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テンションコード ❷ アヴォイドノート

前回はテンションコードの考え方や表記法について学びました。しかし実際の使用にあたっては、サウンドとして乗せやすいもの・乗せにくいものがあります。それを理解するのが今回の目標です。

1. アヴォイド・ノート

テンションは本来音にちょっとした濁りを与える、ラーメンで言うところの「トッピング」のようなものですが、各テンションが“味”に与える影響には大きな個体差があります。
III章で紹介したナインスコードはどのルートに乗せても“薄味”で、喩えたら「ねぎ」とか「ごま」くらいのもの。しかし中には、「カレー粉」とか「パクチー」みたいな、入れたらすっかり別の味になってしまうくらい強烈なテンションもあるのです。

カレー粉かけたら何でもカレー

そこで一般的な音楽理論では、テンションのうち気軽に乗せられるものをアヴェイラブル・テンションAvailable Tension、乗せにくい「要注意」の音をアヴォイド・ノートAvoid Noteと呼び分けて分類します。

臨時記号なしで13thまでダイアトニックコードを積んだ場合には、以下の音がアヴォイドとなります。

テンションとアヴォイド

このようにIV以外では何かしらのテンションが死にます。しかし、なぜ「回避」しなければいけない音があるのか。これは自由な作曲にあたって重要な問題となります。まずは「自由」を一旦脇において、従来理論の考え方に耳を傾けることにしましょう。

2. アヴォイドの論理

詳細は後述するとして、大まかに言ってしまえばアヴォイドとは「コードトーンに対して半音上で重なる音」です。I章「セブンスやテンションの活用」で「半音上からの攻撃には注意」と説明したのは、まさしくこのアヴォイド・ノートのことを言っていたのです。

特にIVImにファを乗せた場合などは分かりやすくて、本来はトニック系のコードとしてドンと落ち着きたいのに、強傾性音のファを乗せてしまったらその役目が全うできませんよね。だからコードのメンバーに迎え入れちゃダメ、というのがアヴォイドの考え方です。

別のコードと捉えれば…?

しかし、すぐに疑問が浮かんできます。例えばVImにファを乗せたものは、IVΔ7/VIだと捉えれば何の問題もないのでは?

スラッシュコードじゃん

この2つのコードは同じサウンドですが、左はアウトで右はセーフとなります。これでは納得できるはずがありませんね。このあたり、一体どういう論理で回っているのでしょうか?

これは、音楽理論の歴史を思い返してみると分かります。そう、序論の歴史話がここへ来てまた意味を帯びてくるのです。

アヴォイドの存在理由

アヴォイドは、ジャズ理論が生み出したシステムです。純クラシック流派の理論には、アヴォイド・ノートという用語は存在しません。ジャズ理論は、クラシック理論では足りない部分を自分たちで開発して、改造していったんでしたよね。アヴォイドはそのひとつなのです。

二本柱

ジャズの醍醐味は、即興演奏。アドリブ・セッションをする時には、ベースとなるコード進行だけがあって、それを元に全員が即興で音楽を作り上げていきます。だから、コード進行が絶対的に優位で、唯一の指針である。これがカギです。

アドリブ演奏のためのマナー

つまりアヴォイドとは、コード進行を誰かが勝手に変えることのできないアドリブ演奏の際の、プレイヤー同士の基本的な“マナー”として用意された概念なのです。

具体例で話しましょう。上の音源ではコード進行を2周していますが、2周目のVIm7のところで、ピアニストがファの音を鳴らしています。そのために、せっかくのドミナント→トニックの解決が決まらずヌルっとしてしまいました。これが「コードの響きを妨害する」という言葉の指すところです。

もちろんFΔ7/Aのサウンド自体は魅力的で、これが「間違った音楽だ」ということではありませんよ。むしろ何回も聴いていると逆にこっちの方がクセになってくるような、不思議な毒を持っています。

しかし、少なくとも誰かが即興の中で独断でやっていい範囲を超えたアレンジですよね。「トニックの着地をあえて濁らせよう」なんていうのを独断でやるのは、完全な抜け駆けです。これをやりたいなら最初からみんなで話し合いをし、コードネームを「FΔ7/A」に変更して、みんなで方向性を共有した演奏をすべきという話になります。

抜け駆け

あるコードに対して影響力の弱い音と強い音。その線引きとして用意された言葉が「アヴェイラブル」と「アヴォイド」なのです。

テンション とアヴォイドの理解

つまり、「別のコードネームで捉えればいいのでは?」という疑問に対する答えは、「機能の全く違うコードに捉えられてしまうような事態、それこそがアドリブ時には問題視されるのだ」ということになります。

もしこれが単独で作曲をする時で、この独特の濁りをあえて表現に活かしたいのだという話であれば、誰にもそれを邪魔する権利などありません。実際に近代クラシック音楽なんかでもそういう音使いは普通に発見することができます。むろん、そういう“攻めたこと”をしているのだと理解したうえで使うことが望ましいですが。

「回避」じゃなく「取扱い注意」

歴史を理解していれば、理論の意義を正しく理解することができます。この辺りをよく理解しないままアヴォイドという言葉の強迫観念に駆られると、自由な作曲精神を見失ってしまうことに繋がります。「アヴォイド」という言葉は非常に誤解を招きやすく、あまり褒められたものではない表現ですね。実際に、有名なジャズ理論書「The Jazz Theory」にも以下のような記述があります。

“Avoid note“ is not a very good term, because it implies that you shouldn’t play the note at all. A better name would be a “handle with care” note.

“アヴォイドノート”はあまり良い言葉じゃない。というのも、まるでその音を全く使うべきではないと言っているようだからだ。より良い名前は、”取扱い注意”の音、でしょう。

Mark Levine “The Jazz Theory Book”

おっしゃるとおり。「避ける」というよりも、「注意して扱う」という気持ちで臨むべきです。

この世界に、存在意義のない音や間違った音などありません。その音でしか表現できない世界というのが必ずあります。ただ「アヴォイド」は、そういう表現探求のロマンは抜きにして、ひとまずアドリブの際の注意音をまとめておいた“ブラックリスト”のような物なのです。

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