和声を学ぶ本質

コード編 Ⅶ章:古典の世界

#1 続きは書籍で

さて、お疲れ様でした。和声の話はここで終わりです。ここに来るまでになかなかの知識量がありましたが、これでもまだ基礎中の基礎です。短調での声部連結の話もほとんど出来ていないし・・・なんせ実際の「和声」は、分厚い本3冊分ですからね。

内容としては既知であるテンションコードの話なんかも含まれていますが、それを“クラシックの文脈ではどう解釈してどう取り入れるか”まで解るという点に、価値を感じるかどうかですね。例えばIV7を使うときには、「予備」をする必要があるなんて話も登場します。「予備」って何やねんというところですね。
先へ進むと、時間対効果の低い細かな知識も増えてくるので、正直言って万人にはオススメ出来ません。

和声―理論と実習 (1)
Posted at 2018.4.17
島岡 譲
音楽之友社
新しい和声──理論と聴感覚の統合
Posted at 2018.4.17
林達也
アルテスパブリッシング

これまでに解説した「クラシックの基本哲学」のようなものが分かればそれで十分という人は、これ以上深追いする必要はないでしょう。このⅦ章の内容をきちんと実践するだけでも、相当本格的なクラシック調の曲が作れるはずです。

オンラインで練習をしよう

和声の難しいところは、チェックしてくれる人がいないと、自分の和声連結があってるか自信を持てないところにあります。だからこそ、誰かしら先生に教わる必要がありました。しかし、21世紀の進歩は目覚ましいです。なんと、WEB上で和声の練習ができるサイトがあるのです!

Sensoku

バスが決まった状態で上三声を編集する「バス課題」と、逆にソプラノが決まっている「ソプラノ課題」を楽しめます。矢印ボタンで各声部を動かし、綺麗なラインを作っていくのです。素晴らしいですね。音の再生も出来ます。よくない点がある場合にはきちんと指摘してくれますので、コレで粘り強く頑張れば、かなり和声感覚に強くなれるはずです。100点が取れると、嬉しいですよ!

100点

まずシンプルな形で100点が取れるようになったら、今度はメロディラインをなるべく美しくするよう工夫したり、ちょっと定番の配置から外した、自分なりの配置を試みてみると面白いです。ほんとに、いい時代になりました・・・。

#2 禁則を活かす

「禁則」の話がずいぶんたくさんありましたが、何より忘れて欲しくないのは、「何が禁則だったか」ではなく「なぜ禁則だったか」です。音の「彩り」や「硬さ」、反行や並行によって生じる「ハーモニーの形」など、そういった根本の思想があってこその規則です。それをきちんと理解していれば、どんな時に規則を守るべきで、どんな時に破るかも自ずと判ります。

それこそたとえクラシック畑の人のクラシック系楽曲であっても、表現したいこと次第では「連続五度」を活用する事例だってあります。

例えばこちら。22秒ごろ、パートが変わって管楽器の二声だけになるところで、びっくりするくらい単純に完全5度を繰り返しているのがハッキリと聴けます。

この部分。久石譲さんは音大出身だし、なんたって「和声」の著者である島岡譲さんに師事していたそうですから、和声のルールを知らないはずがない。でも、この連続五度が持つモノトーンな表情が、このパートにはぴったりだと感じたから使ったのでしょう。

この曲は他にも、さっきの「属九和音の配置規則」を破ってあえて2度で音をぶつけて濁らせたり、ピッチカートを4度でハモらせて和を表現したりなど、“度数のマジック”がそこかしこに散りばめられています。この連続五度だって、明らかに意図的な選択なのです。

Summerのこのパートって、なんかホッと一息って感じですよね。ここで一回落ち着くから、次また入ってくるメインメロディが輝く。なんか、映画とかアニメで適度な“間”を作るために、「セミが木に止まってる風景」とか「暮れていく空の映像」とかが挿入されることってあるじゃないですか。アレに似たものを感じますよね。

日本の心はワビサビです。最初から最後までずっと優雅で多彩というのは、それはそれで節操がないと思いませんか? 久石さんは、禁則が禁則である理由、古典派が求めたサウンド像、そういう「理論の芯」をガッシリと理解しているのでしょう。だから、破る時は思いっきり破る。それによって、連続五度がもたらすサウンドを、絶妙なスパイスとして活かすことに成功しています。
「禁則破りの歴史は、音楽の進化の歴史」。それが自由派音楽理論の基本理念のひとつなわけですが、この曲はまさに、禁則破りを完ぺきにやってのけた歴史的作品といえます。

「四度堆積和音」の時に紹介したドビュッシーの「沈める寺」も、バリバリ五度・八度の平行移動が大量に行われています。

沈める寺

これだって言うまでもなく、「理論的に正しい音楽」です。だって古典派の典型的な西洋音楽観から脱したくて東洋のエッセンスを取り入れているのだから、ここは禁則を犯しまくってこそ、音楽理論の正しい活用法じゃないですか。

ほか、ラヴェルの「ボレロ」なんかも、和声を無視した異常な平行移動でメロディを重ねるパートがあることで有名です。これは、オルガンのような独特な楽器の響きを複数楽器で再現する試みと言われています。

この和声学は、あくまでも「各パートが独立性とバランスを保ったまま、響きの豊かで澄んだアンサンブルを作るための方法論」です。それを理解して、使うべき時に正しい方法で使い、破るべき時には効果的に破る。それでこそ音楽理論を学んだ意味があるというものです。

#3 本当に大事なこと

最後に改めて確認しますと、この「和声」は何も、格調高いクラシックサウンドを作るためだけにある知識ではありません。ピアノの伴奏なんかはもちろんのこと、ハモリのラインを作るときも大活躍だし、テクノやEDMでも音数が少ない方が音圧が稼げるわけですから、最小限のハーモニーで効果的な音響を得るにあたって、和声の知識はメチャクチャ有益です。

そしてそのいちばんの本質が何かと問われれば、それは「コード」という概念からの解放です。

ハーモニー

こちらは、ソプラノとバスが反行しながらドンドン広がっていく、いかにもクラシック調のフレーズです。和声の知識があれば、こういうフレーズを作ることは難しくありません。タテ(各声部の度数関係)とヨコ(声部連結)の状態をチェックしながら組み立てていけばいいだけですからね。
ところが、これにコードネームをつけようとすると、とっても大変です。特に4・5小節目なんかは、そのニュアンスをコードネームに還元するのは困難。強いて行うならばこうなるでしょう。

コードネーム

かなりグチャグチャ。かろうじて「分析」はできましたが、しかしこれで「解釈」できたと言えるのかどうか疑問ですね。

というかそもそも解釈できるかどうかは全然問題ではなくって、コード理論的思考でスタートしてしまうと、このようなアンサンブルを「作成」することが困難なんですよね。そこが肝心です。
2小節目なんかはバスとソプラノが短2度関係ですから、ジャズ系の理論に発想が偏っていると、こういう配置は選びづらい。でも現実には、横の流れが綺麗で曲想にマッチしていれば、これくらいの濁りは十分許容できるんです。

和声に習熟すれば、こうやってサウンドのコントロールを研ぎ澄ませ、ギリギリのラインを「攻める」アンサンブルを作ることも容易です。和声を知ることは、度数がもたらすサウンドを深く知ることであり、それは音楽の本質を知ることに他ならないのです。

コードの檻から心を解放するのだ

理論を学んだ人ならば、「次のコードはどうしようかな」と考えながら曲を作ることも多いと思います。あまりに当たり前すぎて、気にもしないことです。でもそれは、見えない理論の檻に知らず知らずのうちに閉じ込められていると言えます。気づかないうちに、音楽をコードという名の“縦の包丁”でザクザクに区切って考えてしまっている。和声は、そのことに気づかせてくれます。

もちろん、コード理論が普段の実践運用性において和声に勝るのは間違いありません。しかしコード理論に思考が固定されてしまうと、このような一音一音が織りなす音のストーリー構築や、あるいはⅤ章でやったトーン・クラスターや四度堆積和音といった「コードネームで表記しにくい和音」が、知らない間に思考の隅の方へと追いやられていってしまうのです。コードという便利な道具が、かえって道のりを遠くしてしまう場合もあるということ
和声学は、書籍にのっとって学んでいくととても厳格で、使い勝手が悪いように感じてしまう人も多いです。しかし、その核心部分をきちんと理解して運用すれば、むしろ「調」や「コード」という概念そのもの、その垣根を取り払った「完全に自由」な作曲を、いとも簡単に実行させてくれるメソッドでもあるわけです。

いま世の中に当たり前のように存在している「コードネーム」という考え方は、ジャズの発展と共に普及していったものです。それ以前の時代の音楽の作られ方を知ることで、より自由な精神で作曲に取り組むことができるはず。和声学を学ぶ本質はそこにあります。

Ⅶ章はこれで修了です。紹介できたのは和声の初歩中の初歩ですが、コレだけでもポピュラー音楽に活かせる部分がたくさんありましたね。和声は、実践無しには身につきません。編曲の際などに、和声の技術を実戦投入してみてください。

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