楽曲の凄さや特徴というのは、たいていは要素の「組み合わせ」によって生じるものなので、メロディやコードといった単体を抜き取ってそこに凄さが見える場合というのは、実際にはかなり珍しいと思います。
「渚」の場合は、ファからオクターブ上のミへ一気に跳躍する動きが特徴的でしたが、そういう面白いものが”あったらラッキー”くらいの感覚です。
分析は、それをすること自体に価値があります。音を聴いて調べて記号化するという作業自体が、理論への理解を深めるための練習になります。
分析したものは、単なるデータとして持っておけば、例えば別の曲を分析していて同じコード進行が出てきたときに「こういう作風にする時にこのコードが合うのかも」と後から点と点が線として繋がってくるはずです。
あるいは既習レベルの知識以外のものが出てきた時には、それを取っておけば、後からその知識を学んだ時に「あの時のあのコードはこれか!」と”伏線回収”的な楽しみを得ることもできます。
理論学びたての段階では、分析の質を高めるより量をこなした方が、得るものが多いのではと思います。