目次
3. マイナーキー上でのラップ
まずはマイナーキー系統のトラック上で異なった音取りをしている曲を聴きながら、違いを聴き比べていきます。
ラを照準にしたラップ
マイナーキーの音階の中心、リーダーであるラの音は、最も音楽を安定させる働きに長けています。
BAD HOP – Kawasaki Drift
こちらはフック部分が、やはりラの音が中心ピッチになっています。オートチューンがかかっているので、ピッチ感が非常に分かりやすいはずです。ラは音響として非常に安定しているため、曲想としては堂々と物怖じしないような印象、セルフボーストの感を生み出しやすい音だと思います。
一方のバースでは各人が各人のフロウを披露し、間に何度も挟まるフックでは安定した中心音でのオートチューンという交互交互の順番になっていて、構成としても非常に巧みです。例えば印象的な「Skrr, skrr」のピッチは不安定音のソで、フックで一旦落ち着いた場を荒らすのにはバッチリの選択です。
これはラ単独の性質というより編曲状の組み合わせ論ですが、特にこういったトラップ系のビートではベースが同じくラの音にどっしりと居座っている比率が高いため、ラを照準にラップをするというのはそのベースとユニゾンで共鳴することを意味し、それだけ重さを感じさせることになります。
The Notorious B.I.G. – Suicidal Thoughts
ビギーのファーストアルバム「Ready to Die」のラストトラック。こちらまず0:43~あたりの序盤からラを照準にしています。ビートが入ってからはピッチ変動が多少激しくなりますが、それでも”worst/purse”のように肝心のライム箇所ではラが照準になっており、そのような状態が続いて2分過ぎの”People at the funeral”などはまたラに落ち着いているのが分かります。結局上下への揺れ動きはありつつも、一貫して照準はラにあります。
この曲もまたベースがひたすらラを伸ばし続けているので、そこに対してラ照準のラップはなんら新しいカラーをもたらさないという意味で、モノトーンな印象を与えうる選択です。同アルバムの他の曲では多種多様なフロウが繰り広げられるなか、中心からさほど動かないモノトーンなラップは際立って見えます。心音で始まり心音で終わるストーリー性の強いコンセプトアルバムである本作品の最後の一曲、「自殺願望」でこの静かで高揚感のないピッチを照準に選んだところは実にハイセンスです。
ライムとの連携
基本的には自由なピッチでラップをしつつも、ライムの部分だけは一定の安定音を叩くことでこれを際立たせるというテクニックもあります。
Gottz & MUD – Cook Good
こちらは2ndバースに注目。「シューズ」「結ぶ」「ブンブン」といったライム部分でピッチが上にジャンプしますが、それが安定してラの音になっています。「中心音への到達」は聴き手にある種の満足感を与える効果がありますから、ライムがハマる気持ちよさと中心音に至る気持ちよさによるダブルパンチです。
ドを照準にしたラップ
マイナーキーにおいてドを照準にラップをすることには、2つの大きな意味があります。1つ目は、単に中心より数段高い位置をとるので、比べると少し軽さのある印象になること。2つ目は、メジャーキーのリーダーであるドを鳴らすことで、全体のサウンド印象が少しだけメジャーキーに寄るということです。
JJJ – STRAND feat. KEIJU (Prod by KM)
こちらはバースがかなりドの音を照準にラップしています。上で示した「中心音でドッシリ」の例と比べるとちょっと浮上感があって明るさの断片を感じるのは、トラックや声質の差だけでなくラップのピッチの差も影響しているわけです。
ishDARR – Sugar
こちらは、初めはややピッチが分かりにくいですが、20秒あたりから次第にドとラを行き来するようなピッチ感に的が絞られていって、バースが進むにつれどんどんメロディのハッキリした歌モノへと変化していきます。こちらの場合はラも頻繁に鳴らしているということで、なおさらドが中心よりも高いところにいるというその上下関係が分かりやすいと思います。
この曲はラブソングの類ですので、中心音で王様のように構えるというよりは、相手に訴えかけるような対外性があった方が説得力があります。その点においてこのドという照準は、ぴったりだと言えます。
ミを照準にしたラップ
ミはドと同様に、中心音から離れたことによる高揚感のようなものが表現できますが、当然ドよりも高い位置の音のためその高揚の度合いは高く、その一方ドと違って「メジャーキーに寄せる」働きはありません。
Jinmenusagi & DOT.KAI & ghostpops – Itchy/Tasty
伊藤潤二のホラー漫画のキャラクター、不死身の女「富江」の絵と思しきジャケットに、ゾンビゲーム「バイオハザード」からのサンプリングフレーズ「かゆい うま」の連呼が非常に印象的ですが、この「かゆい うま」がミの音になっています。そのあとバースもしばらくミを照準とし、進むにつれそれが少しずつ上がっていきます。1:09の「窮屈」あたりで、中心音のラ付近に到達していますね。
これは非常にホラーを感じるトラックとリリックですから、もしこの「かゆい うま いったいおれ どうなって」を安定感抜群のラでラップしたらやっぱりミスマッチになってしまうはずです。「全然気持ちが落ち着かない感じ」を表すのにミはぴったりで、不気味な曲想に一役買っています。
SALU – Tokyo Zombie
まさかのゾンビかぶりですけども、こちらはバースがミ、フックがラというパート間コントラストを明確に形成している一曲です。リリックの観点からすると、バースは「欲望・ウイルス・感染」といった不穏なワードが並び、一方フックはそのホラーを突き抜けて「神奈川ゾンビ 俺たちゾンビ」という異常なポップ性を帯びたパワーワードを打ち出していて、ここもコントラストが明確ですよね。そのそれぞれに対し緊張感のあるミ、安心感のあるラという配役は絶妙としか言いようがありません。
STUTS – Mirrors feat. SUMIN, Daichi Yamamoto & 鎮座DOPENESS
こちらまずDaichi Yamamotoのバースはラを照準にドッシリ構えるタイプになっていて、34秒からの部分はそれが顕著。対してその後の鎮座DOPENESSのバースはミを照準に合わせつつ、時折ラやファで色を加えるような形になっています。まずこの2人のピッチの高低差のコントラストが面白いですし、やはり中心音から離脱している鎮座DOPENESSの方はどこか放浪感を醸し出しています。
ソを照準にしたラップ
安定音であるラ・ド・ミ以外の音は不安定音です。不安定音を照準ピッチにしてラップをする場合、最終的には安定音に着地する方が「聴き手に優しい構成」であると言え、そうしない場合はある種のアバンギャルドな表現法ということになります。
Jin Dogg – How High (feat. MonyHorse)
こちら、0:32の「Excuse Me」から「白い玉」までのところで、「ソを照準にラップ→語尾でラに上がって解決」という、まさに「聴き手に優しい構成」になっています。全部をラで押し通した場合と比べると、大半がラよりも低い位置にいるわけですから、どこかアンニュイな雰囲気が醸し出されますね。
不安定音でライムを落とす
あるいは全く逆で考えて、あえてライムをはめているところを不安定音にすることでライムを浮き立たせるという手法も考えられます。
DDG – Moonwalking in Calabasas Remix (feat. Blueface)
こちらがその実例。ピッチの照準としては中心であるラにあってドッシリ落ち着いているのですが、rich・bitch・shitなど語尾のライム部分だけクイッとシの音に上がっていて、その傾性が曲想に揺れをもたらし、ライムを放った後の余白の時間にはピンと張り詰めた緊張が残ります。そして、その緊張は次のフレーズでラに落ち着いた時に解消されるという構造になっています。
ちなみに1:25からの部分では、今度は不安定音のレを基準に取り、ライムの落とし所でミに着地するという、安定/不安定が逆転したパターンがあったり、1:57からは珍しいシが照準のフロウがあったりと、バリエーションに富んだ一曲です。
ひとつのビートで聴き比べ
ここまで別々の曲を使って確認してきましたが、ひとつのビートの中でピッチが変化した方が、相対的な違いが分かりやすいかな? と思います。そこで、フリースタイルバトルでのバースをひとつ分析してみます。
後攻IDの1ターン目に注目してください。入りのピッチが妙に大人っぽくてカッコいいと思うんですけども、これがドの音をビタッとあてたフロウになっています。中心より高い位置をあてていることが、この独特のフンワリ感の要因のひとつとして寄与しているはずです。
その後「つかつかつか」のところでピッチが上がりますが、今度はミのところにバチッとはまっています。そして「今やろ」でクッと上がったところは、ソの音です。その後しばらくミとソの応酬が続いて前半8小節が終わります。
そして後半のスタート「ならばgoddamn」で一旦落ち着いたところのピッチは、面白くてまたもドです。再び1小節目のピッチにぴったりと回帰しているということですね。16小節という長いスパンをダレずに運ぶために、ピッチの面でも前半/後半の配分意識を明確に持っていることが分かります。
さらに2ターン目では、さっきとはうってかわって頭からいきなり高いソの音を照準にとったフロウが始まります。この高い位置取りには、相手のバイブスに負けないようにという意識もあるかもしれません。
マイナーキーにおいてソは不安定音ですので、最終的には安定音に着地するのが「聴き手に優しい構成」です。続きを聴いてみると、ばつぐんの音ハメ「Le Let’s go」のところでパシッとドの音に着地しているのが分かります。やはりこれだけ明確な「落とし所」には、安定音を持ってくる方が観客としてもアガりやすいでしょう。何といっても、これをフリースタイルでやっているというのがスゴいですね。
この2つのバースは、「安定音を基本に取りながら、その位置取りや不安定音の混ぜ込みによって表現のバリエーションをコントロールする」というテクニックをまさに体現したようなラップでした。