したりするのが容易でありません。それは単純に、もったいない。音を言語化すれば「最近この手法流行ってるなあ」「この展開は面白いなあ」と記憶できる情報を、みすみす捨てているということですから。
たとえば洋画を100本観て英語力の上達を図るとして、文法がゼロの状態でやるのと、いくらか分かってる状態でやるのとでは、成果はかなり変わるはずですよね。
音楽も全く同じこと。音を言語化できない状態で何千曲聴き、何十曲コピーしたところで、記憶できずに流れていってしまう情報がかなりたくさんあって、それだけ損をしていることになります。ある曲とある曲で同じパターンが使われていたとしても、それに気づくきっかけが聴覚記憶しかないので、スルーしてしまう可能性が高いわけです。
これがもしデザインの勉強だったら、ちょっと意識するだけで価値ある情報が次々と目に飛び込んできます。
これらのロゴに共通するものが、パッと見た瞬間に分かる。そして「ブルーにイエローを合わせると見映えがいいなあ」とすぐさまに言語化して記憶ができる。それは我々の視覚が優れていて、かつ色の名前を語彙として持っているからです。言葉があって初めて、知識は体系化されていきます。
音楽理論を知らないというのは、言語という人類のとてつもない発明を、音楽に対して使わずにいるということなのです。
用法レイヤーの効果
「用法レイヤー」のメリットもすごく単純明快で、時間の節約になることです。用法レイヤーは要するに、効果的な音の使い方が大量に保存されたデータベースです。理論を意味する英単語“Theory”はときに「定石」の意味で使われますが、この用法レイヤーはまさに定石集のようなもの。
要はスピードの問題で、限られた人生の時間をもうとっくに世間に見つかっている定番ワザを自力で見つけ直すのに使うなんてもったいないな、サッサと教わっちゃって、そのうえで自分のオリジナリティやアイデンティティを追求しよう…というのが用法レイヤーを学ぶ人のマインドなわけです。
このあたりは、数学の「公式」と似ています。頑張れば、公式を使わなくても同じ答えに辿り着けるかもしれない。でも、そんなことするより公式を教えてもらった方が圧倒的に速い。だからみんな公式を勉強するんですよね。
作りたい時期もあって当然
もちろん「今は勉強とかいうんじゃなく、とにかく自由に作りたい!」という時期もあって然るべきでしょう。それもすごく大切です。その時の作曲経験は、いざ理論を勉強する時にもかなり助けになります。やっぱり実戦経験があれば、「ああ、コレってこんな名前だったのか」と“復習”の要領で勉強できますし、自分で「これはイイ!」という手法を見つけるのも楽しいし、それが後になって理論で紹介されたりすると、「わたし、センスあるじゃん!」っていう自信にも繋がります。
だから、《音楽理論は学ぶべきなのか?》という問いを立てるよりも、《音楽理論を学ぶとしたら、そのタイミングは今なのか?》という風に考えると、結論が出しやすいかなと思います。
様式レイヤーの効果
「様式レイヤー」のメリットも、基本的には「用法レイヤー」と同じですね。様式レイヤーは、簡単に言えばジャンルごとの違いやアーティストの特徴を明確化してくれるものです。
例えばJ-Popと洋楽とでは、コード使いの傾向に明確な差があります。あるいは民族調、クラシック調、ジャズ調・・・そういったジャンルごとの様式は、自力で研究するのはかなり大変ですからね。
様式は自力で習得できる場合も
逆に言うと、「自分はもうこのジャンルしか作らないし、このジャンルの感じはだいたい掴んでる」という人にとっては、理論の重要性は落ちます。特にパンク・ロック、EDM、ヒップホップなんかは使うコードもシンプルだし、メロディの節回しも割と決まっていますから、理論を学ばなくてもカバーや耳コピなどでそのジャンルの流儀が身に付く可能性は十分にあります。
こういうシンプルな形式の音楽であればあるほど、理論書に載っているような複雑な技法を学ぶ価値自体が低まることは否定しません。それは前回やった音源の比較実験でも明らかなとおりです。
だからこのサイトの目次のページには大量の記事が並んでいますが、あの全てが実践に役立つという人は多くないはずです。基本の基本だけ学んで後はセンスと経験で補うという選択肢も当然考えられますし、それを決して挫折とか頓挫とは呼びません。そして、“見よう見まね”でカバーや耳コピで身につけた技術が、理論的知識より低級だとか低俗だとかいうことも全くありません。それもそれでれっきとした生きた知識です。
8. 理論を学ぶデメリット
音楽理論と言えば、よくセンスや感性が失われてしまうという懸念がされます。そこも簡単に確認しておきましょう。
もちろん、100年200年前に作られたシステムを唯一絶対の正しい音楽理論であるかのように教わった人が、型にはまって苦しい思いをするのは当然のことです。
そんな邪悪なコンテンツに出会ってしまった不幸を嘆くしかありません。でもあなたはもう、音楽理論の正体をちゃんと知っています。理論をマスターした巨匠たちが、バキバキに理論を破壊してきた歴史も知っています。そんな今であれば、理論によって自由な精神を奪われることはないはずです。
色の名前を知ったら自由に絵が描けなくなるのでしょうか。シナリオの定番パターンを知ってしまったら、もう奇抜な展開が思いつかなくなってしまうのでしょうか。そんなわけないですよね。むしろ逆で、“お約束”を知ったらそのぶんだけ斬新なアイデアも思いつきやすくなるものです。
理論と感性は、そもそも対立関係にありません。感性を活性化させる道具のひとつとして、理論があるのです。
ワクワクの喪失
ただ確かに、「こうすれば疾走感が出るよ」「こうするだけで今のロックの流行スタイルになるよ」などといわば“タネ明かし”をされてしまうわけですから、興醒めする気持ちはあるかもしれません。それは言ってみれば、目の前にたくさんの絵の具があって、混ぜたらどうなるだろうとワクワクしてる時に、「紫が作りたかったら赤と青を混ぜるんだよ」って、先に言われちゃうってことですから。
ただし、理論学習をスタートした後でも、まだ学んでいない領域が残っている限りはそこをセンスで対処することになるし、理論が取り扱わない領域というのも当然ありますから、作曲作業自体にはたくさんのワクワクが依然として残ります。
音楽との接し方の変化
もうひとつ怖いのは、なまじ理論を知ってしまったばっかりに、理論で見える部分だけしか見なくなってしまう危険があります。例えば曲のコード進行だけを抜き出して、「この曲もこの曲もみんな同じコードだ、つまらん」などという結論を下してしまう。本当はそこにどんなメロディが乗るか、どんな歌詞か、どんなサウンドか、そういう組み合わせにこそ音楽の奥深さがあるにもかかわらずです。
他にも、「ド定番と呼ばれる手法が結局やっぱり聴いてて気持ちがよくて、ついそれを使ってしまう。それが没個性でカッコ悪いことなのではと悩んでしまう」みたいな妙な悩み方をしてしまう可能性もあります。
この辺りは心がけや考え方しだいで防げることではありますが、まあ理論を学ぶ前ならば生じ得ないリスクとして、こういった類のことは考えられます。
だから、ひとまず自分で色々試したいという時期は、絶対にあっていいです。でも忘れてほしくないのは、その初歩レベルでのロマンよりも遥かにワクワクする世界が、理論を学んだ先には広がっているということです。
音楽理論のメリットの話は、これくらいで十分でしょう。「データ化」と「時間の短縮」。この2つは、単純ですけど、絶大なものですからね。つまるところ音楽理論とは、音楽の情報テクノロジーです。音を記憶し、分類し、再構築するための言語であると共に、過去の情報が集積されたデータベースでもあるわけです。
Check Point
音楽理論の本質は、音をデータ化する“言語”としての機能である。目に視えない音は、言語化によって初めて効率よく記憶・分析・記述することが可能になる。
また、その言語を獲得することで、何がどんな曲想を生むのか、何が定番で何が斬新なのか、あるジャンルやアーティストを特徴づけるものは何なのかといった、必要な情報を調べて学習することも可能になる。
音楽理論を学ぶことで、「全てを独りで手探りする自由」を失う代わりに「独りでは一生かけても探しきれないものを知る自由」を得ることができる。
けっきょく、流派をどうすれば?
やっぱり音楽理論がもたらす利益というのは、計り知れないものがあります。もしまだ理論をほとんど知らないという状態であれば、もう数歩だけ足を踏み入れるぶんには、メリットの方が勝つ見込みはかなり高いはずです。
しかし、いざ勉強するとしても、どの流派を選べばいいかという問題があります。クラシック理論もジャズ理論も、そのミックスで作った“普通の音楽理論”も、現代の音楽には対応しきれていない部分があるという話でした。
次回はその問題をどういう風に解決するかを考え、最終的に今音楽理論を学ぶべきなのかどうかの結論を下します。
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