目次
5. ジャズ理論の発展
ここまではヨーロッパがずっと話の中心になって進んできました。一方で現在のポピュラー音楽の理論史において重要な舞台となったエリアがもうひとつあって、それがアメリカ大陸です。ここからは視点をそちらに移して、重要なピースをいくつか拾い上げていきたいと思います。
19世紀 : メロ-サビ形式の確立
18世紀後半に国家として独立したアメリカは、19世紀に本格的に自国の音楽文化を発展させていくことになります。そこで出来上がったのが、現代でもお馴染みの、とある楽曲形式です。ちょっと曲を聞いてみましょう。


スティーブン・フォスターはアメリカ音楽の父とも称される作曲家で、『やさしきネリー』は妻を亡くした黒人奴隷を歌ったバラード。『大きな古時計』は、和訳版が日本でも有名ですよね。
楽曲のパート構造を見てみると、まず『やさしきネリー』の方はシンプルなAメロが2回繰り返されて、そしてサビでタイトルを含む歌詞が出てくるという形。そして『大きな古時計』の方は若干分かりづらいですが、まあAメロ2回→Bメロ→サビという風に見ていいでしょう。
つまり、「メロ-サビ形式」というフォーマットがこの時点で出来上がってるんですね! 実はこの形式がアメリカで定着したのが19世紀だといいます1。
メロ-サビ形式はご存知のとおり、おそらく現行のポピュラー音楽でもっとも基本的な形式です。ヒップホップでも「ヴァース-フック」、EDMでも「ビルド-ドロップ」という類似のフォーマットが採用されていますね。音楽は自由といいつつも、多くの歌曲がこのフォーマットに従って作曲されている。私たちにはもうそれが当たり前すぎて特に意識はしないことですけど、これも立派な理論のひとつです。
19世紀 : ラテン系リズムの発展
それからもうひとつ、現代のポピュラー音楽を理論的に分析するうえでは、いわゆる“ラテン系”のリズムの存在は外せません。ラテン系リズムというのは、主にキューバやブラジル、アルゼンチンなどラテンアメリカ圏で発展したリズムたちの総称。軽快で踊りたくなるようなラテン系リズムは、現代ポップスの日常的なパターンとしてあらゆるジャンルに入り込んでいます。
- ラテン系のリズムパターンたち
こうしたリズムは、そもそも16世紀以降アフリカから奴隷として連れてこられた人々の音楽性が現地の文化と交わる中で発展していったもので、19世紀までには後のサンバやルンバ、サルサやレゲエなどに繋がる多彩なダンス音楽が南米やカリブ諸島で生まれていました。


こうしたジャンルのリズムパターンはけっこう体系立てられていて、基本の型があって、並びを入れ替えたり音をずらしたりしてバリエーションが作られて、それらにもまた名前がついていたりして、ある種の理論を成しています。
そのようなリズム理論は、普通の“音楽理論書”には載らないことがほとんどだと思います。でもポピュラー音楽を分析するうえでは欠かせない知識で、 学術界でも熱心に研究が進んでいる最中ですし、このサイトの「リズム編」でもこういった中南米由来のリズムを一部紹介しています。
ということで19世紀のアメリカ大陸では、ヨーロッパの“いかにも理論らしい”理論とは毛色こそ異なるものの、ポピュラー音楽に繋がる重要な理論が現場の知恵として育っていました。
20世紀前半:ジャズの発展
20世紀に入ると音楽はさらに目まぐるしい勢いで変化していきますが、理論史という観点から見ても決定的なイベントがあって、それがジャズの誕生と発展です。
ジャズは19世紀末-20世紀頭にかけてアメリカ南部で、ブルースやラグタイムなどいくつかのジャンルがミックスされて生まれたもの。それが特に1920年代ごろから大衆的人気を博していき、ダンスホールなどでジャズが演奏されるようになります。


いわばジャズが当時の“パリピ”たちにとっての最先端のダンス・ミュージックだったわけです。今でこそ高尚なジャンルとして見られているジャズですが、この時はまだ低俗な音楽とみなされていました。
しかしジャズも次第に芸術性を増していき、1940年代に少人数編成での激しい曲展開や即興演奏を特徴とする「ビバップ」というジャンルが生まれ、より技巧を追求していくことになります。
「即興」といってもその場でゼロから曲を生み出すわけではなくて、元となる曲があって、その原型をある程度は残しつつアレンジを加えたり、伴奏に対しその場で考えたメロディをあてたりします。
こちらは実際のパフォーマンス映像。冒頭でまずチャーリー・パーカー(サックス)とディジー・ガレスピー(トランペット)は全く同じフレーズを弾いていて、これはもちろん即興ではなくて決められたメインテーマです。そのパートが終わった後から、サックスのアドリブソロパートが始まります。伴奏するミュージシャンたちも、大まかな演奏内容までは決まっていますが、楽譜で完全に指定されてはいないので、それぞれが自分なりにアレンジしたうえで演奏しています。
このようなビバップの時代からしばらく続いた新しいジャズたちのことを「モダン・ジャズ」と呼びます。
即興演奏のためのルール/システム
音楽理論の歴史のうえで、この即興演奏ブームはかなりショッキングな出来事でした。複数人がセッションをして、楽譜もなしにその場でひとつの音楽を作り上げる——。もし各メンバーが気の向くままにプレイしたら、すぐに音楽がグチャグチャになってしまうことは、想像に難くないでしょう。
どんな風に崩せばいいのか、どこまで崩しても音楽は原形を保てるのか、自分が弾くつもりの内容を相手に伝えるにはどうすればいいのか…。こればっかりは、緻密で完ぺきな作曲が大前提だったクラシック理論書ではどれだけページをめくっても載っていません。アドリブ演奏に最適化されたニュータイプな理論へのニーズが高まってきました。
こうした世間の動きを受けて、1940年代にはバークリー音楽大学の前身となる「シリンガー・ハウス」がジャズを中心とした音楽教育を始め、ノーステキサス大学では全米で初めてジャズの学科が設立されました。そしてジャズ特化のニュー理論の書籍化が進んでいったのは1950-60年代ごろだといいます2。 主にボストンやオハイオといったアメリカ東部から、有名なジャズ理論家が輩出しています。


ジャズ界はクラシック理論から多くの用語や概念を引き継ぎつつ、ジャズにフィットするように細部までカスタマイズしていきました。
新しい理論が練られ、大学ができて、理論書ができた。ここに新しい一大流派、モダンジャズ理論の誕生です! こうした理論書は「こういう場面ではこういう演奏をすればいい」というアドリブ指南書のような役目も果たしたわけですが、そこで「アドリブ演奏時のガイドライン」として生まれたものがまた“禁則”として現代まで語り継がれているのです。
ジャズも「型の破壊」へ
なお、理論家たちが必死に理論を整備している間もトップアーティストたちはどんどん前衛的な方向へと進んでいきます。


メロディが口ずさめないどころかリズムさえも不規則に流動し、もはや一般大衆には理解できないような世界へと突入していきました。こうしたジャズは当然ながら、一般向けに作られたモダンジャズ理論には沿っておらず、彼らが考えた別の方法論によって成り立っています。
普通のことがしたければ普通の理論を使い、斬新なことがしたければ自分たちで理論を考える…。このジャズの動向は、先ほど見たクラシック音楽界の流れと似ています。できあがった型をぶっ壊すのは、もはやアーティストの使命なのかもしれません。
20世紀後半 : 様々なポピュラー音楽の発展
そうしてジャズが難化して大衆から離れていく中で人気は他のジャンルへと移ろっていき、1960年代にはイギリスからポップスのシンボル的存在であるビートルズも登場し、ジャンルの多様化はさらに進んでいきます。
こちらはいずれも1960年代の音楽で、音質こそレトロに感じるかもしれませんが、中身としてはハードロック、シンセポップ、レゲエ、ファンク、ボサノバなどなど、ここまで来てようやくいわゆる現代のポピュラー音楽と編成や様式面で直接一致するところまで近づきました。
こうした音楽の源流としてあるのは、主には先ほどみた19世紀アメリカのポップスやラテンアメリカの音楽、そしてブルースやカントリーといった20世紀以降の諸ジャンルなど、本当にたくさんの要素が混ざりあってできています。もちろんクラシック・ジャズの影響もたくさんありますが、かといって彼らの“直系の子孫”と言えるかというとかなり微妙です。
ポピュラー音楽理論の現在地は?
そこで、この新しいブームに伴って理論家たちがまた新しい理論系を生み出したかというと、残念ながらそうはなっていません。理論開発がさほど進まなかった理由はたくさん考えられますが、ミュージシャンからの需要が高まらなかった、従来理論の流用で事足りていたなどなど、ありそうな要因はいくらでも挙げられます。ともあれ、クラシック理論・ジャズ理論と拮抗するようなポピュラー音楽のための「第三の流派」が体系的に確立されることはありませんでした。
もちろんポピュラー音楽が全く研究されていないわけではなくて、特に21世紀以降にはロックやEDM、ヒップホップなどを理論的に分析する議論はアカデミック界隈でもたくさんなされています。しかしまだまだ個別の研究という感じで、ひとつの大きな流派と呼ぶレベルには至っていません。
ポピュラー音楽理論は今ほんとうに“夜明け前”のところにいて、たとえばちょうど今年 2025年の秋期から、アメリカ最古の音楽院であるピーボディ音楽院で「ヒップホップ専攻」の学士課程がスタートします。順当にいけば、前世紀にジャズが辿ったような歴史をこれからヒップホップが辿ることになるでしょう。ポピュラー音楽理論は今まさに成長している途中なのです。
理論の二大流派
そんなわけで、今現在でも「音楽理論」と言えばまず「古典派理論」と「モダンジャズ理論」がメジャーな“二本柱”として立っていると思ってもらえれば、イメージとしてかなり実像に近いと思います。細かな理論パーツは他にも色々あるにせよ、一般的な音楽理論書で柱となっているのは大概この2つです。
ですから今我々が音楽理論を学ぼうとするとき、どちらの流派を選ぶかで中身はずいぶん違ってくるんです。共通部分もありますが、逆に基本レベルで考え方が食い違っているところもあります。またクラシック理論・ジャズ理論と言ってもその中身は時代やサブジャンルによって違うし、もっと言えばそれらすら結局は欧米の一部の音楽の理論にすぎません。
改めて見れば、すごく狭い世界の話です。この範囲の外にも独自の理論体系を持った音楽はたくさん存在しますし、あるいはジャンルなんて関係なく数学的に音楽を記述しようとする“理系”の音楽理論だって存在します。だから音楽理論というのは決してひとつではありません。音楽理論とは、ある範囲の音楽を主なターゲットとして論じる数々の人為的システムの“総称”なのです。
こうやって歴史を眺めれば、「音楽理論とは人類が気持ち良いと感じる音の法則集である」といった宣伝はいささか誇張であると分かります。そして音楽は常に変化していくのだから、この2つの理論にあてはまらない表現が現行の音楽で好まれていたとしても、それは何ら不思議でない、当たり前のことです。
ルールの正体
改めまして、この話の中で、「禁則」というワードは2回登場しました。ひとつは、古典派の人々が定めた“標準型”から外れた表現たち。もうひとつは、ジャズ界が制定した「アドリブのマナー」から外れた表現たちです。
どちらも限定的な話であって、強いてルールという言葉を使うなら“ローカルルール”にすぎません。言ってしまえばクラシックは西欧の一部の国々のローカル音楽で、ジャズもアメリカで生まれた数あるジャンルのうちのひとつです。
「型破りを目指すならまずは型を学んで…」という言葉は一理ありますが、型はジャンルによって全く違います。だからもしあなたが作る音楽がロックなら、知るべきはむしろロックの型であって、みながみなクラシックかジャズの型から入らないといけない理由などどこにもありません。
このサイトでもこうした理論が唱えるルールは紹介しますが、あくまでも守った場合・破った場合それぞれに面白さがあるという観点から解説します。盲目に従うのではなく、主体的に判断し、場面に応じて理論を活用する。それが理論を「従える」という言葉の意味です。
さて、これで歴史探訪は完了です! 大変でしたが、これを読み通したことの価値はとても大きいです。音楽理論の極めて根本のところに対する理解が深まりました。
- 音楽理論はひとつではない。全ての音楽に通用する音楽理論はない。
- 常にその時代の流行や様式が、音楽理論に反映されてきた。
- だからこそ、目的に合わせて複数の理論を使い分けることもできる。
- 常に音楽理論は作曲家によって破られ、そこから新しい音楽が生まれてきた。
- その新しい音楽をまた理論化するというサイクルを繰り返してきた。
音楽理論の本当の姿を知ったことで、心持ちがずいぶん自由になったのではないかと思います。次は、明確な流派が存在しない中で、いわゆる現行の「ポピュラー音楽理論」の中身というのはどうやって構成されているのかを確認します。
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