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「帰り道は遠回りしたくなる」は乃木坂46のシングルで、同グループのエース的存在である西野七瀬(なあちゃん)の実質的な卒業ソングです。作曲は、渡邉俊彦さん。
言うまでもなく名曲。しかし、「名曲」の一言では済ませられないくらいの興味深い発見がこの曲にはあります。だからこの記事では、その魅力をたっっっっぷりと掘り下げていきたいと思います。
1. 構造分析
この曲の凄みを最初に一言で表現するなら、「無駄のなさ」です。ポピュラー音楽においては、曲の展開・盛り上げのために間違いなく使える“鉄板”の表現(メロディラインやコードなど)があります。ですがそういった技のバリエーションはさほど多くなく、例えるなら3段階のギアしかない自転車をこいでいるようなもの。そしてポピュラー音楽の作曲家は、その3段階をAメロ-Bメロ-サビに配分したり、ABメロ-サビ-Cメロに配分したりして、うまく一曲の流れをコントロールしている。
もちろんサビでガツンと良いメロディを出す技術が一番大事ですけど、その一方で、Aメロのように「ローギア」で動いている場面で、いかに“カード”を温存したまま音楽的に魅力的なものを作るかという点は重要です。その際には、本編の「コード編」のIV章で紹介するような細かな技法や、「メロディ編」の「カーネル」「声域区分法」の話なんかが重要になってくるわけですね。
この観点から見たとき、「帰り道は遠回りしたくなる」はその“温存”の仕方が尋常ではないのです。ここからは各パートに分けて、そのペース配分を観察しようと思います。
Aメロ
まずAメロは、メロディで「ド・レ・ミ・ソ」の4音だけしか使われていません1。
ソはこのパートの最高音、アクセントとして機能し、あとは若干の傾性音であるレを動きの軸にして、「レド」と進めば終止、「レミ」と進めば高揚という、単一のシステムだけに基づいてAメロは動いています。
コード進行も基本はIV–Iの繰り返しで、Bメロに繋がる際にVImを使いますが、パートを通してドミナント非使用。ここもJ-Popで考えうるほぼ最大レベルの節約といえます。単調になりすぎないよう、代わりにメロディのリズムは素早く動いていますが、この時点で切っているメロディの理論的カードは「ソの高揚感」だけ。その分“カード”を残したまま次に進みます。
Bメロ
Bメロに入ると、冒頭からメロディに「シ」が加わって、「シ→ド」の解決ラインを多用し始めます。
コードにもVが加わり、全体的に一段階ギアを入れたというところ。とはいえ音域はまだ低めで、基調外和音の使用も一切なく、サビに十分な余裕を残しています。
Bメロは割とリズムで持たせている場面で、アイドル曲ではお馴染みのハーフテンポ化から始まり、サビ直前では「三連符の頭2発だけ」という非常に特徴的なリズムで印象づけをしています。
ここでリズム面からの「飛び道具」が出せるだけのテクニック・発想力があるからこそ、コードやメロディの“カード”を切ることなく展開を作れているともいえます。
サビ
サビは音域のエリアがグッと上がり、オクターブ上の「シ→ド」が基軸になります。最高音は「ミ」で強い情感を押し出しますが、コード進行はシンプルなまま。実は、ここまで来てもまだ使用したメロディ音は「ド・レ・ミ・ソ・シ」の5音で、ファとラを一度も使っていません。
「四抜き」「四七抜き」は定番ですが、「四六抜き」というのは、珍しい。四六抜きをしている他の曲を挙げろと言われても、ちょっと思いつきません。この「四六抜き」という点だけでも、この曲は研究対象として興味深い事例なのです。
ラが抜けることで、メロディのテイストはどのように変わるでしょうか? 改めて、メロディメイクにおけるラの基本的な役割というと…
- VIm上のRoot Shellとして、ビシっと短調的に終止する
- IV上の3rd Shellとして、切なさを演出する
- ソに対する一段上のフックとして機能する
- 「ソラシド」「ドシラソ」などと順次進行するパーツの一部
といったところですが、いずれも暗さ・切なさ・バラード感といった「湿度」のようなものがラにはあって、確かに今回のような爽やかな卒業ソングでは、ラの暗さは無くてもいい(なんなら無い方がいい)ということは頷けます。しかし実際に作るとなったら、「手ぐせ」のような話でどこかにラが一度は入ってしまいそうなものを、一度も混ざってこないというのは、それだけこの曲の表現したいもの、テーマが一貫しているということ。それがスゴイです。
一貫したシステム
よくよく観察すると、ABサビを通じてこの曲では各音の動き方に極めて大きな偏り(≒一貫性)があります。例えば、「シ」は必ず「ド」に解決します。
これはシの傾性に従って自然に解決する定番のラインで、頻度として多いのは別に珍しくないですが、他の「シソ」「シレド」「シミ」といったラインが一切登場せずにコレしかないというのはやはり特殊な編成です。
「ソ」についても、原則的に下がるときはミへ、上がるときはドへ行きます。サビで一度だけ「ソレシド」と動く時、それから後述するCメロを除けば、あとはずっとこの2種類の動きしかしていません。
ファとラを非使用という前提に立ってもまだ、「ソシド」「ソシレ」といった動きが一度は十分ありえるわけで、そうした動きが無いのは特筆すべき点です。
そして「レ」についても、同じくサビの「ソレシド」で1回だけシへ飛ぶ以外は、必ず順行でドかミへ進みます。
ですからこの曲のメロディは、まず「ファ」と「ラ」を排除した時点ですごく湿度の低いカラっとしたサウンドになっていて、残る2つの傾性音「レ」と「シ」もすぐに「ド」か「ミ」へ解決するので、落ち着いた安定音の「ド・ミ・ソ」がかなり全体を支配する構図になっています。
コードがVの時もドかミで伸ばすことが多く、メロディが「ソ→シ」と連結することはない。それが全体の不安定さに制限をかけて、どっしり落ち着いた印象に収まっています。非常に「水平的」な構築法で作られた楽曲ですね。
「ソレシド」の特異性
このサビの「ソレシド」のラインは、実は曲中ですごくユニークな立ち位置にいます。ついさっき述べたとおり、まずココは唯一ソがレに、レがシに向かって動く場面です。
そしてよくメロディ全体を眺めてみると、ここは曲中で初めてストライド跳躍をしている場面でもあるのです。
思い返してみると、ココに至るまではずっとストライドせずにレからド、シからド、ソからドと毎回ドに着地していて、飛び越す動きはしていないのです。また、シのこれまでの使われ方を見てみても、あまり目立たない拍の位置で、せいぜい8分音符くらいの長さで登場するだけでした。
ここへ来て初めて、しっかりと表拍で、しっかり一拍、しっかりVのコードの上で、しっかりVの他の構成音と一緒に、初めてのストライドで「ソレシド」と進んで解決するのです。
全体的にシンコペーションや3連符が複雑なリズムを構成する中で、ここの4分音符3連発は異端です。そして、「ソレシ」という極めてクラシカルで垂直的な動きも、他の箇所では見られません。
だから、なんてことはない(臨時記号など一切ない)場面ではあるのですが、ここは他と比べて少しだけ目立つようになっていて、少しだけ盛り上がりを構成しています。
この曲は本当に、本当に、本当に出し惜しみをしながらも、それぞれの場面でちゃんと新しい要素を用意して、それぞれが活きるようにきちんと使ってあげている、実によく作られた楽曲なのです。
Cメロ
さて、このように統制された構築で“カード”を節約してきたわけですが、それをこの曲はCメロで一気に使い切りますよ。まず初っ端から、これまで回避し続けてきた「ラ」を連発するメロディから始まります。
「ドシラ」や「ソラミレド」といった、これまで封印してきた“湿度”のあるフレーズを次々に繰り出しているのが分かります。元来的に短調のボスである「ラ」が支配的に鳴ることで必然的に曲調は短調に傾き、“別れ”を感じさせるモードへ入っていきます。
そして決定打を放つのがその次の連です。「知らなきゃいけない」の部分で、この曲で一回だけのVdim7上で、この曲最大である7度の跳躍上行(ストライド)をして、この曲で一度しかない最高音で、初めて強傾性音であるファの音を鳴らすのです。
このコードとメロの組み合わせは強烈な不協和音であり、ファが持つ揺さぶりを最も引き出せるパターンの一つ。この曲中で最も強烈なパンチを打ってきているのがこの場面です。
ファの音は、その後「いつかきっと」のところでオクターブ下の方で2度鳴るのみで、合計たったの3回。メロディ編I章では「ファの音をどこに差し込むかでセンスが問われる」という話がありますが、この曲はまさに一切の無駄打ちなし、そのぶん一発のウェイトで勝負しているのです。
この「いつかきっと」から始まるCメロ後半では、やはりこの曲で初めてのIIm、II7/IVなど数々のコードを経て、最後もまたこの曲で一回きりのVIsus4–VIで終わります。
メロディの面では、このラストで初めての臨時記号つきメロディ(ド♯)が登場し、VIの明るさを3rdで強調します。いわゆる「ピカルディ終止」というパートの終わり方です。歌詞もちょうど、別れを受け入れるような言葉がここで現れ、メジャー化したVIにバッチリハマっています。
このあたりは3rdシェル、7thシェルが目立つかなり垂直的なパートになっていて、コード進行自体もちょっとクラシカルで澄明。そこもまた1番・2番の水平的なフレーズ作りと良いコントラストを作っていますね。
これまで全面的に“カード”を切らずに取っておいたからこそ、ここでの「初出し」たちが大きな効果を持つし、抑えてきたからこそ「一回だけ」でも十分効果的に働くのです。
落ちサビ
Cメロで一気に“弾を撃ち尽くした”わけですが、まだ幾つか残ったものを「落ちサビ」で利用します。サラッと聴いてると見逃してしまいますが、「過去がどんな眩しくても未来はもっと眩しいかもしれない」のところ、これまでのサビと全く違って情緒的なコードを連発しているんですよね。
- 通常サビ
こちらは通常の1,2サビで、4-5-1-6を2回繰り返すだけの簡素なもの。それに対し静かサビは、2周目で基調外和音が次々登場します。
- 落ちサビ
シメはポップスの伝家の宝刀である「VImからのベースラインクリシェ」ですね。Cメロが「IImでなくII7、IIImでなくI/III、VImでなくVI」という風に明るい方へ転換していったのとは対照的に、このパートは暗い方へ暗い方へと流れているのがより印象を強めています。またこのコード変化に伴い、「未来は」のところでは2回目の臨時記号を伴うメロディ(ソ♯)が現れます。
またこれは作曲とは離れますが、歌詞のあて方も完璧ですね。カラッとした1サビでは「過去の」と歌ったのに対し、正反対の性質を持つこの落ちサビでは「未来は」とあてる。クリシェの不安定さに対して、「眩しいかもしれない」という不安な心情をあてる。そういう曲の音楽的展開に対するセンサーの鋭さは経験のたまものなのでしょう・・・。
曲全体に渡っている、「居心地の良い過去と確証のない未来」「行かなければならないという想いと行きたくないという想い」という対比構造をここでバチっと完成させていますよね。
総括
せっかくなので、各パートで切ってきた“カード”を表にしてまとめてみます。
パート | 主要カード |
---|---|
Aメロ | 「ソ」 |
Bメロ | 「シ→ド」の解決(低音域) / V |
サビ | 「シ→ド」の解決(高音域) / 高い「ミ」 / ストライド跳躍 |
Cメロ | 「ラ」「ファ」の登場 / 最高音 / 最大の跳躍上行(7度) / パッシング・ディミニッシュ / IIm / II7/IV / VI / 臨時記号を伴うメロディ |
落ちサビ | ベースラインクリシェ |
山場で特徴的なコードを使うということ自体は当たり前のことですが、ここまでの「出し惜しみ&一気出し」をする曲は珍しいと思います。そして、ABサビがこれだけ簡素でもきちんと魅力的な曲に仕上がっているのは、メロディ各音のカーネルの活かし方の巧さ、そしてリズム面からのアプローチが豊富であるということが大きな要因としてあります。技量があるからこそできる構成です。
2. 引き算の音楽
この曲は、特殊なコードを使わない、ファとラを使わないという、“引き算”によって個性が確立された音楽です。それがすごく面白いところで、しかも見落としがちな部分でもあると思います。
特に音楽理論を知っている人にとっては、音楽表現はどうしても“足し算”の方向に傾きがちです。「この雰囲気を出したかったらこの和音を使う」みたいに。
こちら同グループのキャプテン・桜井玲香の卒業ソング「時々 思い出してください」ですが、「帰り道」の対比相手、“足し算の音楽”として分かりやすい例です。
サビ頭から二連続で「ソレシド」のストライド跳躍、中盤のVdim、1オクターブの跳躍上行、そして終盤のベースラインクリシェ…と、まさに「帰り道」がコツコツ節約していた要素を、1番サビで全出ししています。
動画ではカットされていますが、そのぶんCメロではIVやIIIといったさらなるコードを“足し算”して対応しています。一曲の中にポップスの基本技法がたくさん詰まっていて、いかにも「セオリーどおり」の音楽と言えます。
この曲は、ファンが思い出を振り返りながら涙するようなタイプの曲なので、この“足し算”で盛り立てていくやり方で何ら問題ありません。普通に卒業ソングといったらこういう感じですよね。
足し算で実現できない領域
しかし一方で「帰り道」の場合、「風」がメインの比喩に据わっていることからも分かるとおり、風のような爽やかさ、軽やかさがテーマになっています。卒業というイベントに対して、あえて寂しい気持ちではなく、未来への希望、前進、そういった部分をフィーチャーして、明るく送り出そうという計らいです。
そういう音楽を目指す場合、複雑な和音やメロディというのはむしろ逆効果です。複雑性が増せば増すほど、どうしたってスピード感は落ちてしまいますからね。ベタベタした技法を避けながら、魅力ある曲を作らなくてはいけない。ある意味、従来のコード理論に染まっている人にとってはこっちの方が難題かもしれない。足し算では実現できないサウンド領域の存在に改めて気付かされるのです。
現行の音楽理論はそこんとこちょっと無責任というか、技は色々教えてくれるけど、その配分とか抜き方の方面ってあんまし教えてくれないですよね。
そんな中でこの曲は、先述のとおり上手にペース配分をして、しっかり名曲として仕上げています。それは本当にスゴいこと。“引き算”方向のすごさというのは目立ちにくいですが、実はそういうところにこそ真の技量のようなものが現れてくるんじゃないかと思います。
3. 学び
この曲は一見シンプルに見えて、本当に学ぶことの多い一曲です。もう一度それをまとめていきますね。
要素の節約と配分
この曲を通じてまず再確認したいのは、きちんと音に意味を込めて表現しないと意味がないということ。音楽理論を学んでいる人ほど、簡単にノンダイアトニックコードを入れることが出来てしまいます。高度な技法を学べば学ぶほど、「普通の表現」のラインが無意識のうちに上がってしまいます。
でもポピュラー音楽の世界においては、本当は臨時記号を伴うあらゆる表現のひとつひとつがビッグイベントなのです。複雑なコードを足せば足すほど良い曲になるなんてことはありません。むしろそれは曲想面でのダイナミクスを小さくさせてしまう危険すらある。
編曲やミックスでも同じようなことが言えますが、過剰な足し算だけでは音楽はのっぺりしてしまいます。引くべきところを引いて、際立たせるポイントを作ることが大事。それはメロディやコードといった理論的な部分でも同じことが言えるわけです。
アクセントとなる要素がひとつあればそのパートは十分持つ、“引き算”を忘れてはいけないということをこの曲は改めて教えてくれています。
四六抜きの可能性
そして「四六抜き」という音階パターンも、これから一気に台頭する可能性のある、すごく気になる存在です。
四六抜きは、考えれば考えるほど、何故これが定番になってないんだ?というくらい理にかなっています。
調性にとって欠かせないドミソと、万能感の強いレ、その次に何を足すかという時に、導音のシを選ぶのは当然の選択ですよね。むしろ四七抜き、なぜお前はラを選んだ?という気持ちさえ湧いてきます。
ラの欠如は、四抜きにも四七抜きにも作り出せないドライな軽やかさを楽曲にもたらします。「和風なのが作りたきゃ四七抜き」っていうのと同じように、今後20年くらいの間で「爽やかなのが作りたきゃ四六抜き」という認識が確立される未来も、ありえます。もし他に「四六抜き」で作られている曲を見つけた方いらっしゃいましたら、ぜひTwitterなどで教えて頂きたいです🌞
メロディのシステム性
メロディ各音の動き方に統一的な偏りを持たせるというのも、研究する余地のある分野です。これはメロディ編I章の「カーネル」的目線、そしてマクロ的観点が無いと見落とされてしまう部分です。今回の場合はおそらく自然と作っているうちに統一感が生まれていったものだと思うのですが、逆に意図的に使うメロディの動きを限定して作曲したらどうなるか? というテーマにも膨らませることができますよね。
- 導音を必ず解決させないようにしたらどうなる?
- メロではシ→ドの解決だけを用い、サビではレ→ドの解決だけを用いると、そこに音楽的コントラストが生まれる?
- 解決までの手数を可視化して統制してみるとどうなる?
手間がかかるのでさほど追究されていない分野だと思いますが、こうした「メロディのシステム性」が、ポップスにおいても効果を発揮しうるという実践的可能性を、この曲から感じます。
こういう情報に対する認識力というのも、文化が成熟するにつれて向上していくものだと思うので、いま「定番コード進行」があるように、3-4音程度の解決までの流れが、「定番のメロ解決パターン」としてデータ化されていく未来もそろそろあるかもしれません。それこそ先ほど、「帰り道は遠回りしたくなる」と「時々 思い出してください」でどちらも「ソレシド」のフレーズが使われていることを偶然に発見しましたし、そういうのがビッグデータとして集積される時代がいずれか来るかもしれない…。
VとP4 Shell
また細かい部分でひとつ重要な箇所があって、それはBメロ2小節目でコードがVになるところ。ストリングスがガッチリ3rdを鳴らしている所に、メロディがP4 Shellで乗ってきます。˙
一般音楽理論では、コードV上でのP4はM3とぶつかるからAvoidであり、メロディにロングトーンで大々的に使うことは禁止というのが常識になっています。しかし自由派では、編曲次第で聴こえ方は大きく変わるので、都度サウンドや音量も含めて判断すべきということを、メロディ編IV章で述べていますよね。
この曲は、3rdをかなりハッキリと鳴らしている例であり、理論上は濁るからダメとされているP4と3rdが実践上では共存しうることを示唆する重要な事例と言えます。実際問題、リスナーのうち何人がここの4thを気にしたかどうかって話なんですよね。
もちろん応用的理論を持ち出して「この時コードはVsus4であり、ストリングスはM7のテンションであり、理論的解釈は可能」という主張は出来ますが、いずれにせよけっきょく現在の世間のAvoidに対する考え方、あるいは教え方に一石を投じることになります。
たぶん理論を紙だけで学んだ人は、この編曲の可能性をハナから排除してしまうのではないかと思うんですね。しかし現実には今回のような繊細な可能性というものが無限に考えられる。それをきちんと作品として証明しているこの曲は、本当に重要な事例です。
4. 理論と表現
楽曲の分析というと、複雑なコード進行を紐解くようなモノを想像する人が多いと思いますが、何も分析の方法はそれだけではありません。むしろポップスにおいては、メロディを分析せずにいったい何を分析するんだという話です。
音楽理論を学んでいると、どうしてもコード進行だけに注目しがち、そして「複雑なもの=すごいもの」というイデオロギーに染まってしまいがちだと思います。しかしポピュラー音楽の文化は、基本的にはそういう価値観を地盤に築かれているわけではない。
こちらは普通のポップスをジャズ理論によって複雑化させていくおもしろ動画。面白いですが、LEVELをいくら上げても歌メロはちっとも活きてこない、むしろ死んでいっていることも忘れてはいけません。
動画では理論的装飾をスパイスの辛さに喩えていますが、LEVEL IIのトライトーン代理からもう「過剰なスパイス」になっちゃってます。もちろんこれは“そういう動画”だからいいのですが、実際の作曲でこういう方向にばかり思考が傾いてしまったら危ないなと思うわけです。
ポピュラー音楽においては、表現したいテーマや内容と合致した音楽表現が成されて初めてそこに良い効果が生まれます。自由派の理論を学んだ方にはやはり「理論的に可能だから」ではなく「このことを表現するのにぴったりだから」という動機で音を決めていってもらえたら嬉しいですね。
今回のように、カーネル、シェル、主音への終止といった観点からメロディを論じることで、シンプルな楽曲の中からも多くの発見を見いだすことができます。しかもほとんどは、メロディ編I章の基本知識ですから、「調性引力論」はとっても簡単なわりに、こうやって分析の際には大きなInsightを与えてくれる便利ツールなのです。大好きな曲を分析するときにはぜひ、メロディの理論を活用してほしいと思います。