目次
3. ナポリ式とパラドックス型
ピボットコードの場合は、後続コードを見た後であればコードが何を意味していたかはよく分かります。しかし2つの文脈のターゲットとするコードが同一であった場合、後ろを見てもコードの識別ができません。「ナポリの六」の解釈がこじれた理由のひとつがそれです。
IImもIVもどっちもVに進むので、後続コードがVだという情報をもらったとて、それがナポリの由来の判断材料として役に立たない。その結果として意味が定まらないのでした。
しかしこの状態、進行が2つの文脈によってサポートされていて非常に強固な状態であるとも言えますよね。これをナポ六の解説記事では「カレーうどん」に喩えました1。
この“ナポリ式”の意味の重なりは、ピボットコードとはちょっと様態が異なります。先ほどの話の中心にあった「文脈のトランジション」みたいな前後関係がないですからね。
この“ナポリ式”の方でも、というかこちらの方がもっと、何か面白いサウンドを生み出すアイデアの元が潜んでいる気がします。ここからは、「ピボットコードでない異名同音のポリセミー」に足を踏み入れていきます。
♯Vと♭VIの揺らぎ
身近なところで、ソ♯とラ♭の揺れを題材にとります。
♯Vルート系列ではディミニッシュセブンス、♭VIルート系列ではメジャーセブンスのクオリティをとるのが最もベーシックですから、先ほどの「♯Io7と♭IIΔ7」と同じ環境にあります。
全く同じやり方で、Enharmonically Equivalentな中間和音が見つかります。ふだん私たちがこれをどう区別するかというと、それは前後方の文脈や、メロディの乗り方などです。
じゃあ例えば後ろのコードがVIm7(11)/Vで、♯Vo7でも♭VIΔ7でもまあおかしくないなんて時には、どっちに聴こえるのか気になりませんか?
また構成音を次々に交換していったとき、私たちの耳にはどこまでが♯Vで、どこからが♭VIなのでしょうか? もし区別できない中間領域があるとしたら、そのサウンドを私たちはどう感じるのでしょうか。
勢力図の確認
♯Vo7系列と♭VIΔ系列とで、いわば「味方」になる音と「敵」になる音がいます。
いくつか今回の実験に使いやすそうな音をピックアップして見ました。♯Vo7からすると、ミ♭やシ♭はかなり“自分らしくない音”であって、これが伴っていれば聞き手も♭VI系のコードとしてこれを認識する可能性が高まります。
一方♭VIの方からするとアヴェイラブルな音が多そうですが、シ♮はかなり異物ですね。こうしたそれぞれの文脈特定音をどう使うのかがカギになってくるはずです。
特定音非使用の配置
まず特定音を全く用いない中立的な音使いをした場合には、意味が確定せず、曖昧に感じられることが期待されます。
こちらがその実施例ですが…どうでしょうか?
特徴的な音の使用を避けてわりと“中立”にフォーメーションを組んだつもりでしたが、♭VIに寄っているように思います。後続のバスがソというのがやはり、どちらかというと♭VI側に加担しているのが要因のひとつにありそうです。
それからドは♯Vからすると「減4度」という変わった音程ですから、ディミニッシュ・セブンスらしい文脈が示唆されていない限りは「長3度」として第一に認識されるのは当然のこと。ちょっと中間状態を作るのに失敗してしまいましたね。
つまり、各一音一音のインターバル認知のプライオリティーにも優劣がまずあって、その集合体としてコードの認識がある。それをもっと考慮した調整が必要そうです。
パラドックス型の分離配置
そもそもの話、意味を中立にするために特徴的なシ・ミ♭などを鳴らさないで逃げ回っていると、単にボヤッとした曖昧さがそこにあるだけで、正直さほどの面白味がありません。
そこで中間は中間でも考え方を真逆にして、お互いの特徴的な音をぶつけ合うことで意味の均衡を保つことはできないかと考えます。争いを避けるのではなく、互いに本気でぶつかりあうことで互いを受け止めようという、血気盛んな方針です。
こんな風に、トップノートにクッキリとシを鳴らして、「外声では♯Vo7感を出しつつも、下から4音だけを見れば完全に♭VIΔ7」というフォーメーションにしてみました。いよいよ玄妙なサウンドが生成されてきましたね!
構成音のパラドックス
この和音はすでに、一般的なコード理論の外側にあります。♯Vo7系列とみるとミ♭の音がナゾだし、♭VIΔ7系列としてみると、♯9thであるシはドミナントセブンスの専売特許であって、メジャーセブンスでは足しちゃダメなはずなのです。
どちらと仮定しても偽。このコードは理論的には“間違っている”と言われそうな構成ですが、しかしいざ実際に鳴らすと、きちんと健全にサウンドします。
それもそのはず、今回の配置はメロディ編V章でやったハーモナイズの理論に適っていますから、まずタテの響きとしては単体で成立していますし、前後のコードとの接続も、たとえこのコードが♯Vo7だろうと♭VIΔ7だろうとよく繋がるコードを選んだのだから、ヨコの流れとしても成立しないはずがないのです。だからこの和音の構成にどこか「おかしさ」を感じるとしたら、それはモノセミーの呪縛と言えるかもしれません。
このように、本来は和音をひとつの文脈に確定させるために用いるはずの「特定音」は、その性質を逆手に取り、同時に鳴らしてしまえば和音がモノセミックに収束するのを防ぐ明示的なストッパーとして機能します(強引なリスペルで処理しない限りは)。
モノセミー視点で見ると矛盾してしまう「複数の特定音を同時に鳴らす」タイプのポリセミーを総称して、パラドックス型Paradox Typeと呼ぶことにします。従来の理論域では解釈が矛盾してしまうサウンドですから、ここに来てようやくポリセミーを大真面目に論じてきた甲斐があったという感じです。
パラドックス型の混合配置
上の例は、♯V成分を上、♭VI成分を下にとって上下分離した配置になっていました。でもこれだと「Bm(-5)/A♭Δ7」というポリコード式のコードネームならわりとすっきりと記述ができて、なんだかちょっと面白くありません。悔しいです。そこで、2つの文脈成分をより混濁させた配置を試みます。
ごくオープンに配置された♭VIΔ7の間に♯Vo7のコードトーンを串刺しにしてみたという形。さすがにもう、コードネームにしたくもないような奇妙なフォーメーションですね2。今回はシとドが半音で重なっているのがちょっと“攻め”の配置ですが、内声での出来事だし、どっちがコードトーンでどっちがテンションだかハッキリしないこともあり、成立していると思います。
パラドックス型の源流
「2つの文脈の両方に適した後続コードがあれば、2つの文脈の特定音をいっぺんに鳴らしても成立する」というパラドックス型のアイデアは、実はこれが初出ではありません。何百年も前からこの技法は使われていて、それがそう、増六の和音です。
増六の和音の原理は、クラシック短調のII-Vにおいて、通常のII(=ハーフディミニッシュ)が有するラ♭と、ダブルドミナント化したII(=ドミナントセブンス)が有するファ♯を同時に鳴らしてしまおうというモノでした。
その瞬間は奇妙に聴こえても、それぞれが後続できれいに解決しさえすれば、よい「緊張と緩和」として成立するというストーリーでしたよね。今回やっていることは、それと全く同じです。♯Vo7の特徴であるシと、♭VIΔ7の特徴であるミ♭を同時に鳴らす代わりに、ちゃんと後続のコードがそれをキャッチしているのです。
この配慮なしだと、解決先のいない音の方だけが浮いてしまって、場違いに感じられるリスクが増すはず。ちゃんとその音に意味が与えられていて、きちんと前後との結びつきを持っていれば、「増六の和音」以外のパターンでも同様の方法は実行可能なのだという仮説が立ちます(まだまだ仮説レベルですが)。
他要素によるバランスどり
今回は「メロディなし」「後続はVIm7(11)/V固定」で実験をしたわけですが、当然これらとのコンビネーションで聴こえ方はまた変わってきます。例えば、やや♭VI寄りのコードのうえで、やや♯V寄りのメロディを奏でたらどうなるのか? など。
- IVΔ7V7Vo7(↑o6,o8,o11)VIm7(11)
言ってみればモノセミーの世界には“青か赤か”という価値観しかありません。実際には微妙な色の違いがあるんだけども、そこはあまり重要視されなくて、「結局どっちなのか」という結論に人々の注意が向いていました。ポリセミーの世界ではまず“紫”の存在が正式に認められていて、当然“青紫”も“赤紫”もあって、その色味の違いを評価することに価値観の軸を置きます。
だから上の音源を聴いて「♯Vに聴こえた」とか「♭VIに聴こえた」とかいう最終判定を下すことは、さほど重要ではありません。そして「♭VIで綴った方が解釈として綺麗」とかいう机上の表記論も、ここでは無意味です。
大切なのは、パラドックス型の例で見たように、「どちらかにしなきゃ」という気持ちによって排除されてしまっていた音響表現がたくさん眠っているかもしれないということ。そして自分たちが精密で体系立てられた理論的思考だと信じていたものが、実はそれを見つけるジャマをしていたかもしれないということです。
「メタ音楽理論」の記事で説明したように、音楽理論はモデル化の時点で削られる情報があって、システムの外に追い出されてしまう音楽があります。システムがキッチリしているほどそのことには気付きにくくて、知らないうちに見えない檻の中で作曲をしているかもしれません。
ひとたびポリセミーの門をくぐると、そこにはまだまだ未開の和音がたくさんあります。何と何を重ねるのか、どちらの色を強く出すのか。12音の世界の中でも、理論化されていないサウンドがまだまだいっぱい隠れているのです。
まとめ
- ピボット以外に和音のポリセミーを作り出す主要因として、オミット、スラッシュ、サスペンド、オルタレーションの4つが挙げられます。
- 異名同音のすり替えによるピボット転調は「dim7どうし」「augどうし」に限らず、「dim7とΔ7」などの間でも行えます。
- 高度な異名同音のすり替えの際には、「トランジション」を用いて段階的に意味を変質させると、聞き手にとってわかりやすいものになります。
- 同一のターゲットを持つ2コードの文脈を重ね合わせる“ナポリ式”のポリセミーでは、それぞれの特定音を同時に鳴らしてしまう「パラドックス型」が成立する時があります。