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ポリセミー論 ❷異名同音の多重状態

用語の紹介に関して

今回もまた新しい用語の設定が多くなるため、「〜と呼びます」とあればそれはみな独自に提唱する語彙、「〜と呼ばれます」とあればそれは先行する理論書や論文で既に使われている語彙、という風に区別します。

さて、前回はポリセミーの基本概念について知りました。しかし題材にとったのは異名同音のすり替えもないシンプルなピボットコードだけで、ポリセミー論的に言えば水面をかすっただけのような浅いレベルの内容でした。今回いよいよ、単なる解釈がどうの認識がどうのという思索のエリアを超えて、新しい音響を理論的に獲得するところまで進みます。

1. 日常にあるポリセミー

和音がポリセミックな状態になるのは日常的なことで、ちょっとでも応用的な音使いをした場合には、その解釈が2とおり、3とおりと考えられるパターンは本当によくあります。まずは日常にあるポリセミーを分類していくことで、見通しをよくしましょう。

オミットによる多義性

和音の識別にとって重要な1-3-5-7度の音がオミットされていると、そこに複数の解釈が生じえます。特に「根音省略形体」とみなされるコードには、必ずそれを根音省略としない、見たまんまの低音を根音とする別の解釈が考えられます。

根音省略のポリセミー

例えば「VI7に対するRelated IImとしてのミ-ソ-シ-レ」と、「I9の根音省略としてのミ-ソ-シ-レ」は見かけ上同一であり、ただそこに構成音があるだけでは、どちらを意図しているかはナゾです。

通常は後方の文脈から推測が可能で、上例でいうと、VI7に行くならそれはIIIøIVΔ7に行くならそれはI9の根音省略とみなすのが妥当でしょう。

スラッシュコードによる多義性

ある和音を転回形などのスラッシュコードとみなすか、純粋な根音からの堆積とみなすかが識別できない時もあります。

転回形

ただし、ある和音がIV6なのかIIm7/IVなのかというのは、正直言って問題になりません。どちらだとしても進行先や音使いがほとんど変わらないからですね。ただ和音次第では、どちらと見るかで話が変わってくるものもあります。

サスペンドによる多義性

sus4やsus2は、本質を言えば「オミットとテンションの併せ技」であって、それが定型文となったことで特別なコードシンボルを与えられたものだと言えます。sus2というコードがsus4よりも後になってから定着していったのも、「add9 omit3」という表記が面倒になるくらいsus2の表現が定番化したからこそですしね。それゆえ、コードのサスペンドは本質的に「オミットによる多義性」と同じものを持っていると言えます。

IVΔ7VVIsus4VI

3rdが不在である状態は、単に「戻る3rdがメジャーかマイナーか不確定」というレベルのシンプルな多義性だけでなく、テンションを積むとすぐにスラッシュコードと区別がつかなくなるという特性もあります。

sus4かスラッシュか

3rdの不在が、ベースとアッパーの結束を著しく弱めてしまうわけです。sus4によって上下を切り離すことで、予想とは異なるコードへと動いていく可能性が広がります。「サスペンド」は「オミット」の一種として包含させてしまってもよいですが、ひとまずは別々の技法として区別することにしましょう。

特殊サスペンドとその表記

正式なコードネームこそ与えられていませんが、「コードトーンを隣の音度に動かして吊る」という行為は他の形でも発生しえます。P5m6に、m3o4に吊るようなパターンです。

susの応用

コードの意味論においては、こうしたコードも広義の「サスペンド」の一種に数えるものとします

ただこうしたコードに対しては現状「omitとテンションの組み合わせ」による冗長な表記しかないのが、今後を考えると少し不便です。そこでこのポリセミー論の中でだけ、必要あらば「吊る方向+吊った結果現れる度数」という表記を独自に用いることとします1

応用susのシンボル

この「広義susのコード表記」をどれくらい用いるかは正直なところ未知数ですが、備えあれば憂いなしということで、予め用意しておくことにしました。こうした発展的なサスペンドは、ポリセミーのアイデアの種となる可能性を秘めています。

変位とサスペンド

また音度の変化がない場合でも、P5+5に変位したときなどは、それをm6とすり替えるといった発展性があります。

オミット、スラッシュ、サスペンド、変位の4つが、ポリセミーを生み出す四大要素と言えそうです。

文脈の強弱

先ほどの「IIIø vs I9の根音省略」というポリせミーは、基本状態ではIIIøの方に分があります。IIIøがストレートな3度堆積そのまんまであるのに対し、I9は仮想のバスを示唆する根拠が必要だからです。

文脈の強弱

(文脈の“強度”というのは数値にできないがゆえ論じがたいイメージがありますが、そもそも和音の安定感だったり旋律の傾性だったり協和度合いだったりについても別に数値で出せるわけでないことを延々と論じてきたのが音楽理論なので、これも同じようなものだと考えてください。)

このように、「何も工夫しなかった場合にリスナーの第一候補となるだろう解釈」を把握しておくことや、逆に第二・第三の文脈を強くする方法を押さえておくことで、構造上同一である和音の意味の表れ方を調整することができます。

イーブン解釈

一方、デフォルトでは解釈の優劣がほぼイーブンである場合もあり、そういう和音は、ポリセミーとしてはむしろ大歓迎、それこそがポリセミックなコードとして活用できる大事な種であると言えます。

二重の解釈

左はハイブリッドコードの典型としておなじみのやつ。オミットと見てもスラッシュと見ても、どちらかの解釈が回りくどいということもなく、“引き分け”の状態にあります。

右はディミニッシュのサスペンドともメジャーセブンスのサスペンドともとれる中間和音。2つのソノリティの“合流地点”になっていて、こういうのを見つけては活用法を考えるのがポリセミー論です。こちらは異名同音も異なっていて、スペリングにしてもクオリティにしても、これをリスナーにどう読ませるか(認識させるか)は文脈しだいですから、面白い使い方ができそうですよ。

死角へ自ら入り込む

前回も述べましたが、今やっているのはコード理論の死角へあえて積極的に入り込む行為です。上であげたような判別しにくいコードたちは、理論をとりまとめるうえでは厄介なもの、好ましくないものと感じる人が多いと思います。人間の解釈の余地が挟まるところだから、理論が抱えるあいまいさを直視するようで、あまり考えていて気持ちよくない感じがします。でもそんな心地悪さを感じるのはひとえに、和音のコードネームは「1つに決まる」もので、そうでなくとも「1つに決める」ものだと信じているからです。でも、本当はそんなこと全くありません。コード編I章で自由派は、音楽が長調か短調のどちらかに分かれるという“神話”を破棄しました。キーの長短は勝手に分かれるのではなくて、私たちが分けているだけで、曖昧になる時もあるという考え方です。

モニズム

ポリセミーもそれと全く同じことが言えます。コードネームは1つに決まるわけじゃなく、私たちが1つに決めようとしているだけ。異名同音にしても、曖昧になる瞬間はあるに決まっている。それを無理して区別しようとせず、かといって同一視してしまうのでもなく、意味の揺れや重なりを緻密に観測しようというのがこれから論じていくところです。

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