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4. 傾性(Tendency)

安定的であるド・ミは行き先が極めて自由に選択できるのに対し、シ・ファはその不安定さを解消するため半音隣へ向かうという選択肢が“有力候補”として上がってくる。また歌唱でもギターでもピアノでも、半音で隣接する音は移動距離が小さいですから、繋げて演奏しやすいですよね。そういった技術面からの影響もあってか、理論や禁則など関係ない現代の商業音楽であっても、曲の大部分や曲全てを通して、登場するシ・ファがひとつ残らずド・ミに解決するようなケースも発見できます1

この状況を比喩的に表現すれば、あたかも音がある音へと“引きつけられている”、“向かっている”、“導かれている”かのようです。実際に音楽理論においては音の関係性を重力・引力・磁力のような力学になぞらえて論じる観念が根強くあって、先述の「導音」などという命名からもそのような思想の断片はうかがえます。

シ・ファのような音は、その進み方に特定の傾向がある。そのような音の進行先に関する特定の傾向のことをテンデンシーTendencyといい2、特に傾向の顕著な音のことをテンデンシー・トーンTendency Toneなどと呼びます。

Tendencyを和訳する

このテンデンシーという単語はメロディ理論を構築するにあたって重要な概念ですが、日本では明確な対訳がまだありません。そこでこのサイトでは、訳語をひとつ決めて一貫してそれを使うことにします。

“Tendency”を直訳すれば、間違いなく「傾向」です。しかしそれではあまりにも一般的な言葉すぎますし、意味も伝わりづらくてイマイチです。そこで、自由派では「傾性」という訳語をあてることにします。

  • Tendency = 傾性
  • Tendency Tone = 傾性音

そして、この音は傾性が“強い”とか“弱い”だとか、「シはドへの上行傾性を持つ傾性音だ」とかいう風に表現していきます。

傾性 (Tendency)
ある音が、不安定な状況にあるがゆえにその音高に留まらずに特定の音へ進んで解決しやすいという傾向を持つ性質、その偏りの強度、あるいはその傾向そのもの3
傾性音 (Tendency Tone)
弱くない傾性を持つ音。

ちょっと定義文が長くなりましたが、音が「不安定な状況にある」ということと、「進み先に傾向がある」ということ、この両方ともがメロディ表現にとって重要になります。シ・ファ以外にもある程度の傾性を持った音はありますが、この2つほど高くはありません。まずは、ドレミファソラシドのうちこの2音が、特別な傾向を持った傾性音であり、特別な存在であるということを意識するといいでしょう。

特別な二音

この二音がメロディに差し込まれるだけで、曲の情感に「揺れ」が生まれます。その「揺れ」の大きさは、傾性音の長さ、高さ、強さ、タイミング、前後の音といったコンテクストによって変わります。傾性音の特性をいかに効果的に利用するかは、メロディメイクの重要なポイントとなります。

5. 傾性に逆らう

ただし、傾性はあくまでも文字どおり“傾向”であって、その方向に進まねばならないなどという決まりごとでは決してありません。想定される傾性方向とは逆向きへ動くメロディは決して悪いものではなく、むしろわざわざ定石の逆を行くということで、どこか特別な意味を感じさせることもできます。その活かし方は状況によっても曲想はさまざまですが、特徴的なケースを見てみましょう。

ファ→ソの活用例

ファ→ソは下行傾性に逆らって上へ進むということで、流れに負けない意志の強さ、力強さのようなものを表現するのにはぴったりです。

『You Raise Me Up』は傾性の逆らい方が絶妙な例。サビ(1:30-)の冒頭は“You raise me up”という大事なタイトルが「ソ-ラ-シ-ド–」というシンプルな順次上行で歌われ、ここは傾性に従ったごく自然なラインを構築します。その直後は一転して「シ-ラ-ソ-ファ」と音階を下っていき、順当にいけばそのままさらにもう一段降りてミへ進みそうなところですが、なんとここできびすを返してソへと逆戻りします。サビではこのソ→ファ→ソという“Uターン”を3回行ったのち、ラストの4回目だけはファ→ミという半音の解決をして、音楽を落ち着けながら幕を閉じます。

You Raise Me Up サビのメロディ推移メロディの動きを視覚化したもの

シ→ドという上行の傾性には従うが、ファ→ミという下行の傾性には逆らう。上からどんどん階段を降りてきたのに、半音差で一番降りやすいミの手前でわざわざ上へ引き返す。この文字どおり”raise up(持ち上げる)”の動作によって、楽曲の伝えたいポジティブなテーマが如実に表現されていると思います。

シ→ラの活用例

シ→ラのモーションは、下行によって傾性に逆らうという点がファ→ミとは正反対。あと一歩でゴールに到達できるのに、そこに行かず(行けず)に落ちていくという様から、強い悲しみの情感を生むと説明されたりもします4

『ラビリンス』は、シ→ラの動きが特徴的な典型例。序盤の「悲しい方を」「迷宮のパラダイス」のところがシ→ラになっていて、深く沈んでいくような雰囲気がしっかりと打ち出されています。これがもし先ほどのDancing Queenのように上行解決してしまったら、このメランコリックな雰囲気は全く無くなってしまうはずです。

実際には古典派理論では、特定の条件下ではこうした傾性音を必ず半音進行で解決させるというルールが書かれていたりもするのですが、それはやっぱり“型”にすぎなくて、現代においては型に従ったときと逆らったときでそれぞれどのような曲想が生まれるのかをよく理解して使い分けられる技能こそが重要となります。

まとめ

  • 半音で動くメロディは柔らかく穏やかで、全音で動くメロディはそれと比べると力強さがあります。
  • ファはミへ、シはドに進むと心地よい落ち着きがあり、そのような一方通行性を「傾性」と呼び、傾性の高い音を「傾性音」と呼びます。
  • 傾性とは逆方向に進む「ファ→ソ」や「シ→ラ」も、心得て使えば効果的です。
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