目次
先日Twitterでちょっぴり話題になっていた、Diminished Chordの表記についてのお話をしたいと思います。
ことの発端
きっかけは(多分)こちらの呟きです。
まずはCのコードを基準に勉強しようかと、おバカな私にもわかるあいうえお表みたいなコード表作りました。 pic.twitter.com/H2uAzzsK9N
— SEA@楽器LOVE (@sea_piano_flute) January 23, 2019
1000回以上RTされたこの投稿に対し、「dimだったらラの音は要らないのでは!?」なんて話があちこちで沸き起こっていたのです。
dim7が場合によって「7」を省略して「dim」と書かれることがあり、「dim」というコードネームが三和音なのか四和音を指すのかは曖昧であるということは、このサイトのコンテンツ内でも解説しています。
これってシンプルなように見えてなかなか奥の深い話で、音楽理論の流派ごとの哲学の差を知る良い機会です。今どちらかの表記を推している人も、記事を読んだらもしかしたら考え方が変わるかもしれませんよ。
1. 前提の共有
まず最初に確認せねばならないのが、音楽理論の大まかな流派についてです。一般的には「クラシック系理論」と「ポピュラー理論」という分け方でもってこのdimコードのことが論じられているようでしたが、その分類はあまり適切なものではありません。
というのも、このサイトの「序論」で述べられていることですが、音楽理論の流派は大きく大別するならば「クラシック系」と「モダン・ジャズ系」で、ちまたにある「ポピュラー理論」というのは、このどちらかないし両方から影響を受けて生み出された“子ども”のような存在だからです。
ようは、「ポピュラー」を謳う音楽理論書であっても、それがクラシック系統から流れて生まれた形式であったら、それは事実上「クラシック系」に属する理論なわけです。それゆえ、「クラシックvsポピュラー」という図式を描いてしまうと、本当にそこにある構図が見えづらくなってしまうのです。
ですからまずは、「クラシックvsモダン・ジャズ」という図式に頭を書き換えて頂きたい。
2. ジャズ理論の特性
そうなると次に、モダン・ジャズ理論の思想についても簡単に説明しなくてはいけません。ちまたでは「ジャズ・ポピュラー理論」なんて言葉でゆる〜くひとまとめにされていて、本格ジャズ理論が一般的なポピュラー理論とはずいぶん異なっているという点があんまり知られていないのです。
それについてもこのサイトの音楽理論ページを読んでほしいところではありますが、この記事でも軽くそこから抜粋して説明をします。
即興演奏のための理論
ジャズ理論の極めて重要なポイントが、「アドリブ(即興)での演奏を想定した理論組みが根底にある」ということです。
楽譜にはコードネームだけが振られていて、そこに自由に音を乗せて即興で演奏する。モダン・ジャズの醍醐味です。そしてそこでは、演奏するスケールを演者たちが共有しておく必要が(基本的には)あります。
その結果として必然的に形成されたのが、四和音(≒セブンスコード)を基本とする理論体系です。
ジャズ理論がセブンスコードを基本にしている理由のひとつは、実際に三和音ではなく四和音で演奏することの方が圧倒的に多いからというのもあるでしょうが、もうひとつ「単なる“C”だけでは、アドリブ演奏をするには情報が少なすぎる」という、ジャズならではの事情もあるのです。
アドリブをする際には、どのみち第7音の位置を通るときが来ます。そのとき、Bの音を弾くべき(=Major Seventh)なのか、B♭の音を弾くべき(=Dominant Seventh)なのか。「C」とだけ書かれていたら、そこで迷いが生じてしまいます。
これに対し、「ただのCと書いてあるなら、余計な臨時記号をつけずに弾けばいいに決まってる」と思いますか? でもそうもいかないのがジャズの世界。だって、転調が極めて頻繁なジャズにおいては、現在のキーを明確に特定できないことがザラにあるのですから。「キーから常識的に判断してね」とは言えないのです。
ゆえにジャズ理論では、「3rdと7thの情報があってようやく、コードを分別するために最低限必要な情報が揃ったと言える」というような価値観が、明文化こそされていないですが、存在しています。
実際ジャズ理論では、3rdと7thの2つに対し、「ガイドトーン」という特別な名前が付けられています。
ですから一般理論の感覚でいくとメジャーセブンスとドミナントセブンスというのは、「同じメジャーコードの仲間で、7thがちょっと違う兄弟みたいな存在」かもしれませんが、ジャズ理論においては全然違います。むしろこの二者は、太陽と月くらいにかけ離れた対照的な存在です。この根本部分の考え方が、コードネームの慣習に際して重要になってくるのです。
3. Δ=Major Seventhの世界
ところで、上の画像を見て疑問に思った方がいるかもしれません。
確かに、上の楽譜ではCメジャーセブンスコードを「CΔ」と表記しています。実はこれ間違いでもなんでもなくて、「Δのみ」というスタイルは、ジャズ界では実際にある表記なのです。
例えばとても高名なジャズ理論書で、邦訳もされているMark Revineの「The Jazz Theory」では、一貫して「Δ」がメジャーセブンスの表記として採用されています。
ご覧のとおり。この楽譜の場合、なんなら9thも加わっているので、CΔ9と本来書くところを、たんにΔとしています1。 もちろん、この一冊だけではありませんよ。
ほか、ジャズ界の巨匠ジョン・コルトレーンが書いたと思しき楽譜で「Δ」が用いられていることを紹介しているWEB上の記事なども見つかりました。「Δのみ」の事例は、探せばいくらでも見つかると思います。
「Δ」で済む理由
ではなぜ、肝心の「7」という数字が省略される結果になったのでしょうか? ここまでの話でなんとなく予想がついているかもしれませんが、要するに「メジャートライアド」というものが理論上存在しないに等しいからです。
先ほど述べたとおり、どのみち即興演奏の過程で7thは指定されざるを得ない以上、M3+P5のコードはメジャーセブンスかドミナントセブンスの“どちらか”であって、どちらにも定まっていない「メジャートライアド」は、ジャズの理論体系においては余分な存在なのです。
そして「メジャートライアド」という半端ものを除外するという前提に立つならば、「Δ」の一文字を書いた時点でもう可能性は「メジャーセブンス」しか残っていないわけです。
そんな状態で延々と「Δ7」と五年十年書いていたならば、仲間どうしの間で「もうさあ、この“7”書かなくてもよくない?」と思い始めるのは、当然の感情ですよね。
4. dim7の表記について
さて、いよいよ本題です。とはいっても、ここまでの話から考えれば、もうどういうことなのだか見えて来ているかと思います。Diminished Chordについても、メジャートライアドと全く同じことなのだ。
Diminished Triadの状態では、第7音がminor 7thなのか diminished 7thなのかが分からない。
プレイヤーどうしのコミュニケーションにおいて、トライアドの表記で留めておくことには何のメリットもない。Half DiminishedなのかDiminished Seventhなのかを伝える必要があった。
そして、それが当たり前になった環境下でやがて思い至るわけです。
「7」の文字を書く必要性を感じなくなった結果、必然的にそれが省略されていったのではないでしょうか。
むろん私はジャズの歴史を目前で体験していたわけではないですので、これはひとつの仮説にすぎません。7が省略される経緯については違った説も考えられるでしょう。ただいずれにせよ、省略できる環境でなければ省略は起こりません。そこには必ず合理的な理由があります。そしてジャズ理論はジャズという音楽の文化的特質から、省略が許される、むしろ省略した方が分かりやすいと言えるだけの条件が揃っているのです。
5. 現代の我々の向き合い方
そうしますと、現在の漠然とした「ポピュラー音楽理論」という世界の中で、dimの表記は何を使うのが良いかというところなのですが、見誤ってはならないのは、いずれかの表記が優れているなどということはないということです。
「dim=三和音」で覚えている(主にクラシック系の)人間からすれば、四和音をdimと表記することについては、「紛らわしい」という印象を抱くに違いありません。
しかし、ここまで読んでお分かりのとおり、ジャズ系の人間からするとむしろ、セブンスが不明瞭な「三和音」という存在自体が紛らわしいし余分であるわけなのです。それこそ「このdimはもし7度を乗っけるとしたら短7度です」なんて話になったら大変です。
ダイアトニックコードのVII番目なんかではこういう問題が実際に起こりえますね。ジャズにとってセブンスを明示することはある種のマナーと言えます。「もし乗せるとしたら」という発想、ここに関してジャズはクラシックと決定的に異なっているのです。
クラシックでは、三和音と四和音を区別するのは当然です。二つは全く異なる表現内容のコードだからです。対するジャズからすると、三和音という状態は情報が欠落していて不都合に感じられます。
つまりdimの表記問題には、楽譜から作曲家の意思を読み取って“分析”する指向が根底にあるクラシック理論と、楽譜に自らの意思を乗せて“演奏”する指向が根底にあるジャズ理論との、互いに決して譲ることのできない前提の違いが現れているということなのです。
異文化交流である
そして現代のポピュラー音楽というのは、その両方が混ざりあった文化形態を成しています。アドリブ演奏はするし、だけども三和音と四和音は区別する必要がある。私たちは、ここに関して、なんかウマイこと折り合いをつけていくしかないのです。
とはいえそんなに難しい話ではなくって、必要があればちゃんと相手と対話すればいいだけの話です。表記の違いは、個性の表れ。表記を通じて相手を知る良い機会なのです。
中にはこのとっ散らかった言葉遣いに苦言を呈する人や、ある表記を嫌悪する人もいるようですけど、そんな息苦しい生き方をすることはとっても損です。どっちが相応しいかとか、統一したいとか思うから窮屈になる。これって言語でいうところのまさに「方言」のようなもので、「違うのが気持ち悪い」じゃなくて「違うのが面白い」と思ったらずっと気持ちがラクになります。これはdimの表記に限らず、音楽理論全般にして言えることですね。
方言が原因で起こった勘違いエピソードなんていうのは、よく笑い話として語られます。ジャズ派とクラシック派のdimとdim7が原因で行き違いが起こるなんてことが仮に現実にあったとしたら、そんなの超面白いじゃないですか。
こんなのコントやん。全然いいと思うんですよね。これは衝突ではなく交流である。最終的にはお互い笑って理解しあえるはずです2。
たしかに、意見の割れている「dim」を避けて三和音には「m(♭5)」を、四和音には「dim7」をつければ誤解は起きないわけですが・・・
だからといってこれが最良の表記と断言できるわけではない。本当はマルひとつ書いてdim7を表すことだってできるのに、各方面に配慮してdim7と書くなんて窮屈であるという意見もまた真なのです。
簡単にまとめると、以下のようになります。
dimを三和音とする側の考え方
- 三和音と四和音を明確に区別できてよい。
- セブンスコードには7の字が並ぶので、一貫性があってよい。
- m(♭5)と書くよりも楽。augとの統一感もある
三和音の存在を重視する体系においては、dimは三和音とした方がスムーズにいきそうです。
dimを四和音とする側の考え方
- 三和音を排除するという前提が共有できていれば、効率的。dim7と書くよりも楽。
- コードネームは基本的に第7音まで示唆するものと定めた方が演奏において実践的である。
- 万が一もし減三和音を明確に表現したいときは、m(♭5)を使えばよい
即興演奏が前提にある体系においては、「三和音のdim」という存在を排除した方がスムーズにいきそうです。
音楽理論は深いし広い
さて、音楽理論はどれひとつとっても深さがありますが、それと同時に非常に広くもあります。それぞれの流派の根底にある哲学を知ることが音楽理論のより深い理解に繋がりますし、そのためには他流派との対比、つまり広い視点というものがたいへんプラスになります。
そういった音楽理論の“広さ”に興味のある方は、「音楽理論とは何か」から始まる自由派音楽理論のコンテンツを読んでみることをお勧めします。