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5. 判定の誘導

さて、最終的なゴールとしてはリスナーに容易に判定をさせないような複雑なコードを生み出したり、判定を裏切ってすり替える技法を見つけたりというところなのですが、もう少し基礎固めを続けましょう。
「ていねいにガイドする方法」が分かってこそ裏切りの技法も見えてくるわけなので、実際の楽曲でガイドがどのように行われているかを観察してみます。

サヨナラの意味 転調

こちらもまたIV章で題材にとった楽曲ですね。VIVに“見立て直す”ことで全音上に転調する作例です。

この曲はさっきと違って、S転調です。ただ普通にコードを鳴らしただけでは、リスナーは次にFメジャーのコードが来る流れをハッキリと想定できません。大衆的な一曲ですから、ガイドとなるものが何かしらあった方が、リスナーにとって分かりやすいはず。そこで、Cコードの4拍のあいだに転入先の音階を示唆するテクニックが使われていることを紹介しました1

メロの工夫

このメロディが、いかにCというコードの多義性のフィルタリングに作用しているかを、今一度ていねいに観察してみましょう。

Cトライアドの多義性

CメジャーキーでCトライアドが出てきたならそれはただの主和音ですが、ノンダイアトニックとしてCトライアドが出てきた場合、いったい何のキーの何度のコードとして働くのかには、実に多くの可能性が残されています。

ピボットと特定音

Cのトライアドを取り巻く環境としてありうる代表的なものを挙げてみました。今回は前方文脈から「EキーのVI」としてスタートするわけですが、次のコードに移る前にいずれかの文脈の特定音を鳴らすことで、行き先のターゲット変更を示唆することができます

ここで「サヨナラの意味」のメロディラインをよく観察すると、次小節のFコードに至るまでに、多義の可能性を二段階に分けて潰していっていることが分かります。

まず「ヨ」のところでA音を鳴らすので、これが実は「E♭キーからの離脱」を示すだけではなく、「A♭キー方面に行くつもりはない」という示唆も含んでいます

A音による絞り込み

「もしもの話」ですが、この場面はVIIIIに見立ててAキーをターゲットにすることも可能です。

こんな風にラ、シ、レを繰り出すことで、下属調方面へと舵を切ることもできる。だがそうではないということを、サヨナラの「ヨ」が教えてくれているのです。

そしてサヨナラの「ラ」はB音。これによってシャープ系のキーは全滅します。これにより文脈は(ほぼ)完全に確定、Fメジャーキーへの進行を誰もが予期するわけです。

B♭音による絞り込み

実際には、ここまでていねいにやらなくても十分自然な転調はできます。ただこうやってガイドを丹念に示すことで、後続のFコードを紛れもないトニックコードとして聞かせることができているという点は、注目すべきことです。

リアルタイム性を意識する

本当に重要なことなので、もう一度言います。後方文脈を見れば、Fキーに転調したことは誰の目にも明らかです。Cはそのピボットで、既にC Mixolydianになっているから、厳密にはこの時点でもうFキーになっている…。私たちが普段の「分析」をする時には、こうやって数小節ぶんを見渡したあとに得た“結果”だけがレポートされます。

C Mixolydian
“結果”として私たちが見るもの

しかしリスナーがその音楽を聴いた時に体験しているものは、本当は違います。Cが鳴った瞬間リスナーは真っ白なポリセミーの世界に放り出されて、そこから1音1音に導かれて少しずつFメジャーキーの輪郭をなぞっていくという、極めてスリリングな“過程”があるのです。

C Sayonara No Imi“過程”で私たちが見るもの

そしてこのプロセスにこそ、時間芸術であり聴覚の芸術である音楽の奥深さがあります。今回扱ったのはまだ基礎的な「テンションが後から判明していく」パターンですが、後から分かるのがテンションじゃなく「ガイドトーン」とか「異名同音のスペル」だとまた面白さも変わってきて、そういうのも今後扱っていくことになるでしょう。


今やっているのは、コード理論の“死角”へと積極的に潜りこんでいく試みです。モノセミーを目指す理論思想から抜け出し、構造の判明している部分ではなく判明していない方を分析する。後方文脈を踏まえたオフラインな解釈ではなく、リアルタイムでの認識変化を分析する…。
接続系理論では、従来の禁則にあえてスポットライトをあてることで、多大な自由を得ました。ポリセミー論も、本質は同じです。従来の理論が扱いづらくて敬遠している部分をわざと狙い撃ちすることで、新たな音響表現を獲得します。

既にちょっぴり垣間見えていますが、ポリセミーを考えている間は、思考の流れる向きが逆です。今回はその準備運動の回でした。

まとめ

  • 和音の意味が複数考えられる状態のことをポリセミーと呼びます。
  • 構造の情報と文脈が十分に与えられると和音の意味はひとつに定まり、この状態をモノセミーと呼びます。
  • ピボットコードは前後から異なる2つの解釈が可能ですが、「特定音」の現れ方次第で文脈を絞り込んだり、強度を調整したりできます。
  • 和音の識別過程は「想定」「判定」「確定」の3段階に分けると論じやすく、リスナーを正しい判定へと導いたり、あるいはそれを裏切ったりすることができます。
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