古典派長調の様式

コード編 Ⅶ章:古典の世界

ここからの内容は、長らく東京藝大の教科書であった「和声」という書籍と、それより後発の教科書である「新しい和声」という2つの書籍を最も参考にして作られています。


もちろん参考文献に挙げたような洋書も参考にしています。

「和声」は三巻組の巨大な理論書で、古典派の典型的な音の流れが極めて詳しく説明されています。本のタイトルがズバリ「和声」というのはちょっと紛らわしいので、今後この本を呼ぶ時には、著者の名前をとって「島岡和声」と呼ぶことにします。
一方で「新しい和声」の方は、世界的標準に合わせた和音の表記が導入された後発の新教科書です。こちらは一巻完結。

ただ前回宣言したとおり、まずは難しい「和声学」よりも先に、クラシックらしさに直結する「古典派の様式」から学んでいきます。ここでは、なるべくこのサイトのコード編の順番にならって様式を紹介していくことで、「ポピュラー理論ではこうだけど、古典派ではこうだ」というのを順に理解していく形に致します。

§1 古典派長調のチェック

クラシックが長調と短調を明確に切り分け、それぞれ使うコードを限定しているという話は、コード編のはじめにしました。まずは長調の方の様式を紹介するところから始めようと思います。

まずは、改めて古典派の長調がどれほど明るいかを再確認しましょう。

ハイドン

パッと聴いただけでも、とにかくI・IV・Vの和音だけで大部分を構成しているのが分かりますね。まさに、何の悩みもない貴族のための音楽という感じです。

サリエリ

映画「アマデウス」でおなじみの、イタリア人作曲家アントニオ・サリエリ。やはりシンプルで極端に明るいコード進行をしています。

モーツァルト

サリエリ同様、底抜けに明るいコード進行で、「ソファミレド」や「ミファソラシド」「レーミファミ」といった定番フレーズを使い倒しています。こうして聴くとやっぱりモーツァルトはリズムの緩急がすごい。メロディが踊っているかのようですね。

エティエンヌ・ユメール

こちらはフランスの作曲家。国は変われど、明るいサウンドは全く変わりません。

どれにしたって、もうビックリするくらい明るいですね。これが古典派の長調。ポピュラー音楽の長調とは明るさのケタが違うのです。

§2 古典派長調のコード体系

古典派はコード進行に関するルールがすごく厳しいという話でしたよね。まずは古典派長調を司る基本のコード進行形式を見てみます。

コード進行図

ちょっと意図が判りにくいかもしれないので補足すると、たとえばIImVには直接矢印は繋がってないですが、進行可能です。右上の黒い矢印が、「S群からD群へは何だって進めますよ」と示しています。同様に、VImIImVImVなども可。ただ長調でマイナーコード2連発というのは、実際にはあまり無いですけどね。表にまとめると以下のようになります。

進行元 進行先
I すべて
IV IIImV
V IVIm
VIm VIV (稀だがIIm)
IIm V

「接続系理論」が頭に入っている人にとっては、古典派の様式はすごくカンタンです。三行でまとめられます。

  • IIImは原則非使用
  • 使うのは四大接続(A¹・B¹・C¹・D¹)のみ
  • ただしIImVへしか進めない

補足しながら説明していきますね。

IIImは原則非使用

ロマン派以降の作品ではIIImの使用はいくらでも見受けられるのですが、古典派ではこの和音は驚くほど使われていません。近い存在であるI/IIIの方が圧倒的に愛用されているのです

そのため和声学書におけるIIImの扱いはかなり小さくて、転回形やドミナントセブンスの話をみっちりした後に、おまけのようにちょこっと扱われるのが普通です。

使うのは四大接続のみ

これはもう「接続系理論」の冒頭で説明しましたが、古典派は流麗なコードの流れが基本です。全ての「2族」と「E型」は使用せず、聴きやすいコード進行だけで曲を構成します。ただし先へ進んでIIImが紹介された時に、そこでIIIImという進行だけは応用的な存在として許可されることになります。

IImの扱いが限定的

古典派におけるIImの役割というのは非常に限定的で、Vに進む手前の「タメ」としてしか使われません。IV-Iの終止はあっても、IIm-Iという動きは基本的にナシ。
またVImについても、あくまでもスパイス程度の使い方をすべきで、短調に聴こえてしまうような大々的な使い方はしません。

VII番目の和音について

また、自由派が基本から除外しているVIIm(-5)は、古典派長調においても基本的に非使用で、限定的な用途しか持っていません。

ただ面白いのは、同じ構成音のコードが「V7のルートを消したもの」という認識で登場することです。

V7の根音省略

このような和音は「根音省略形体」と呼ばれ、島岡和声を含むいくつかの和声本では、和音の数字にスラッシュを入れるという独特な表記をします。「見た目が同じだから一緒じゃん」ではなく、この2つは「本質的に違う意味を持った和音」として区別するというのが、古典派の一般的な見解です。

ですから古典派の書籍では、III番・VII番の和音は亡き者かのような無視具合で進んでいくものも普通にあります。次回で短調の様式について学ぶと、III・VIIを無視する理由ももっと良く分かりますよ。

§3 古典派の機能分類

上ではT群、D群、S群というグループ分けを用いて説明をしましたが、これはあくまでも後世に形成された「島岡和声」のやり方です。古典派理論にとってTDSというのは歴史的に「後付け」の存在であって、モーツァルトもベートーベンも、機能という概念が生まれる前の世界を生きました

20世紀以降の理論書では機能分類が書かれたりはしますが、それはあくまでも後付けの分類であり、それぞれの書籍の思想に基づいて行われたことであるので、この章ではこの方面はあまり扱わない方針でいきます。

プラガルとプレドミナント

ちなみにクラシック界では、機能を3つでなく4つで分けるという考え方もあります。これはこれで面白いし、機能論を考えるに当たって重要なことでもあるので、少しそれは紹介しますね。

上のコード表を見ると、IImIVでは自由度や求められる役割が随分違ってくることに気づきます。そうであるならば、この2つを同じ機能としてくくるには無理があるのではないか? 役割を区別した方が、理論として美しくまとまるのではないか? そんな考えが生じてきてもおかしくはありません。

そこで「新しい和声」では、IImのようにドミナントの前に置かれるものをプレドミナントPredominantと呼び、一方IVIのように、ドミナントへ行かずにトニックへ行ってしまうものをプラガルPlagalという風に区別しています。1
つまり、機能とはコード単体が絶対的に有するのではなく、あくまでも後続コードとの関係で決まる相対的なものだという考え方ですね。

このような区分はこの書籍独自というわけでもなく、例えば「Theory for Today’s Musician」では、「プレドミナント」と「サブドミナント」を別々の用語として使用しており、ここでいう「プラガル」だけが「サブドミナント」と呼ばれ、プレドミナントはまた別のものと認識されています。

プレドミナントTheory for Today’s Musician p72より

また「島岡和声」の島岡譲氏も、別の書籍ではドミナントを「D1」、この「プレドミナント」を「D2」と呼んでいたりします。2

何度も述べているとおり、TDS機能というのは極論、20世紀の流行に過ぎないとも言えます。今後100年でスタンダードが変わっていくかもしれませんね。このページでも、二者を区別した方がよいと判断できる場合は、それぞれをPrDPgという表記で区別しますね。