鋭い質問をありがとうございます。
まず正直なところ、この「キーの長短の流動性」というものが、文字どおり流動的で(しかも感覚的)なものなので、ピシッと区切りをつけて論じるのは難しいところがあります。(それがこれまでメロディの理論が発展してこなかった理由のひとつでもあると思います。)
中心については、確かに「取り合う」という言い方をしていますが、「両方が中心として働こうとする」といったニュアンスで、「どちらか片方が中心の地位を勝ち取る」という意味ではないです。ちょっと、紛らわしい言い方でしたね。
こうやって、メジャーキー状態では「ドの一党独裁」だったところに、「ラという対抗馬」が現れてくるイメージです。
しかし、ラが持つ中心としての力は、弱いです。メロディ編III章の三つの短音階で紹介していますが、この「中心としての弱さ」を克服するために、ファとソにシャープをつけてラの方へ近づけるという工夫もクラシックでは為されていました。逆に言えば、そういった“加工”が無い状態では、ラはセンターとしては弱いということです。
『せいぜい、「ソ→ラ」「シ→ラ」くらいの、“隣からの移動”に終止感を感じられるようになるくらい』と考えておくと、実践上わかりやすいと思います。(ですから傾性の変化は多少感じられます。)
それで、こうやって眺めるとファってやっぱりかなり微妙な位置にいますよね。特にミへ半音差で引きつけられている部分があるので、そこも加味すると、暗めの曲調でミ→ファと動いたとしても、「中心へと帰っていってる感」はほとんど得られないかなというところ。実際の聴覚上の印象も、むしろ「安定のミ」から「不安定のファ」へ移ったという不安定さの方に耳がいきます。
ちなみに「傾性」は、突き詰めると周波数の比率の話になってくるのですが(これは本編では述べていません)、「ファ」に関してはドから見てもラからみても不安定な音なので、ファの音が落ち着きを得ることはありません。