目次
1. 傾性論をもう一度
さて、III章も終盤ですが、この辺りでひとつ片付けておきたいタスクがあります。それがマイナースケールと傾性の話です。
「レラティヴ」の関係にあるCメジャーとAマイナーの違いは、“認知”される中心位置のみ。じゃあその認知の差によって各音はどんな影響を受けるのだろうか?これについてI章の段階では、「ラはふだんは中傾性音だけど、自分がリーダーになったら強いぞ。周りを引きつける。」という”ザックリ解説”のみで終わっていました。
しかし今なら、コードの知識も増えたし、「シェル」の存在も知っている。半端だった部分をきちんと消化する段階に来たという感じです。
今日はおまけ回
正直言って、傾性論にさほど興味がない(感覚で十分掴めている)のであれば、この回はあまり重要ではないです。抽象的な世界に留まる話ですし、仮にここを読み飛ばしても、先の内容理解に支障はありません。あくまでも、傾性論の細かいところまで論じておきたいという人のための説明回となります。
2. 短調での傾性変化
改めて確認すると、短調ではラの音がリーダーとなって音楽の組織が作られます。
まず、安定/不安定のグルーピングは、メジャースケールの時と変わりません。すなわち、1,3,5番目となるラ・ド・ミが安定音で、2,4,6,7番目となるシ・レ・ファ・ソが不安定音となります1。
そうすると、長調のときと安定/不安定が一致しているものが多くあることがわかります。というか、変わるのは2音だけ。ソとラです。
音 | 長調では | 短調では |
---|---|---|
ド | 安定 | 安定 |
レ | 不安定 | 不安定 |
ミ | 安定 | 安定 |
ファ | 不安定 | 不安定 |
ソ | 安定 | 不安定 |
ラ | 不安定 | 安定 |
シ | 不安定 | 不安定 |
まあそれぞれに細かな変化はあるとして、ひとまずこの二極のグループ分けでは変化はソとラだけ。シンプルな話なのです!
ソとラの関係逆転
関係の逆転。すなわち、長調ベースの引力論においてはソのサポート役が基本だったラが、短調では権力を握るということです。
ただ、いくらラが偉くなったと言っても、ソとラの距離は「全音」離れていますよね。ファ・シの強傾性のそもそもの理由は「半音のなめらかな段差」でしたから、この差は大きい。それゆえ、「ソ→ラ」の引力は「シ→ド」と比べると弱いです。
喩えて言うなら“側近の忠誠心が足りていない”。これを解決するためにクラシックで行われたのが、ソを半音上げてラに寄せる加工ですよね。このIII章のはじめに紹介した、「ハーモニックマイナー」です。
これで「短調帝国」を築くというお話でした。こうやって傾性論とセットで考えると、より深く音階の関係性が理解できますね。
共通事項
他の音についても共通して言える変化はあって、それはラに進むことで各自それ相応の「終止感」を得られるということです。
長調では「裏切り」の感があった「シ→ラ」も、短調では全くもって普通の動作ということになります。ちょっと観念的になってしまいますが、「半音の引力」と「中心音への引力」が競合するという、複雑な心理がここに働くことになります。
「ド→ラ」も「レ→ラ」も着地感のある「終止」となります。それから強傾性音であるファの動向が気になるところですが・・・
強傾性音ファについて
ファは短音階においても、変わらず強い下方傾性を持ちます2。 むしろミへの依存がさらに高まりそうな要因が増えており、それは上隣にいるソが安定音ではなくなってしまったことです。
長調の時のファは、半音関係にあるミの方に引きつけられてはいたものの、ソへ上行して解決することもある程度は取りやすい選択肢でした。しかし短調の環境では、もし上行で解決するならファ-ソ-ラと2段進まねばならなくなったため、たったの半音で解決できるミがますます有力な進行先として働くでしょう。
ただリーダーのラからすれば、3度下であるファには自分の方を向いていてほしいもの。そこで「ミファソラ」の階段を美しくするために開発したのが、あの「メロディックマイナー」なのだとも説明できますね。
「ハーモニックマイナー」に同じく、III章はじめの記事で紹介した音階です。
よく見るとこの「Aメロディックマイナースケール」は、「Aメジャースケール」と1音しか違いません。ここには、強固でバランスのよい傾性構造を築いているメジャースケールへの“憧れ”が見え隠れしている…そんな風にも言えます。
3. ラの支配を耳で確かめる
さて、こうやって楽譜ばかりで物事を考えていると、だんだんと不安が募ってきます。ソとラの関係が逆転するなんてこと本当に起こるのか? 実際の音源を聴いてそれを確かめましょう。
II章で「シェル」を学んだことで、「たとえ強傾性音でもコードと調和していれば伸ばせる」ことは確認済み。ですからVImやIV上でラを伸ばしてる例を何個見つけたって、それは「カーネル論」の検証には使えません。音そのものの傾性を調べるにあたっては、コードと調和していない時の動きの事例を観察することが必要になりますよね。基調和音でいえばI,IIIm,Vの3つの和音です。
こうしたコード上で、「長調ではソに降りないと落ち着かない、でも短調だとラのままでも何だか落ち着きがある」となれば、短調だとラがリーダーとしての安定性を発揮しているんだということが分かるはず。
長調でのラの動きを再確認
改めて、まず長調でのラのふるまいを確認しておきます。
みなと – スピッツ
スピッツの「みなと」は長調。そしてメロの最初の音がラから始まるという、ラの観察に持ってこいの楽曲です。聴いてみると、メロで繰り返し登場するラの音が全て「ラ→ソ」か「ラ→シ→ド」という模範的な解決をしているのが分かります。
まさしく傾性音としての仕事を全うしています。解決しないのは、サビでIVの和音と調和している時だけ。これは、ドに絶対王政を敷かれてしまったラの、下僕としての哀れな姿と言えるかもしれません…😭
短調でのラの動きを確認
これが、リスナーの認知が短調側に傾いた途端、ラにリーダーとしての安心感が生まれるという話になります。本当にそうなのでしょうか? 今度はマイナー調の曲をチェックしてみましょう。
David Guetta – Where Them Girls At
VImIVIVというコードをリピートする比較的マイナー調のダンス曲ですが、サビ後半の”Where them girls at?”というところで「ド→ラ」の動きを繰り返します。
Iのコード上で「ド→ラ」と動いてフレーズが完結するという状態はまさに、ラが主、ドが従という構図になっています。この曲はまだメジャーコードが多くて「長調気味の短調」であるため、若干の落ち着かなさは感じるかもしれませんが、ともあれある程度の「着地感」が感じられるかと思います。
Red Hot Chili Peppers – The Getaway
IIIm、Vのコード上でラが落ち着いているパターンも聴いてみましょう。
まずイントロギターの最初の音がラで、中心を提示しています。メロも冒頭から「ド→ラ」で始まりますが、ここはまあコードがVImなので、ラが落ち着くことも不思議ではない。しかしその次コードがIIImに進むのですが、メロディは依然として「ココがリーダーだ」と言わんばかりに、ラの音に居座り続けます。
その次にコードはVへと進みますが、そこでも「ソ→ラ」という解決の動きが見られます。
ここはさっきの曲よりも明確に、ラが主となっている状態が感じられると思います!
IIImやVのコードに対する馴染みという点(=シェル目線)で言えばソの方が協和するはずなのですが、この「ソ→ラ」のモーションには紛れもない“終止”の感覚があります。そこまでのフレーズの流れによって、ラが着地位置なのだという刷り込みがなされた結果だと言えます。”The Getaway”は編成がシンプルでコード感が希薄であるので、カーネル論の肝である「スケールそのものが持っている各音の安定/不安定の性質」が見えやすかったと思います。
「教会旋法」の理論を学んだことでより明確になったかと思いますが、調性の確立においてコードが最重要である一方、メロディも単独で中心性を表現する能力があります。同じ「白鍵だけの音階」でも中心性の違いただそれのみで7つの異なる旋法が生まれたことを考えると、メジャー環境では従属的だったラがマイナー環境では安定音としてふるまえるという傾性の流動性には何ら疑問の余地がありません。
4. モニズムと傾性変化
ここまで長調と短調を対比させて論じてきましたが、そもそも自由派では「レラティヴなキーはワンセットで、長短のバランスが認知によって流動する」という“モニズム”、一元論スタイルをコード編の最序盤で採用しました。
レラティヴ関係にある2キーは、ちょっとしたメロディラインやコード進行の変化によって混ざり合って“中間”ないし“重ね合わせ”の状態になる。中心音認知に中間状態があるという前提に従えば、傾性の認知にも中間状態があると考えるのが妥当な筋です。先程の2例でも、ラの安定感には微妙な差があったと感じる人もいるはずです。
“モニズム”の記事では、「曖昧な調性が楽曲を魅力的にする」という話を紹介しました。その大きな理由のひとつは間違いなくコード進行ですけども、こうやってメロディ各音の性質が長調短調のはざまで変質することも、ひとつの要因になっているかもしれません。
モデルの複雑性と運用性
こうして見ると、なぜ一般的なジャズ・ポピュラー理論において“モニズム”のモデルが採られていないかも納得できます。あまり人間の心理を勘定に入れすぎてしまうと、理論がゴチャゴチャしてスマートでなくなってしまいそうなのです。多かれ少なかれ、勇気ある「切り捨て」は理論構築に必要です。自由派とて、この“モニズム”がカギになったのはディグリーネームくらいで、あまりこの領域は深追いしていないのが実情です。
今回こうやって図にしたのはあくまでも「揺れ動き」のさまをビジュアライズすることで耳でこれを体感しやすくなってもらおうという意図であって、今後これを引き合いに出して何かを論じることはありませんし、暗記も必要ないです。
高度印象の変化
「傾性」以外の部分に関して、I章のカーネル論では、ミやソが中心から離れていることから来る高揚感、レが中心のひとつ上であることによる浮遊感を持つといった話がありました。短調においては中心の位置が3度下に下がることになるため、そういった「高度の印象」にも変化が発生することが考えられます。
だから理論上の論理に従えば「レ」の音が長調の時よりも高く浮いて感じられたり、「ド」や「ミ」の音が長調の時よりも高らかに感じられるはずです。しかし先述のモニズムによる調性の揺れ動きも踏まえると非常に検証の難しいところであって、現行の理論ではあまりそこまで言及されていません。これについてはちょっと、私たちの心の反応を捉えようとする理論の限界を感じるところであります。
そんなわけで、改めて詳細に短調の傾性について論じました。今後IIImやVなどのコード上でラが落ち着く現象に遭遇した場合に、今回の話を思い出してもらえれば合点がいくと思います。
メロディ編III章はここまでです。IV章はまたメジャースケールに話を戻し、II章でやった「シェル」の理論を突き詰めていくことになります。かなり繊細な内容になるので、先にコード編のIV章をいくらか読み進めてから臨むのがオススメです。
まとめ
- 短音階においても第1・3・5音が「安定音」、第2・4・6・7音が「不安定音」となります。
- レラティヴなスケールどうしで比較すると、「ソとラの傾性が逆転する」「ラが安定し、ドが微弱な傾性を帯びる」という言葉でおおよその出来事をまとめることができます。
- 中心音認知に揺れがあることから、傾性の認知にも揺れが生じると考えられます。