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ポピュラー音楽理論の流派

By 2024.09.16序論

さて、前回確認したおおまかな西洋音楽理論史を、もう一度おさらいしますね。

最小限の音楽理論史

ザックリですけども、こうなります。「古典派理論」と「モダンジャズ理論」が、理論界における二大流派である。その傾向と特色は、端的に言い表すならば以下のようなイメージでした。

二本柱

そして、どちらも現行のポップス・ロック・EDMといった「現代のポピュラー音楽」のために作られたものでは当然ない。それでは、いわゆる普通の“ポピュラー音楽理論”はどちらの流派から来ているのかという話になりますね。

6. “普通”の音楽理論とは?

しかし実のところ──クラシックやジャズの理論もそうだったように──日本の一般的な音楽理論というのもその内容が決して統一されてはいないのです。「古典派理論」と「モダンジャズ理論」が入り混じったような形で各コンテンツが形成されていて、そこには著者のバックグラウンドが反映されます。

おおむね共通した部分が多くありますが、一方でどの流派の意見を採用するかで内容が割れる箇所や、異なる表記のバリエーションが存在し、また理論と現実とのギャップに対する向き合い方も、著者によって書き口が異なります。

重なり構図

一応はモダンジャズ理論の一派であるバークリー音楽大学に由来する内容や表記を継承したものがマジョリティであるかとは思いますが、ただクラシック系音大出身の方による本の勢力も依然としてありますし、もしくは2つの内容をミックスさせた本もあるし、そういった取り合わせが無限に考えられます。この意味において、この世に“普通の音楽理論”というものは存在しません。そこには流派性や独自性が少なからず含まれています。

そしてもし流派に関する説明がなければ、結果として「2冊で内容が食い違った時にどっちを信じればいいのか分からない」とか、「見解の違う2冊で学んだふたりで口論が起きる」とかいった問題が起きたりするわけです。

どちらが標準?

みんな同じ“ポピュラー音楽理論”を学んでいるはずなのに、なんであちこちで論争が起きてしまうのか? その背景には、流派をかけ合わせた様々な“ミックス種”が一律で「ポピュラー音楽理論」と称されているという事情があるのです。

“ミックス種”の対応力

しかし何にせよ、クラシック理論とジャズ理論をうまくミックスして作った理論なら、ポピュラー音楽にもうまく適応できるのでは? という気もしますよね。そこをもう少し掘り下げてみることにします。

現代ポップスの型 × 現代ポップスの音

こちらは何ということもないありふれた小曲。音楽的な中身としては現代のポピュラー音楽にとっては極めて普通の内容で、ほとんどの一般リスナーにとって、これが聴いていて特に不自然だとか気持ち悪いということはないはずです。しかし、この曲のコード進行(和音の繋げ方)は、実は伝統理論に照らし合わせるとかなり“型破り”な作りになっています。慣習的なジャズ理論、古典派理論に基づいて審査をしてもらうとどうなるかというと……

見解の相違

こうです。まだA♭とかCmとか言われてもナゾだと思いますが、とにかくダメ出しをされまくっていることだけは伝わるかと思います。実はこの種のコード進行が幅広く一般化したのは20世紀後半以降のこと。そのため、それよりも昔の音楽に基づいて作られた理論で分析すると、この曲は異常なもの、標準から外れたものと評価されてしまうのです。実際のヒットチャートには、こうした“異常”な音楽が溢れかえっているのにもかかわらずです。

そして一般的な“ポピュラー理論”はこういった伝統的な見解を継承しているわけなので、この理論と現実のギャップは解消されていません。当然のことですが、2つの流派をミックスしたところで、その両方より新しい音楽には対応ができないのです。

クラシック系の場合

ポピュラー音楽理論書の中にはクラシック時代に出来た型を基本型として解説するものもあるわけですが、ではその型に忠実に従うとどうなるでしょうか? 試しに先ほどの曲を作り直してみます。

古典の型 × 現代ポップスの音

…やはり18世紀クラシックの調子になってしまって、違和感がすごいですね。「アメイジング・グレイス」や「きよしこの夜」みたいな昔の歌を現代風アレンジでカバーした時の感じに似ています。もちろん優雅で美しくはあるんですけども、まあ一般的な現代ポップスの観点からすればこれは異質です。音楽と音楽理論の歴史を踏まえれば、これを“正しい型”だとするのはナンセンスなことだと分かります。
理論書が唱える“基本”に忠実に沿った曲を作ったら、なんだか古っぽくダサい曲調になってしまう—。あまりに悲しい出来事ですが、でも200年以上前の型をそのまま採用したら、古く聴こえるのは必然的な結果です。

もちろん現実には、いくらクラシック系列の理論書で勉強したからといってここまでのコテコテの“クラシック・ポップス”を作ってしまう人は稀でしょう。しかし、ではその人たちがどこからポップスの曲調を学んでいるかといえば、それは実際の楽曲からに他なりません。理論書が教えてくれる型が古いから、けっきょく自力の手探りで身につける。これでは二度手間、わざわざ理論を学んだ意味が薄いですよね。

古典派の型 × クラシックの音

クラシック界の名誉のために補足させていただくと、古典派理論自体がダメなわけでは決してありません。ただ、古典派理論が100%のパワーを発揮できるのはやはり古典派クラシック調の音楽を作る時です。例えば上のクラシック調のコード進行を、本来のクラシック編成の楽曲で使ってあげると…

このように、優雅な弦楽器のサウンドと合わさって、完全にしっくりきました。モーツァルトのような音楽を誰でも再現できるようにしてくれるのが古典派理論の魅力であって、ポップスのフィールドに引っ張り出されて低評価をもらうなんて、古典派サイドとしてもとんだ風評被害といったところでしょう。

ジャズ系の場合

一方で、ジャズ系列の血が濃いポピュラー音楽理論の場合、たとえジャズより後発のジャンルとは型が食い違うにしても、古典派に比べたら100年以上後発であるぶん実践性は高そうです。ではそうした理論書で学んだ技法を、せっかくなのでバリバリに駆使してみるとどうなるでしょうか?

ジャズの型 × 現代ポップスの音

どぎつい濁りの和音が並びました。ジャズ系列のコード理論書が重点を置いているのはこういった応用的和音の用法ですから、それを活かそうとすれば必然こうなります。この奇妙さが面白い!!という人もいるかもしれないですが、このジャンル内の一般的な感覚で言えばこれは必要以上に音楽を複雑にしてしまっていて、あまり技法が曲を活かしてはいません。

無論これは学んだテクニックを使わず抑えめにしてジャンルに合わせていけばいいことですが、しかしせっかく修得した技術を封印するのだとしたら、やっぱり勉強に費やした時間がもったいないという話にはなります。

ジャズの型 × ジャズの音

この複雑奇怪なコード進行も、フォーマットがジャズであれば抜群にハマります。

いかにも大人のジャズという感じで、非常に魅力的に仕上がりました。こういう音楽のために考案され、こういう音楽を作る時に真価を発揮するのがジャズ理論です。そして確かにポピュラー音楽の中でもこういったエレガントな和音使いを継承したジャンルもあって、J-Popも比較的その部類に入りますから、もちろんジャズ理論がポピュラー音楽の作曲に全然役立たないなんてことは全くありません。変わらず通用する部分もあるし、一方で不足やずれを感じる部分も出てきている。そんな状況です。

こうして見るとやはり、クラシック理論・ジャズ理論が想定している音楽の姿、作りたい音楽の目標が現代一般のポピュラー音楽たちとはずいぶん離れているということが、音源を聴き比べることでよく分かるかと思います。まず基本の型からして違っていて、応用の技は活かす場面がないかもしれない。ですからこれらをベースに少々のアレンジや補足を加えて“ポピュラー音楽理論”を構築しても、やはりそこかしこにズレは残ります。

  • 理論に従って作曲しても、現代のポップスではかえってミスマッチに聴こえてしまうリスクがある。
  • 現代ポップスの型が解説されない、もしくは解説量に乏しいため、けっきょく自力で実際の曲から学ぶしかない。
  • 現代ポップスでは普通であるはずの音使いを、間違ったものであるかのように誤認してしまうリスクがある。

自力で補わないといけない部分が多いし、もし自分がイイと思ったものが理論書で否定されたせいで使うのをためらってしまったら、それは理論がセンスの邪魔をしているのに他なりません。そして、そういった実状との食い違いに注意して情報を取捨選択する負担は、読者側に課せられてしまっている現状があります。

ポピュラー音楽の“血統”

ジャズ系由来のポピュラー音楽理論は「ジャズ・ポピュラー音楽理論」と名乗ることも多く、そこには「ポピュラー音楽を名乗れるのはクラシックじゃなく私たちジャズです」というアピールがどことなく垣間見えます。しかし実際には、現代のポピュラー音楽は本当にたくさんのジャンルの血が混ざり合って成り立っていて、「ジャズ・ポピュラー」とまとめられるほど単純なものではありません。前回も南米音楽の影響について紹介したりしましたね。特に20世紀以降のポピュラー音楽について、その人気の変化を見ることが出来る面白い動画があります。

こちらは世界のレコード/CDのリリース数を元に1910-2019年の各ジャンルの勢力変動を可視化したもの。むろんリリース数だけで音楽の人気を測れるものではないですが、ジャンルの活発さを示す指標として大いに参考にはなります。

最初はクラシック系音楽であるオペラや吹奏楽のマーチが最大勢力だったところをまずカントリーが抜き、その後にジャズが流行り、ジャズが複雑化して「ビバップ」がランクインする頃から他ジャンルへと人気が移っていくさまを見ることができますね。そこからのジャンルの広がりは目覚ましく、シェアが多様なジャンルへ分散されていくのが分かります。
改めて見ると、ジャズがポピュラー音楽の中心にいたのはもう80年近く前の話なんですね。それを思えば現行のポップスと“ポピュラー理論”で食い違う考え方があるのは当然のことですし、中身がほとんどジャズ理論のままで「ジャズ・ポピュラー理論」という看板を掲げるのにはそろそろ限界が来ています。

同じアート/エンタメの分野でも、絵画やシナリオのセオリーというのは一般に受け入れられている。それに比べて“音楽理論不要説”がよく持ち上がる背景には、流行の変化が目まぐるしく、理論が現実に対応していないという音楽ならではの事情も影響しているのではないでしょうか。

音楽理論に学ぶ価値はあるのか

さて、少しネガティブな話が続いてしまいました。でも、こうした課題は結局まとめ方や教え方の問題であって、工夫しだいで全然解決できる課題ではあるのです。実際に最新のアメリカのポピュラー理論書ではロックのための章がきちんと個別に用意されるなど、理論界にも変革の兆しは見られますし、もちろんこのサイトもそうした改革を試みるコンテンツのひとつです。だからまだ希望は捨てずに、今度は音楽理論を学ぶことによって得られるメリット・デメリットについて考えていきましょう。

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