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この記事は、「調性引力論 ❸ カーネルについて」までの内容を踏まえたうえで、これを歌モノのメロディではなくラップを素材にして論じるものです。ラップと関わりのない方は全く読まずに先へ進んでもなんら問題ありません。

1. ラップとピッチ感

ラップというのはそのフロウのバリエーションが非常に広く、ピアノの鍵盤で表現できるような“音階感”が全く想起されないような、言わば「喋り」に近いトーンでのラップもあれば、ほぼ歌モノと同じようなメロディラインを有しているものもありますね。それから本来は音階関係なしにラップしているのをオートチューンで音階状に均す場合もある。

基準となるピッチが見えるラップ

中には、“音階を見据えて歌っている感”をさほどリスナーには感じさせないけども、実際にはあるピッチを中心にフロウが動いているということがあります。いくつか実例で確認しますね。

BUDDHA BRAND – 人間発電所

例えばこちらの冒頭のCQとDEV-LARGEのバースは、Bの音が中心的な照準としています。「照準」というのは、言葉にアクセントをつける時にはそれより高い位置、語尾が落ちる時はそれより低い位置に行くけども、平均地点を測るとココというようなニュアンスです。

揺れ動きを取り除いていって平均地点を見定めるとこの音を基準にしているなというのが十分感じ取れます。特に「遠い国からはるばる殺しに」の部分が安定していて分かりやすいかと思います。

NAS – Represent

東のレジェンドNASの一曲、バース序盤がこちらは下がり気味のB音を照準にしています。

曲が進んでいくにつれ、ちょっとずつ照準ピッチも高まっていきます。そういう点で照準ピッチというのは、バイブスをコントロールする一要素という風にも言えます。

Awich – WHORU? feat. ANARCHY (Prod. Chaki Zulu)

こちらのAwichの1stバースでは、かなりハッキリとB音を中心に据えてその周辺の音でラップをしています。「買う」で伸ばしているところが、一番分かりやすいですね。

照準を持ちつつ、「マフィア」「キャリア」のような語尾はその語本来の抑揚にしたがって発音することで、“歌”と“喋り”の均衡がコントロールされています。

マフィア・キャリアのピッチ感(※ピッチはおよその位置、精密な測定ではありません)

対してANARCHYの方は、ぼんやりとD〜E音あたりに照準が見えますが、ピッチの曲がりくねりが大きく、半音刻みのピアノの鍵盤では出せない音領域の表現が際立っています。音楽的にも文字どおりアナーキーという感じです。

局所的にピッチが安定するラップ

また、ひとつの曲の中でピッチフリーな部分とピッチが安定した部分がうまく入り混じっているようなものも当然あります。特に、その曲にとって重要な部分にメロディ感を持たせることで、リリック自体のパワーに歌のパワー、メロディのパワーを上乗せしているような例も見られます。

こちらははじめのバースは比較的ピッチ感が自由で、フックから次第にピッチの照準としてD音が見えはじめ、「永遠に消えない謝罪の気持ち」がかなりクッキリとDの音をとっています。

2バース目も、バースを進んでいくにつれてD音に的が絞られていきますね。

この曲の場合、心情をポツポツと独白するようなバース部分では喋り調で自由なピッチ、聴き手にメッセージを伝えるようなフック部分はどことなくメロディ感のある安定したピッチという、パート間のコントラストのようなものも意識されているように思います。

GOMESS – フリースタイル 2017.9.4 下北沢THREE

こちら、語りかけるような口調で全体を通してピッチはかなり柔軟なんですけども、2:05から繰り返される「HipHopっていうのは」というフレーズは、よく聴くと4回ともほとんど同じピッチをとっていることが分かります。鍵盤上で近いところに当てはめると、HipHopのヒがF音、それ以降が下がってD音です。

このあたりが本当に、「一見ピッチなどなく叫んでいるように聴こえるが、実はピッチがちゃんとある」という形のギリギリのラインかなと思います。喋りの体をしているのだけども、その奥には歌心もある、というラップミュージックの奥深さが顔を覗かせるワンシーンです。

ピッチの曲線・直線

こんな風に、ラップはピッチが「かなり揺れ動く」ものから「かなり一定」なものまでグラデーション状に存在し、それがひとつのバースの中で多様に変化することで音楽を彩っています。

ラップのピッチ感

こんなイメージで、鍵盤楽器だと決まったところのピッチを直線的にしか奏でられませんが、ラップならグネグネと複雑な曲線を描くことが容易にでき、かつその中に照準とするピッチが存在する場合(としない場合と)があるということですね。

そして「照準」が存在する場合でも決してそのピッチにピタッと固定されているわけではなく、単語の抑揚にしたがった変動や、逆に本来の単語の発音とは異なるアクセントをつけたりして、それがフロウの一構成要素となる。

照準の上か下か

また、照準を決めたとして、言葉の抑揚をその照準に対してどうあてていくかの選択があります。例えば「冷たい」という言葉は、真ん中の「めた」が高めで、端っこの「つ」「い」が低めというのが語本来の抑揚ですが…

冷たいの抑揚

もしこの抑揚をキープしたままラップに乗せる時には、大別して次の2とおりが考えられます。

冷たいのピッチ選び

①の方は出だしがすでに照準のピッチで、アクセントはそれよりも高くなるという形。②の方は、アクセントである「めた」が照準ピッチに来るように、他が低くなっている形。やはり前者の方がアッパー、後者がダウナーな印象に結びつけやすいはずです。

したがって例えば「基本的にはダウナーなあて方をしつつ、強調したいところはアッパーなあて方をする」といった方法で、「安定したピッチの供給」「自然な抑揚」「バイブスの表現」を全て成立させることもできます。

アッパーとダウナーの振り分け

オートチューン

ちなみにラップにオートチューンのエフェクタをかける行為は、こうした曲線状のピッチを強制的に階段状に均すことを意味します。

オートチューン

そして階段になっている箇所が、いわゆる「ケロケロボイス」として聴こえてくる部分というわけです。

トラックとの調和・不調和

面白いことに、上で挙げた5つの例ではみな、MCたちが選んだ基準ピッチというのはトラックのキーと非常によく調和する音になっています。つまり、トラックが鳴らしている音階に含まれる音で、かつ連打しても安定する音が選ばれているのです。きっと経験の中で、トラックに対して気持ちの良い音の位置でラップをする音感や技術を会得しているのではないでしょうか。

仮にオートチューンでピッチを均すにしても、均したそのピッチがトラックとゴリゴリに不協和となるような音の場合、どうしてもリスナーが違和感を生じる可能性は高まります。あるフロウが心地良い/心地良くないという印象があった場合に、そこにトラックのキーとラップのピッチの関係性が要因として絡んでいる可能性は十分考えられます。

そこでこの記事では、トラックに対するラップのピッチの位置取りとそれがもたらす聴覚印象の関係性について論じていきます。

2. ラップとメロディ理論

まず、これまでの音楽理論の内容の中から特に今回の話と関わってくる部分を雑におさらいしていくと…

メジャーキーとマイナーキー

ポピュラー音楽の基本は「メジャースケール」と「マイナースケール」の2つである。あるメジャースケールには、必ず“親戚”となるマイナースケールがいて、親戚関係のふたりは音階を構成するメンバーが同じである。

親戚

このペア関係を「レラティヴ」と言うのでした。2人の違いは単にドとラのどっちが中心に感じられるかという認知の差だけです。
ドが中心としてふるまった場合には曲の印象はおおむね明るくなり、その曲は「メジャーキー」であるという。一方ラが中心としてふるまった場合には曲の印象はおおむね暗くなり、その曲は「マイナーキー」であるという。

「階名」のシステムにおいては、キーの高さがどこであろうとキーの中心をド(マイナーキーならラ)と呼んでドレミを振っていく。

音名と階名Eメジャーキーの各音を「階名」で読む場合

こうすることで、異なるキーの曲もみな同じ「ドレミファ…」で論じることができるようになる。

キーと安定音

キーの中で音階の各音には安定性の差があって、メジャーキーにおいてはド・ミ・ソの3音が安定している

安定・不安定の配列

上の楽譜はCメジャーキーの例ですが、どのキーにおいてもi・iii・v番目の音が安定音になるのは同じです。

そしてこれはIII章になってから詳しく述べられることですが、マイナーキーにおいてはラ・ド・ミの3音が安定し、ソの安定感は落ちます

Aマイナーの安定音

安定音/不安定音とラップ

この安定音/不安定音の概念がラップのピッチ取りにおいては重要で、基準として据える音として安定音を選べば文字どおり音響的に安定感のあるラップになり、不安定音を選べば何らかの形でリスナーに揺さぶりをかけることになります。上の5例では、選ばれたのはいずれも安定音でした。

キー 照準ピッチ 階名
人間発電所 Bメジャー B
Represent Eマイナー B
WHORU? Bマイナー B
漢 back Bマイナー D
GOMESSのフリースタイル Gマイナー D

ものの見事に、ラ・ド・ミのどれかです。これは決してそういう例を頑張って引っ張り出してきたわけではなく、本当に安定音の方が多数派なはずです。根本としてラップを音階に沿わせるかどうか自体は自由なわけですが、いざ沿わせるとなった場合には、安定音を選ぶ方が(良くも悪くも)ベタな選択であると言えます。

特に興味深いのはNASのRepesentで、この曲はチューニングがやや特殊、通常のEよりもだいぶ低め、なんならEとEの中間くらいの位置にチューニングされています1。 するとNASのラップもまたそのチューニングにぴったり沿うように通常のBよりも少し低い位置に照準を合わせているのです。
これはやはり、体感でピッチを合わせているからこそ、トラックのチューニングが落ちていればそれに応じてラップのピッチも半音未満の微細な次元で調整されているということだと思います。

さて、カーネル論で述べられたように、「安定音」「不安定音」と括られるものの中でもさらに各音には各音の個性があり、その選択次第で曲想に変化をつけることができます。ここからはそういったピッチごとの個性について見ていきます。

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