目次
4. 「ポピュラー」の中での差異
序論からこれまでクラシック・ジャズ・ポピュラーという3本柱の対比でやってきましたが、実際には「ポピュラー音楽」と括られるものたちの中にもさらに細かい嗜好の違いがあるということが分かりました。
ジャンルごとの傾向差
ここまでの話を、もう一度コンパクトにまとめておきましょうか。あくまでもおおよその傾向ですが・・・
ジャンル | 典型的進行 | 特徴 |
---|---|---|
古典クラシック | 1-4-1, 1-5-1, 1-4-5-1 | Tで始まりTで終わるお行儀良さ。特にVやIIImの進行先が厳しい |
ジャズ | 2-5-1, 1-6-2-5 | 「強進行」の聴きやすさ愛好。V-IVやV-IImは非推奨 |
ブルース,パンク | 1-5-4-1 | 独自の様式が定番なのだ。V-IVも平常使用 |
J-Pop | 4-5-3-6, 6-4-5-1 | ジャズに近いがもう少し穏やか重視 |
洋Pop/Rock | 1-5-6-4, 6-4-1-5 | これといった定型なし。IV-Iをやや愛好? |
テクノ,ダンス等 電子系 | 4-6, 6-1, 5-4 | これまでと違うからこそカッコイイ |
「定番」は常に文化とワンセット。当然さらに細かいジャンルごとの傾向差もある。ポピュラー音楽はクラシックとジャズの他にブルースや民族音楽、それからレゲエやテクノ、ヒップホップのように独自発展していったジャンルの影響がクロスオーバーして出来上がっているのだから当然ですね。
そうしたらば 序論でやったのと同じように、ジャンルのマッチ/ミスマッチがポピュラー音楽内でも起こることを確認しておきましょう。
ポップスの場合
まずはいかにも慣習的なポップスを題材にとります。
こちらは『かつての禁則』を踏まないように気をつけつつ、安定安心の3▼5▼2▲だけで作られたコード進行。機能もT–S–Dとずっと順行していきます。今回はサウンドやリズムも元気のよいノリノリな音楽なので、コード進行もクッキリしているものが良いのは頷けます。こうした進行について、従来の音楽理論では自然だ、強い、快いといった形容をします。
こちらは一転して、3▲5▲を中心にして、禁則も気にせず非伝統的な接続を多用したコード進行。確かにモーションにクッキリさや安心感がなくなり、なんだか雰囲気がドンヨリしてしまいました。これを従来理論は弱い、逆行しているといった風に解釈してきたわけです。
ここまでは、従来の理論のシナリオどおりですね。
EDMの場合
しかしジャンルがひとたび現代のEDMになると、立場の逆転現象が起こります。「弱い進行」たちは、現代的なジャンル文脈の中ではスッと溶け込んでいくのです。
VImからあえてIへと浮上する。VからあえてIImへ行く。そうした動きは単に新鮮であるというばかりでなく、コード進行をあまりクッキリと見せないことで、サウンドやリズムを聴かせるジャマをしないというような効果も期待できるでしょう。
ここでもし先ほどのポップス風進行を使うと、これはコード進行の“ストーリー”がすごくクッキリしていますから、そちらの印象が前に出てきてしまいます。
コード進行が8つ連なった長いストーリーをキッチリ繋げているのに対して、サウンドは様々なフレーズが飛び出ては引っ込むEDMスタイルであるところに、チグハグの感があるかと思います。
しかもその“ストーリー”を伝える役目を一番に担うのは必然的に低音部であるワブルベースですから、それがまた違和感に拍車をかけています。モンスターのような顔をしたベースが、これだけの長さがあるコードの物語を丁寧に伝えているのがすごく奇妙に感じられます。
理論書に「自然な進行」と書いてあるヤツだけを使ったのに、自然にならない。皮肉なことに、こうしたジャンルにおいては、こんなにお行儀の良い進行は「自然すぎて不自然」なのです。
「自然すぎて不自然」という言葉には、アートでありカルチャーである音楽の奥深さが表れていますね。ごく最近では、いよいよ理論書にもそのことを配慮した記述が載せられるようになりました。
特に V→Iや4度上行といった伝統的な進行は、あまりにも使われすぎたため、今では避けられることさえある。伝統的な長調/短調はまだ健在ではあるが、異なるルートの動きによる新しいスタイル、新しいハーモニーの語彙が、ポピュラー楽曲にインストールされつつある。
Perricone, Jack. – Great Songwriting Techniques (p.172)より翻訳 (2018年出版)
音楽理論はここ300年間ずっと、「V→Iの進行が最も自然で力強い」という命題を真理だと信じ、その科学的根拠を追い求めてきたという歴史があります。でもその“真理”の真贋がどうあれ、そんなことより「飽きた」という私たちの単純な“心理”の方が勝ってきているという事実は、音楽理論を学んだ今だからこそ見過ごしてはいけないところです。
5. 個人の経験的相違
また、ジャンルの方向性がどうといった総体的な話とは別に、リスナー各人の個人的な経験も、当然サウンドの受容度に影響します。はじめは慣れなかったジャンルや楽曲が、聴いてるうちに好きになってきたなんて経験は誰にでもありますよね。私たちは、新しい音楽に適応する能力があるのです。
こうした「慣れ」や「飽き」といった心理的要素は、「音楽理論」のモデルには基本的に含まれていません。しかし、現実の音楽を捉えるうえではそれらは欠かせないものですし、いずれマイノリティがマジョリティになったときには、理論自体をアップデートせねばならないのです。
音楽理論はあくまでも、音楽が私たちの脳に届くまでの現象の中のほんの一部を、扱いやすい形で切り取っているにすぎないということを忘れないようにしてください。
6. 音楽理論とメディアリテラシー
ここまでで十分わかったと思いますが、ジャンルによって音楽に対する捉え方はさまざま。各種の理論書も当然、このような「伝統」と「現実」のはざまのどこかに自らの立場を置きます。
すごく厳密なクラシック系見解に基づくものもあれば、D–Sの逆行にだけ触れて3▲接続に関して特に言及しないライトな書籍もあるでしょう。そしてもし序文や本論にこうしたジャンル・文化・歴史に関する記述がなければ、読み手がそれを「標準的な音楽理論」だと思ってしまうのは当然ですよね。
立場を明言する書籍
本当にしっかりした書籍であれば、きちんとその点に配慮がなされます。本格ジャズ理論書は随所に「ジャズにおいては…」という前置きがつきますし、序文で立場を明言しているものもあります。
例えば非常に有名なクラシック系理論書「和声 理論と実習」では、ド頭1ページ目にこう書いてあります。
和声教育におけるこのような基盤として,われわれは, J.S. Bach Mozart Beethoven 等によって代表される古典的な西洋音楽(長調・短調にもとずく調的和声的音楽)の和声を選び,厳密にこの枠の中にとどまることを意図した。それは,対象の限定によってのみ理論の体系化が達成できるのであり,対象を限定するとなればもっとも普遍的な古典的音楽を扱うほかないからである。もちろん,生徒をいたずらに一つの枠に閉じこめることを意図するものではない。古典的音楽を真に理解することが教育の第一歩であると信じているからである。
島岡譲 – 和声 理論と実習 (I) (p.1)
きちんと最初に「ワシらはクラシックに的を絞ってこの本を作ったけど、この枠に囚われなくていいんやで〜」と断っているんですね。情報の“伝言ゲーム”の中でこういう大切な文章が削ぎ落とされ、禁則という言葉だけが一人歩きしているようなところがあります。
ですからこのサイトも含めてあらゆるコンテンツに対し、正しい情報リテラシーを持って接して頂きたいと思います。
複数の立場に立脚する書籍
また、理論書の世界も変わってきています。先ほど引用したジャック・ペリコーン氏の2018年の書籍では、第7章で伝統的なコード進行について学び、第8章ではブルース・ロック・R&Bなどでの様式について学ぶという形になっています。
音楽理論の世界も、音楽の“型”は一つではないという事実を認めたうえで体系化しようとする時代が訪れているのです。音楽理論は決して「正しい音楽」を規定する存在ではありません。現実の音楽世界で起きていることをうまくまとめて説明していく存在です。そのことを常に忘れないでいてください。
まとめ
- 一般に「王道進行」といえばそれはJ-Popのそれを指しますが、ジャンルによって好まれるものは異なります。
- ジャズは推進力のある進行を好み、ダンス音楽は逆に変化の少ないコードを好むなどの違いがあります。
- こうした嗜好の差を理解することは、各ジャンル「らしさ」を生み出すうえで重要です。