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ポリセミー論 ❷異名同音の多重状態

2.異名同音のポリセミー

ここまで説明したポリセミーのうち、注目に値するものは限られています。たいていの場合は、ただ「表記が複数考えられる」というだけの話で終わって、実践でそれを何かに活用するほどの発展性がないからです。ただここに異名同音の認知問題が入ってくると、話は途端に広がりを見せます。「減4度」とか「増6度」への理解を深めたのも、そのための準備だったのです。

前回は、Cトライアド自体は確定で、テンションをどう乗せていくかという極めて初歩的な内容で、異名同音談議は絡んできませんでした。

ピボットと特定音

これよりもう一歩話を進めて、異名同音を交えたポリセミーを論じます。

既習の異名同音ポリセミー

異名同音と多義性と言えば、dim7やaugにてこれを利用してピボット転調を行えることを、VII章の転調記事で紹介しました。

読み替え転調

とはいえこれはdim7どうし、augどうしをただクルクル回して入れ替えるだけなので、言ってしまえば稚拙な部類のポリセミーです。テンションやサスペンドを利用して、より高度な読みかえの可能性を探ります。

dim7とΔ7のポリセミー

例えばディミニッシュセブンスとメジャーセブンスは、サスペンドを駆使すると思いのほか簡単に構成音が同一になるのでした。

類似性

異名同音のスペルが異なるだけで、鍵盤上の位置が同じ。こういう状況はEnharmonically Equivalentと呼ばれます。これを利用して、「I系列だと思ったコードが実はII系列だった」というトリックを起こしましょう!

4小節目に注目してください。そこまでの前方文脈からすると、いかにもなパッシング・ディミニッシュのIo7です。ただしトップノートはミじゃなくファ。Io7から見ると、m3をo4にサスペンドしている状態で、解決を望んでいます。しかしそれがいつまで経っても解決されず、3拍目ではなぜかソがラへ移動する…。この辺りで、これはIIΔ7だとリスナーが気付きはじめる(だろう)という構成です。今回はそこからE♭7B♭m7と進み、Fマイナーキー(ないしBドリア旋法)に転調します。

つまり、サスペンドしていると思っていた音が単なる3rdで、低傾性シェルのo5だと思っていた音が実は半音上行をもくろむ+4だったというどんでん返しが、全部終わった後には分かる(が入った瞬間には知る由もない)という仕組みになっているのです。

認知の変化

3拍目に来るラというのが、Io7文脈では滅多に乗らない音、すなわちIIΔ7文脈の「特定音」であることが重要です。1-2拍目まではポリセミックで、3拍目に打たれた特定音がIIΔ7としての意味を確定させるというストーリーを今回は構築したわけです。

オフライン(聴き終わった後から)の分析ではなくリアルタイム(聴いた瞬間)の認知を意識することでリスナーとの間に“駆け引き”が生じ、「どう積むか」じゃなく「どう聴かせるか」の論になる…という前回の話がここで生きてきます1

トランジション

このような複雑なすり替えを行う際には、上例のように特定音を後出ししてグラデーション状に変化させると、リスナーの認知を自然にガイドすることができます。前回のピボットコードの解説でもそんな話はありましたが…

メロの工夫

異名同音のすり替えのないピボット転調では、別にここまでのガイドがなくとも十分成立するという話でした。でもすり替えを伴う場合にはこのガイドの効果は大きい。この「文脈のすり替えを、構成音をちょっとずつ出すことで段階的に行う」作業、もしくはその期間のことを、トランジションTransitionと呼びます。

トランジション (Transition)
コードをピボットとして機能させる際、後方文脈の特定音を鳴らすことで、段階的に文脈を変化させる作業、もしくはその期間のこと。
異名同音のすり替えを伴わないタイプであっても、トランジションの一種に含める。

ピボットコード内で特定音を一切鳴らさない場合、リスナーがピボットで方向転換したことに気づくのは後続コードが鳴った時になりますから、これは“ドッキリ”的効果があります。あるいは後方文脈の特定音が複数ある場合には、それをいっぺんに出さず順々に出せば出すほど、トランジションが滑らかになるということが言えます。

トランジションの種類

異名同音の認識交換を行う際には、段階的なトランジションがあった方が安心安全です。すり替えに失敗すると、自分がアヴェイラブルだと思って鳴らした音がリスナーにはアヴォイドとして聴こえるなんて可能性もあるわけです。

第一転回形のポリセミー

なかなか特殊な内容ですので、もう1パターン紹介して、この「すり替えとトランジション」に慣れていくことにします。

こちらはよくある4-3-6型進行ののち4小節目にII9の一転を使ったパターン。パッシングディミニッシュと系統は似ていますが、「II9の一転」はバスからの堆積で見るとハーフディミニッシュであって、ちょっと違いますね。これだとまだ何の工夫もないモノセミーですが、たった一音変えるだけでずっと意味を複雑にすることができます。

今回は、すり替わる音がバスではありません。内側に投入された13th(=b音)が“毒薬”として機能します。fとeの上に重なったこのbは、aとも見受けられます。すなわち、下3声がF7としての意味を発信し始めるのです。

下3声があまりにもクッキリと「Rt-7th-3rd」でスクラムを組んでいるために、「本当の根音はDで、第一転回形だ」という根本認識が揺らいできます。リスナーとの駆け引きがここに生じるのです。

そして根音の認知が揺らげば、各音のシェル認知も揺らぐ。もともとただのRt5thだった上2声も、Fがルートということになれば一転して13thm3(=変位のキャンセル)というクセの強いコンビになります。

シェルの変化

つまりこの場面において、シの音は単なる「II7の13thテンション」以上の意義を担っています。ルートの位置認識に波紋を起こし、全ての音のシェルに揺らぎをもたらす作用を果たしているのです。これは、「根音省略の多義性」を利用したテクニックですね。

特定音の検索と使用

かくして発生したポリセミーは、後方文脈の特定音を鳴らすことで収束します。「D9では鳴らしづらく(≒アヴォイド)、F7では簡単に鳴らせる音」が特定音として最適。どんな音が該当するでしょうか?

最もふさわしいのは、cでしょう。D7のトライトーンを破壊する音であり、かつF7にとってはルートをガッシリ補強するP5ですから、パーフェクトです。
上の例ではこれを3拍目に入れて「段階的トランジション」を行い、最後はFmキーへと落ち着きましたが、F7を別の音度に見立てて他のキーへ進むこともできるでしょう。

トランジションの比較

異名同音のすり替えには段階的なトランジションがあった方が安心という話でしたので、そうでない場合も比較確認しておきます。

こちらは特定音の提示をしないバージョン。b音がaとしていくらかアピールしてくれたお陰である程度繋がりはしましたが、“孤軍奮闘”の感はあって、さっきほどのなめらかさは得られていません。

今度は小節頭からもうc音を鳴らして、即時にF7(-10)として確定させた例。これは明らかに、入った瞬間の変化量が大きすぎて違和感がありますね。

比べると、II9(-13)から入って徐々にF7としての質感を強めていくやり方がいかにスムーズな転調を促しているかが分かります。
ちなみに、13thでさえもそれなりの“異物感”はありますから、これも登場をほんのちょっと遅らせるだけでまた繋がりが変わります。

この場合、小節頭は完全にモノです。完全なD9/Fで、この時点では誰もこれがピボットコードになるなんて予想しない。bが入った時点からポリセミーが発現して、しかしすぐcがそれを落ち着けるという流れになります。トランジションがあまりにもなめらか過ぎて、転調したと感じられないほどじゃないでしょうか?

それから、今回の「即時トランジション」と「段階的トランジション」の二例は、もし1小節単位でコードネームに直したらば全く同一視されてしまうということは心に留めておくべきことです。
ノンダイアトニックの世界では、異名同音の認知に揺らぎや移ろいを発生させることで、音により複雑な意味合いを与えることができます。これには当然ヴォイシングとヴォイス・リーディングの調整も重要になってきます。“オフライン”の分析によるコードネームだけで語られる一般コード理論では到底およばないレベルのものを今見ています。

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