“和メロ”について

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  • 小噺
      小噺

      邦ロックにはイエモンや椎名林檎、それに連なる椿屋四重奏、THE BACK HORN、9mm parabellum bulletなどポスト歌謡曲ともいえるようないわゆる”和メロ”の系譜が流れていると思います。邦楽全体においても強い影響があるように思うのですが、どんなメロディラインがあの質感を生み出しているのかを掴みかねています….。傾性などの面からの考察など、どこかにありますでしょうか

      s

        大変興味深いスレ立て、ありがとうございます。
        若輩ながら、考察してみました。
        思考したことをまだうまく言語化できていないため、決して伝わりやすい文章になっているとは思いませんが、少しヒントになれば幸いです。

        私の意見を簡潔にまとめると、以下のとおりです。

        • 洋楽と邦楽で、傾性(を包含するカーネル)に差は無いが、「和メロ」…邦楽っぽいメロディ構造は存在する
        • メロディを分析するときには、時間的変化にも注目すべきである
        • 「和メロ」の本質は「日本語」由来のリズムにある

        まず、メロディの定義を調べると「音の高低・長短の変化の連続した流れ」とありますね。
        その美しい「変化」にはある普遍的な法則性のようなものが働いていると考え、既存のメロディを分析するために提案されたのが調性引力論と言えるでしょう。
        しかし、「連続した流れ」でなければメロディではありませんよね。

        ちょっと知識がつくと、記号化が容易な「タテ軸(周波数の高低)」だけで音楽を分析してしまいがちですが、時間という「ヨコ軸(時間的変化)」にも目を向けなければ、本質はつかめないということです。

        リリース年・テンポが近い以下の2曲のメロディを比較してみます。
        Yesterday Once More / CARPENTERS(アメリカのバンド)
        時代 / 中島みゆき
        2曲とも、サビの頭2小節は「ドレミ」から始まり「ラ」に着地する、よく似たメロディですが、決定的に異なるのはその後の展開です。
        Yesterday Once Moreはその頭2小節で満足して、『Still shines…』だけなのに対し、
        時代は、『喜び悲しみくり返し~』と跳躍して歌い続け、さらに盛り上げます。まるで、『まわるまわるよ時代はまわる~』だけでは足りないんだよ、とでも言いたげなメロディだなと思いませんか。

        では例を邦ロックに移してもうひとつ…。
        天体観測 / BUMP OF CHICKEN
        サビ頭は、2小節の「レドレミド」というモチーフを2回繰り返します。ここまでは洋楽でもありそうなメロディ展開ですよね。
        しかし続く4小節で『静寂を切り裂いていくつも声が生まれたよ』と音程が細かく動いて畳み掛けます。ここ、洋ロックだったらまずやらない「和メロ」的アプローチだと感じませんか。英語で洋楽っぽくこのメロディを歌うと、主張が強すぎてうんざりするような気がしませんか。

        2つの例から伝えたいのは、数小節単位での周期性が洋楽と邦楽で違うじゃん、ということです。例外はあれ、文化として洋楽よりも邦楽の方がメロディの展開が激しい傾向にあると私は考えます。
        ですから、ある数小節だけを抜き出して観察したところで、『どんなメロディラインがあの質感を生み出しているのか』を考えることはできません。
        ましてや「音程変化の確率論」であるところの傾性だけから分析することは無意味といっていいでしょう。
        「数小節の周期性を持ったメロディのかたまり」がどのように機能しているかを念頭に置いて、洋楽と邦楽を比較してこそ、メロディラインの質感の分析ができるのです。

        また、日本人的な構造のメロディは、音符で表せる1音1音が粒立っている・飛び跳ねている感覚があります。
        先に挙げた『喜び悲しみくり返し』『静寂を切り裂いていくつも声が生まれたよ』がそれにあたります。
        良く言えば、躍動感があり展開が派手。悪く言えば、チープで野暮ったい。
        個人的には、ドンキホーテに所狭しと並べられた商品のようなイメージです。無印良品のような瀟洒さが無い。

        原因は、『日本語という言語が1文字1音節だから』でしょう。
        この性質を最大限に活かしたメロディは、現代アニメソングだと考えています。歌手ではなく、声優が歌うからです。
        一例として、
        Daydream cafe / Petit Rabbit’s
        この楽曲の細かく大きく動くメロディは、ディーヴァ系の歌唱が映えるものではないと思います。声を楽器として響かせるものではなく、1文字1音節の日本語(=セリフ)を乗せるものとして機能しているからです。

        さて、小噺さまが具体的に邦ロックのどの楽曲のどのメロディを「和メロ」と定義しているのか、私にはわかりませんが、きっと「1文字1音節の日本語を乗せるもの」としての性質が強く影響しているのだと思います。
        さらにそれが、数小節単位でどのような機能をなしているのか注目すると、『あの質感』の本質を掴めるのではないでしょうか。

        口から山小噺yuta
        s

          「洋楽」とひとくくりにして書いてしまいましたが、もちろんこれは厳密ではありません。世界中に色んなルーツのメロディがありますからね……
          個人的な「洋楽」のスタンダードはアメリカだと勝手に思っています。

          ところで以下は殆ど何のソースも無い偏見なのですが、北欧のメロディセンスは日本と通じるところがあると感じています。
          フィンランド民謡のIevan Polkka、デンマークのダンスグループAQUA、スウェーデンのAbbaや、The Cardigans…
          日本人の受け入れやすいメロディラインだなあと個人的に感じます…

          洋楽は総じて2拍・4拍にアクセントがあり、日本の音楽は1拍・3拍にアクセントがあるというのはリズムという観点から有名な話ですが、北欧の音楽って1拍・3拍が強かったりするんですよね。
          Ievan Polkkaとかの民謡を聴いていただければ分かると思うんですが。
          The Cardigans の Lovefool とか、なんとなーく日本のガールズバンドっぽくないですかね……

          やっぱり言語に関係するのかな…と思って調べたらフィンランドだけは全然違う(ウラル語系)らしい。ほかは北ゲルマン語系。

          という、自分語りでした。先の投稿とも合わせて、駄文失礼致しました。

          小噺
          s

            「時間的変化の周期性」の概念について、分かりやすく解説している動画があるのでご紹介します。

            「いきいき音楽科」さんの以下の3本の動画です。

            「Aメロ・Bメロ・サビ」と「AABA形式」の違いを理解しよう

            曲の構成を細かく把握して自由に使いこなすための練習

            フレーズをブロックごとに分解して組み合わせる練習

            この動画が意図して扱っているのは、楽曲全体の構造の分析なのですが。
            2本目の動画の後半からは、具体的に、メロディが与える印象の話題になります。

            メロディが数小節単位でどのような機能を持つか、という視点を育むのに最適ですので、ぜひご覧になってください。

            小噺
            yuta
              yuta

              「和メロ」は一般的なリスナーや音楽評論家が用いる言葉だと思うので、人々が「和メロ」と評するものに理論的な共通性や一貫性がちゃんとあるのかにやや疑問があります。

              蒼井さんが指摘するリズム面がひとつ要素としてあるとして、加えて単に四七抜き音階や四抜き音階を聴いて「和メロ」と認識するリスナーもいるかと思います。

              さらには、リスナーが本当にメロディをメロディだけで独立して聴けているかも疑問です。実際にはメロディとしては大差ないのに、背景のコード進行や楽器、歌詞のテイストといったメロディ外の要素が「和メロ」という印象に一役買っている可能性もありそうです。

              ♪サンプル音源

              ↑試しに同じメロディにJ-Pop風のサウンドとEDM風のサウンドをあててみました。もし仮にこのJ-Pop風の方を聴いて「和メロだ」と感じる人がいるとして、その人にEDM風の方だけを聴かせて同じように「和メロだ」という感想が得られるかといったら、難しいんじゃないかと思うのです。

              例えば椎名林檎の「茎」という曲は日本語歌詞verと英語歌詞verがあって、アレンジもライブでは大きく変わったりするのですが、「日本語詞+ロックバンド+和楽器」と「英語詞+ジャズバンド+洋楽器」のどっちを聴いたかで、この曲を「和メロ」と思うかの見解がけっこう割れるんじゃないかと推測します。

              ところで蒼井さんの音節の話を広げると、この曲のメロディと歌詞の対応は「や・ぶ・れ・ない」が「it・will・not・break」となるように、英語の方が1音節に対して盛り付ける子音も当然増えます。このとき日本語のメロディと英語のメロディは“同一”と言えるのか? 子音が生み出すリズムが異なるならもう別のメロディではないか? というのも、「和メロ」を真剣に論じるにあたってはちょっとした論点になりますね。もし別々のメロディと捉えるなら、「茎(日本語)は和メロだけども茎(英語)は和メロではない」みたいな、複雑な立場もあり得ます。

              いろいろ着眼点はありますが、結局人々のいう「和メロ」はその中身がまちまちで、「系譜」というほど一本筋の通った実体があるわけではない気がしてます( ¨̮ ;)

              口から山小噺s
              s

                yutaさん、いつもお世話になっています。
                広い視点からのレス、勉強になります。

                一般に定義が無い以上、「和メロ」という言葉の指すものが、理論的には曖昧だという点については同感です。
                (その上で、スレ主の小噺さんはご自身の感覚で「和メロ」を定め、その本質を求めていらっしゃるようなので、その一助になれたらと思った次第です。)

                yutaさんが挙げてくださったような様々な要因によって、「和メロ」を想起させるグラデーションのようなものがあるのかなと思いました。すなわち色彩のようなもので、どこからどこまでを「青」と認識するか…というような。

                色彩について知識がある人であれば、『それはブルーじゃない。ターコイズでもラピスでもない、セルリアンよ(プラダを着た悪魔より)』と言うこともあるでしょう。
                そこで一つ思い出したのが、色の錯視という現象です。
                http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/color16.html
                実は同じ灰色が、文脈や演出によって、赤紫に見えたりオレンジに見えたり。
                音楽に置き換えて、様々に考えられると思います。

                音符として表せる、音階、1小節内の動き、数小節単位の動き。
                音響としての、言語の子音によるリズム、音色。
                メロディとは別に、コード進行、楽器編成、歌詞。

                「和メロ」という切り口から、ここまで要素をバラバラにして考えるのは、自身の作曲法を見つめ直すことにも繋がって面白いです。
                ありがとうございます。

                小噺
                小噺
                  小噺

                  お二人ともご回答ありがとうございます。とても参考になりました。特に「1文字1音節の日本語を乗せるもの」としてのメロディ、という考え方はyutaさんの例も相俟って非常に目から鱗といいますか、蒙を啓かれた気分です(これもまた感覚的な話になってしまいますが……)

                  s
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