目次
1. フリジアンの時代が来ました
おめでとうございます。昨今のフリジアンモードの勢いがすごいです。当サイト本編のフリジア旋法の記事では、1990年代に生まれたゴアトランスやサイトランスのベースラインでの用例を紹介したり……
2000年以降隆盛してきたヒップホップやEDMでのトラップビート上での使用例を紹介しました。
こういったジャンルでは曲の展開はもっぱら音色の足し引きやサウンドの変化によって成り立つため、V7→Iのような従来的なコード進行による緊張-弛緩のストーリー作りは必要とされず、さらに言えばコードを鳴らすパート自体が必要なくてドラムとベース(そして時にはリード)があれば十分であるといった環境から、フリジアンで楽曲を構築することが非常に容易なのでした。
ですがこうしたベースミュージックやヒップホップが音楽産業の中での勢力としてメインストリームになってきた結果か、近年とりわけK-Popのフィールドまでにもフリジアンが急速に侵入していき、2020年代を通じていよいよ確かな人気と市民権を獲得したように見えます。今やフリジアンモードをフィーチャーしたK-Pop/J-Popの楽曲は、お散歩する柴犬と同じくらい簡単に見つけることができます。
Number_iの『GOAT』やSPIAの『Daddy’s Little Girl』のように、アイドルグループの命運をかけたデビュー曲がフリジアンであっても、もはやそれは驚くようなことではなくなりました。これは15年前、いや10年前でもなかなか想像し難かった光景であるように思います。
フリジアン、次のフェイズへ
ジャンルの枠を飛び越えてアイドルソングでフリジアンが受容されたことで、フリジアンを取り巻く環境も大きな変化の波にさらされています。おおまかに言うと、以下の3点が課題になってきます。
- ポップスではループミュージックよりも展開を要求される
- ポップスではキャッチーなメロディが必要
- アイドルグループの曲にはコーラスワークがつきもの
ベースラインさえ作れば十分だったこれまでとは全く異なり、歌曲ポップスのフォーマットにフリジアンをうまく落とし込んでいかなければいけない。そのため近年のフリジアン・ポップス界隈では、ベースミュージック系のフリジアンの技法と、従来のメジャーキー/マイナーキー調性に基づくポップス系の技法が融合して、実に豊かなカオスが形成されています。具体的には、音階をくるくる切り替えて展開を作ったり、平行移動のハーモニーで調性から外れたり、フリジアンのベースラインとナチュラルマイナーの歌メロが同時に鳴ったり。ポップス全体で見れば特異なスタイルがこの界隈でだけはたくさん見つけられる状況で、いわゆる“ガラパゴス”的な進化を遂げています。そこで、2025年時点でのフリジアンとその周辺を取り巻く環境をあらかたまとめておこうというのがこの記事の趣旨であります。
2. 概念と表記の整理
まずこの記事では解説の基本としてAフリジアンを用い、かつ主音の階名を「ラ」と呼ぶ方式で進めます。
CフリジアンやEフリジアンを基本にするかとか、主音をミと呼ぶかとかでけっこう迷いましたが……。この記事においては、フリジアンの特性音は「シ♭」となります。
ただ、ややこしさはあるので、音階の或る音を指し示す際には適宜「ii音」「vii音」といった表現をします。また詳細な度数を論じる場合は、このサイト内ではお馴染みであるマル囲いの♭7thといった表記を利用することにします。
音階関係の整理
フリジア旋法と他の音階を絡めるとなった場合、やはり特性音たる♭2ndを有する音階の手持ちが重要になってきます。フリジア旋法自体は本編ではメロディ編III章で紹介されますが、それをさらに変位させたバリエーションたちとなると、コード編VI章のジャズ理論パートで紹介されるようなややマニアックな音階が多いです。ここで改めてフリジアン周辺の音階たちをまとめてみましょう。
ii音のバリエーション
まずフリジアンの特性音たる♭2ndを半音上げて♮2ndにすると、これはもちろんエオリアン(ナチュラルマイナー)となります。
今さら言うまでもないという感じもしますが。今回調べた楽曲たちでは、ヴァースやブリッジで通常のマイナーキー音楽に移るものも多くありました。そこには聴き馴染みのあるパートを設けて親しみやすくするという目的も大きいでしょうし、加えてそういったパートがあることでフリジアンの♭2ndの存在感が引き立つという、音楽的なコントラストやダイナミクスを大きくする効果もあるでしょう。
なおこの記事では、従来的なポップスの、コード進行に基づくようなマイナーキー環境に対しては「ナチュラルマイナー」の語を、現代K-Popのモーダルな音楽の部分には「エオリアン」の語をなるべく使っていきます。
iii音のバリエーション
そして♭3rdを半音上げてただの3rdにすると、フリジアン・ドミナントになります。
「スパニッシュ・ジプシー」という呼び名も。日本では「ハーモニックマイナー・パーフェクト5thビロウ」の呼び名の方が有名でしょうか。こちらは主和音がメジャーコードとなりますから、フリジアン的なことをしつつ主和音を明るくさせたい時にこの音階を使うことになるわけで、これから分析していく楽曲の中にもこの音階はたびたび登場します。
「フリジアン・ドミナント」という名は、四和音にした際ドミナントセブンスが形成されることに由来する、ジャズ的な名称です。しかし今回ターゲットにする楽曲群においては、四和音を構築することは基本的になく、ドミナントどころかキーの主和音を形作る存在です。その点からしてちょっとこのネーミングだと違和感が拭えません。
そこで、この音階はいわばメジャー化したフリジアンということで「フリジアン・メジャー」と呼ばれることもあるので、この記事内ではこの呼称を採用したいと思います。
vii音のバリエーション
それから♭7thを半音上げて7th、長7度にすると、これはナポリタン・マイナーと呼ばれる音階になります。
「フリジアン・ハーモニックマイナー」という別名も。その名のとおり、主音の半音下に導音を作るさまがハーモニックマイナーと同じであることからそう名付けられています。ただ私が観測した範囲では、vii音を上げるパターンはさほど見かけませんでした。この状態だと主音の上も下も半音差ということで、あまりに密集しすぎていて使いづらいところはあるかもしれません。
iii音・vii音両上げ
もしiii音とvii音を両方上げた場合には、今度はアラビック・スケールとかビザンティン・スケールと呼ばれるものになります。
民族性を持たない呼称としてダブルハーモニック・スケールという呼び名も。このスケールは別の見方をすると、「メジャースケールのii音とvi音をフラットさせたもの」です。増2度のステップが2箇所存在しているぶんフレージングの際にアクが強くなりやすく、ポップスに取り込むには扱いづらい部類の存在でもあり、この音階も探した範囲ではほぼ見かけませんでした。
長短3度の混在
最後に、もし♭3rdと3rdが入り混じって8音音階を形成しているとなれば、それはスパニッシュ・エイトとなります。
長短が混在するようなK-Pop楽曲は実際に多数あり、それも今回の主要トピックのひとつとなります。
♭2ndとメジャーの3rdを含む音階は、やれアラビック、ビザンティン、スパニッシュ、ジプシーといった名前からも分かるとおり、中東地域やロマ民族の民族音楽との関連性があります。その民族性をいかに利用しているかという点も、これまた重要なポイントです。
まとめ
フリジアン周辺の音階たちの構成音をまとめると、以下のようになります。
音階 | i | ii | iii | iv | v | vi | vii | サウンド |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Major | Aeolian | ♭ | ♭ | ♭ | ||||
Double Harmonic | ♭ | ♭ | ||||||
Phrygian Maj. | ♭ | ♭ | ♭ | |||||
Neapolitan min. | ♭ | ♭ | ♭ | |||||
Phrygian | ♭ | ♭ | ♭ | ♭ | ||||
Spanish 8-Tone | ♭ | ♭/♮ | ♭ | ♭ |
この中で特に中核をなす存在と言えるのが、まずもちろんフリジアン、そして従来のポップス領域を担うエオリアン、そしてフリジアン世界におけるメジャーキー担当のような立ち位置になるフリジアン・メジャーです。
なお、ここから先の分析では、曲中で7音全てが出揃わないという状況に多々遭遇することになります。その場合、今回はフリジアンの構成音をデフォルト値としてみなすことにします。例えばvii音が不在でフリジアンかナポリタン・マイナーか判別がつかない、という時には便宜上断りなくそれを「フリジアン」と呼ぶといった具合です。
それでは、実際の楽曲がどんな構成をとっているのか、分析してみましょうッ