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♯♭を使った難しいコードを使わずとも、ちょっとしたアレンジの技を知るだけでグッと表現の幅が増します。今回はそんな、便利な技法を知る回です。
大味なタイプの楽曲ではあまり使いませんが、繊細な表現を求めるジャンルではとても重宝する技術です。
I章にて、低音部がルート音を弾くことが大事という話をしました。そうしないと、和音の響きや安定感が本来のものから大きく変わってしまう。そしてもし意図的にそれを用いるという場合には、コードネームではスラッシュを打ってそのあとにベース音を付記する決まりがあることも説明しましたね。
この「ルート音以外をベースに据える」方法は「スラッシュコードSlash Chord」といいます。I章では軽くしか触れませんでしたが、これを本格的に解説していくのが今回です。
1. 転回形とは
さて、仕組み自体はシンプルですが、使い道はかなり幅広いのがこのスラッシュコードです。ココからこのスラッシュコードの話で3回使いますからね。1回目のここで取り上げるのは、転回形Inversionという用法です。
「転回形」とは、コードのルート以外の“コードトーン”を低音部に据える配置のことをいいます。
コードがCであれば、コードトーンはC・E・Gの3つがあります。ふつうベースはもちろんCを中心に弾くのが基本形ですが、そうではなくEやGを中心に弾く。これが「転回形」です。コードの3rdの音を低音にとった形は第一転回形1st Inversion、5thを低音にとった形は第二転回形2nd Inversionと呼ばれ、それぞれ「一転」「二転」と略されます。
また、転回していない基本の形はズバリ「基本形」と呼びます。
転回形の効果
コードは、ルートが低音でどっしり鳴っているのが最も音響として安定しています。転回形は、その安定感をあえて崩すことで新しいサウンドを得る手法なわけです。
- IIVIIV
例えばこれは、シンプルな1-4-1-4のコード進行。このIを、「第一転回形」に変えてみますね。
コードトーンの3rdを低音に据えるわけですから、コードネームはI/IIIとなります。
- I/IIIIVI/IIIIV
サウンドが浮き足立ったような感じになり、安定感が減少しました。基本的にどのコードでやっても、転回形は本来の形よりも安定感が減ります。
そしてベース音の流れを見ると、位置が変わったことでなめらかな半音移動の動きが生まれました。結果として、曲想が穏やかなものになっています。あえて安定感を減じると同時に、ベースを滑らかにする。それが転回形の主たる使用目的です。
2. なめらかな低音部を作る
度数の移動量がエネルギーの大きさとして感じられるというのは、接続系理論の時にも確認しました。ではコード進行はI→VとかVIm→IIImにしたいけど、ベースの変化量は抑えめにしたいという時はどうしたらいいんだと。そんな時がスラッシュコードの出番ということです。
こちらは王道のコード進行としておなじみの、「パッヘルベルのカノンの進行」の一種です。J-Popで実際に使われる時には、スラッシュコードを使ってベースを綺麗に下降させるものも実によく使用されます。それがこちら。
要所でベースが3rdをとることで、どこを見てもなだらかなベースラインになりました。こういう綺麗なベースの流れは、やはり聴く側も気持ちよく感じるものです。
曲で聴き比べ
もうちょっと楽曲らしくした状態での比較もしてみましょう。まずスラッシュコードなしの状態がこちら。
まあ現状でも悪くはないのですが、曲がまったりしているわりに低音部はカクカク大きく動いているのがちょっと気になります。これも、ベースをなめらかにした方がきっと映えるでしょう。「第一転回形」を活用したパターンでアレンジしてみると、こうなります。
こうしてあげると、1-6小節目まで、綺麗に半音ずつ上がっていく流れになりました! 聴いていても非常に美しく、心地よい。何より、曲が持っているゆったりした情感にマッチしましたね。
東京事変の「スーパースター」は、サビに上の例と全く同様の半音ずつ上がっていくコード進行が使われています。穏やかながらもふつふつ沸いてくる感情の高まりみたいなものを表現するのに、ぴったりの進行ですね!
4-5-3-6の応用
こちらは王道進行である4-5-3-6のVのところで、ベースが動かずIVをキープする手法。これもV7のセブンスの音をベースが弾いているという風に解釈されており、「転回形」の一種に分類されます。3rd、5thに続き3つ目の転回形なので、これは第三転回形3rd Inversionといいます。
ベースが停留するということで、推進力を失う代わりに、より切なさが増します。Mr. Childrenなんかはサビでこの形を本当によく使っていますよ。
こちらおなじみの名曲「HANABI」ですが、サビがまさにこの形。IVからVに進むとき、ベースだけが動かずに止まっているのに耳を傾けてみてください。ベースが推進しないことで、浮遊感が生まれています。
ここは歌詞とのマッチングが絶妙で、「決して捕まえることのできない」というネガティヴな歌詞に対してはこの推進力の弱いIV→V/IVを用い、その直後の「もう一回 もう一回」というポジティヴな歌詞に対してはパワフルなIIm→Vをあてています。
こちらも使い分けが本当に素晴らしい。この曲はBメロとサビでメロディやコードが似通っているという変わった構成なのですが、ベースがきちんと構成のサポートをしています。
Bメロ「怖いもの見たさで」という、まだ盛り上げるべきでないところでは転回形V/IVを使い、よりエモーショナルになったサビ「違う誰かの肌触り」のところでは推進力の高いVを使っているのです。
もちろん他にも歌い方やストリングスのフレーズなんかがサビらしい盛り上がりに貢献しているわけですが、身体にズシンと来るベース音がどちらを弾くかというのも、すごく重要なファクターになっています。
3. I/IIIとIIImの差異
「転回形」のなかで最も頻繁に用いることになるであろう形が、「I/III」です。すでに上のサンプルでも何度も登場しています。このコードは、構成音としてはIIImに近いところがある。
違いはもちろん、シの音が入るか否かですね。でもこの差は大きくて、強傾性音のシで不安を煽るのか、トーナル・センターのドで安定をはかるのかという風に、サウンドの方向性が正反対になります。この2つを状況に応じて使い分けることは地味に大切です。
- IIImIVVVIm
こちらはシンプルな3-4-5-6の進行。シの音が盛り込まれた結果、最初から暗くて淀んだ雰囲気になっています。
- I/IIIIVVVIm
こちらは最初をI/IIIにしたバージョン。全員シを弾かずにドを強調して、明るいトニック始まりであるという印象をプッシュしています。サウンドが大きく変わり、希望が溢れるような情感が生まれています。
ですから普段は何の気なしにIΔ7を使っているような人も、このI/IIIを使うときは変にシの音を盛り込まない方が良かったりしますから、注意せねばなりません。
先ほどの「カノンの進行」についてもそうで、1-5-6-3-4ときてその次のコードを明朗なIにするか、滑らかなI/IIIにするか、暗いIIImにするかで全く表現内容が変わってきます。そうしたところまでこだわってサウンドを追求すると、最終的な出来栄えがまた変わってきます。
「ベース」と「ルート」の違いについて
ここからはちょっと、実践と関係ない純理論的な観点の補足になります。C/Eというコードは、構造的に見ればCとEmのちょうど中間に位置していますよね。
そんな中でこれをC/Eと表記することは、このコードがEmよりもCに近い存在、Cの派生だと解釈していることを意味します。あくまで総体としては「ドミソ」の和音で、そのうちの「ミ」をベース音に選んだと。したがって、この時コードの“ルート”は何と訊かれたら、これはEじゃなくCの音になります。
というかそもそも「ルート」と「転回形」という言葉自体が、この「ミ-ドミソ」という和音が「ミソシ」よりも「ドミソ」の仲間とすべきという理論を構築するために作り出された用語なのです。
「ベース」は単に最も低い音を指す言葉。対する「ルート」は転回形をひとつの和音の派生形としてとりまとめるために用意された概念で、C/Eも、C/Gも、Cの和音に“ルーツ”があるという関係性を表すための言葉です。今後はこの二語に区別意識を持ってもらえたら理想的です。
まとめ
- 曲のコードのルート以外の音をベースラインが弾くものを「スラッシュコード」といいます。
- コードの3rd5th7thの音をベースが担当する形を、「転回形」といいます。
- 転回形を使うことで曲の安定感をコントロールしたり、なめらかに動くベースラインを作ることができます。