IIIの和音を知る ❷各流派の哲学

コード編 Ⅷ章:研究室

さて、前回はすっかりTDSの話だけで展開してしまったので、もう一度話題を確認しましょう。自由派音楽理論では「基本的にドミナントであるが、トニックらしく振舞うことがある」という半端な定義をしているIIImの和音。その正体を明かすのが今回の主旨です。

TDS

では、歴史が古い順から確認していきましょう。まずは、そもそもTDS「機能」というコンセプトが生まれる前の古典派理論です。もちろんTDSの話は出てきませんが、じゃあどう扱っていたのか? っていうのが気になりますよね。

#1.当時の古典派の見解

まずそもそも、19世紀の和声学本では、IIIの和音は無視されてても当たり前です。ようは、I・IV・Vでまずドンドン話を展開するのです。
この頃の書籍では、副三和音が登場するよりも先に転回形を紹介するのが定番の流れです。その後にIIとVIは幾らか説明があるけど、IIIはほぼ無視でドンドン先へ進んでいく。そういう書籍がザラにあります。
そんな中、前回も紹介したGoetschius氏の「Material Used in Musical Compositions」には、やっぱりバランスの取れた記述があり、19世紀末のクラシック界の、IIIに対する捉え方が見え隠れします。

IIImについて

第120項を訳しましょう。

このコードは、主和音の中心から最も離れています。それゆえ最も弱く、最も使用頻度が低く、そして最も話をこじらせるコードです。多くは瞬間的にしか使われず、間に挟まれる経過和音としての効果を持ちます。

当時のIIIの和音の立場の弱さが伺えますね。「主和音から離れている」っていうのは、五度圏・五度堆積の観点からでしょうね。第121項を見ると、VIに進むのが普通、そしてIVへ進むこともあるという説明がされています。
他の書籍も見てみましょう。

IIImG.W. Chadwick “HARMONY A Course of Study” (1897年)

こちらも、IIIの和音の扱いが個別に紹介されているありがたい書籍。先ほどはVIに進むのが普通としていましたが、こちらの本では、IIIImIVというセットの流れで、ド→シ→ラという綺麗な流れを作るパターンが基本的としています。「基調和音の中では最も使い勝手が悪い」としている点は、同じですね。
ほか、以前紹介した「ゼクエンツ」の中では、VIIへ進むなどの自由が認められます。ゼクエンツは、V-IIのような動きも可能にする、古典派理論の面白い部分のひとつでしたからね。

IIImStephen A. Emery “Elements of Harmony” (1879年)

そんなわけで、ガチ古典派の見解をまとめるとこうです。

  • 基本的に使い勝手が悪く、あまり使用しない
  • VIの和音に進む。
  • IとIVの繋ぎに使う。
  • 反復進行の中で使う。

当然ながら、機能に関する明言はありません。話を先に進めていきましょう。

#2.リーマン以降の古典派の見解

リーマンやゲッチアスが「機能」や「クラス」を提唱して以降のクラシック界の、基本的なIIIに対する見方は、ドミナントです。

ハーグマンDirk Haagmans “Scales, intervals, harmony” (1916年)

こちらはリーマンの弟子であったという人の書籍。当然ながらリーマンの流れを汲んでいます。リーマンが「Function」を唱えて20年で、「トニック・パラレル」「ドミナント・パラレル」といった概念が広まっていったことが、この書籍からも推測されますね。IIIの和音は、「ドミナント・パラレル1」と呼ばれ、Vの親戚として分類されています。

チャイコTchaikovsky, Pyotr “Guide to the Practical Study of Harmony” (1900年)

こちらは基調和音の時にも登場した、チャイコフスキーの著書で、やっぱりドミナントですね。この1ページ前には、以下のような興味深い記述もあります。

Their mutual affinity is the same as that of the major triads, as they possess the same proximity in the Circle of Fifths.
Guide to the Practical Study of Harmony (Tchaikovsky, Pyotr), p11より

「マイナーコード3種の相互の関係性は、メジャーコードのそれと同じである。というのも、彼らは五度圏において(メジャーコード群と)同一の隣接関係を有しているからである」って感じでしょうかね。今一般的にTDSの説明をする際には、「共通音が多いから」という説明が多いかと思いますが、それだとVIとIVに共通音が2音あることに関わる説明が、ちょっと微妙になってしまう。この五度圏を元にした説明の方が、良いかもしれませんね。

ただもちろん、ゲッチアスも述べていたとおり、古典派はIIIをVの代理とは認めきっていないところがあります。それゆえ、IIIの用法は別枠で解説され、二者は事実上異なった存在として扱われる。そんなわけで、20世紀初頭に台頭した新潮流、リーマンやゲッチアスら「初期機能和声組」の見解は、こうです。

  • 基本的にはドミナントである。
  • ただしVと完全に同一の機能とは認められない

#3.現古典派の見解

続きまして、TDSの概念がすっかり定着した後に作られた古典派の書籍も見ましょう。

「和声」の見解

和声―理論と実習 (1)
Posted at 2018.4.17
島岡 譲
音楽之友社

まあ、これを紹介しないわけにはいかない。日本の和声学本の金字塔、島岡和声です。
こちらではIIImは基本的にドミナントであるとしたうえで、「トニックにもなりうる」という説明が加わっています。ゲッチアスの意見とほぼ同じ。その理由については以下のように述べています。

Ⅲのもつ2種の機能(T・D)のうち, T機能は, 本来Ⅰ→Ⅳ(II1)に際して生ずる経過偶成としてのⅢに由来するものと考えられる。
和声―理論と実習 (3), p311より

「経過偶成」などと言われると難しいですが、要するにIからIVへ綺麗な流れを作ろうと思って声部を動かしていたら、偶然IIImが出来上がる瞬間が生まれてしまったということです。先ほどG.W. Chadwickの本で同じことが書いてありましたね。

経過偶成

このような文脈を考慮に入れると、このIIImは本質的にはI/IIIと同じ意味を有しており、たまたまトップノートが導音になっていて、見た目上IIImに見えているだけ。だから機能ももちろんトニックである。そのように考えるわけです。この「偶成和音」という理論は、古典派和声を語る上ではとても重要なピースのひとつなんですよ。

それに対して、ドミナントとして使われるIIImは、「偶成的性格をもたない真正のⅢと考えられる」としています。さすが後発の書籍だけあって、説明が分かりやすいですね。

「明解和声法」の見解

一冊では物足りないので、「和声」よりもさらに後発で、大阪音楽大学の教授らが作ったという「明解和声法」も覗いてみましょう。下巻には、こうあります。

IIIの機能について

IIIの和音はI(T)とV(D)の和音との間に、それぞれ2つの共通音を持つところから、次にIVまたはII(6)に進行する場合はトニックの機能を、VIに進行する場合はドミナントの機能を持つと考えられる。

明解 和声法〈下巻〉―音楽を志す人々のために, p92より

一応補足しておくと、II(6)というのはsixth chordのことではなく、六の和音、第一転回形のことです。
こちらの方が、まあズバッと言い切ってますね。進行先によって機能が変わる。これは、IVVに進んだらばプレドミナント、Iに進んだらばプラガルと分類する「新しい和声」の考え方と同じ発想ですね。
古典派理論にとっては、TDSは後の時代に勃興してきた「おまけ」。だから、ある程度は付き合うけども、TDS分類に過剰にこだわることは決してしないのです。

現代の古典派の意見をまとめるとこうです。

  • IIIは二種類の機能を有する。
  • 進行先によって、その機能が変わる。

#4.ジャズ理論の見解

さて、「基本はドミナント、前後次第ではトニック」という、自由派音楽理論と同一の意見で話がまとまってきましたが、ここでもう一つの巨大流派である、ジャズ理論を見てみましょう。
日本で人気の「The Jazz Theory Book」がTDSに言及していないことは前回述べましたが、もちろん言及している書籍だってあります。いくつか紹介しますね。

バランスよくまとまっていることでおなじみ 「Jazzology」の見解では、IIImはトニックのみに分類されています。

JazzologyROBERT RAWLINS “Jazzology”

ここまではドミナントが基本で来てたわけですから、ここで真っ向対立することになります。他の書籍も見てみましょう。

JazzologyAndy Jaffe “Jazz Harmony”

やっぱりトニック扱いです。そう、実はジャズ理論では、IIImはトニックとみなすのが一般的なのです。ジャズ理論の章でもそう紹介しましたよね。大体どの書籍をとっても、そのように記されているのではないかなと思います。

これは一体何故なのでしょうか? 古典派と異なった見解が生まれたことには、必ず理由があります。その理由を考えることにしましょう。

生の意見を聞いてみる

IIImの機能を質問しているこちらのQuoraの記事では、Ethan Heinさんというニューヨーク大学の教授が、興味深い返答をしています。要約すると以下。

  • ジャズ・ポピュラーの世界ではIIIm7はあまりその存在権が確保されていない。IM9の根音省略体と考えた方がベターである
  • 典型的な用例として4-3-2-1の進行があり、この進行はS-T-S-Tの推敲品である
  • なぜVの機能を果たせないか? トニックへの解決感をもたらすのに重要なのは、V7内のトライトーンであり、下属音の存在が必須である。IIIm7はそれを有していないため、“安らか”なコードとして感じられる。

「ジャズ・ポピュラー」を名乗っていますが、この人が述べているのは純粋な「ジャズ」の理論です。特に、「トライトーンがなければドミナント足り得ない」という考えは、トライトーン代理の文化を持つジャズ特有のものといえますね。

ジャズにおいてトライトーンがもつ重要性というのは相当大きいですから、それを有さないIIImでは、ドミナントとしてはちょっと力不足ということ。これは、ジャズ理論の哲学を紐解くヒントとなりそうですね。

セブンス基準の理論ゆえ

確かに「濁っていて当たり前」のジャズ世界では、導音ひとりだけではドミナントと呼ぶのに力不足と言えるかもしれませんよ。だって、トニックのI7ですら導音を有しているのだから。
ジャズ理論を展開していくなかでは、「トニック」に対して求められる安定度は低くて、逆に「ドミナント」に対して求められる不安定度は非常に高いというわけです。つまりは、哲学の違いやサウンドの違いが、理論に反映されているのだと考えられます。

二本柱

こんな風に、三和音が基本か四和音が基本かという差異も、TDS解釈に大きな影響を与えていることには間違いありません。

トライトーンの神格性ゆえ

実際にジャズの書籍を読むと分かりますが、ジャズ理論におけるドミナントセブンス、トライトーンというのは、かなり神格的存在というか、特別です。モダン・ジャズの発展の根本にある原動力。

Ⅵ章で学んできたことですが、オルタード・ドミナントを発動させるのも、トライトーン代理を発動させるのも、全部ドミナントセブンスコード上でしたよね。
ジャズにおける「ドミナント」とはドミナントセブンスのことであり、そうでなければドミナントとは呼べない。極端に言ってしまえば、そんな感じなのです。

ようは、「ドミナント」という言葉の定義、捉え方自体がジャズと古典派では違っているのです。そのような「定義のブレ」が起こるのも、TDSの歴史を知った今となっては頷けますよね。

ジャズのV7崇拝に関して、Stuart Smith氏のジャズ理論文書には、こんなコード進行マップが掲載されています。

進行図
Stuart Smith “Jazz Theory”

この進行図自体の正当性はさておき、ジャズにおけるドミナントに対する崇拝というか、V7の唯一神っぽさというか、そういったジャズの“世界観”がすごく伝わってくる図ですね。途中は色々あるけど、とにかく行き着く先はV7なんだという。

だから、他ジャンルであれば、メジャー世界のI・IV・Vと、マイナー世界のvi・ii・iiiが、明暗で対になっているようなイメージだと思うんですけど、ジャズだけは違う。とにかくまずはii-V-Iなのです。この時点でまずメジャーとマイナーが交じっているわけだから、スタート地点からして異なってるわけですよね。ii-V-Iが絶対王者として存在していて、IV・VIm・IIImをどこの部署に配置しようかなとストーリーが進んでいく。

絶対王政

そのような思考ルートで考えると、Iへとにかく進みづらいIIImが、Vの部署に配属されないのは当然の結果ですよね。

実際ジャズ系統の理論書では、ドミナントの定義として「下属音と導音を有するコード」と述べられていることもよくあります。Iへの解決をもたらすトライトーンありき、ドミナントセブンスありきなのです。

「代理」の文化ゆえ

Ⅶ章を読破した方なら分かると思いますが、クラシック系理論は「コードの代理」という考えを基本的に用いません。IImとIVで扱いが違うくらいですからね。だからIIImとVを同じ機能としても問題は生じません。一方ジャズ理論では、「代理」は理論の根幹のひとつ。Iに進みづらく、そしてIの代理として使うことの多いIIImをトニックにするのは、ある意味当然の処置なのです。

先ほどの「4-3-2-1」という進行も、IIImがVの代わりと考えると、おかしな進行になってしまいます。他にもジャズには、ド定番の「1-6-2-5」の進行がありますけども・・・

IVImIImV

この「1625」のリハーモナイズの基本パターンとして、「3-6-2-5」の進行がありますよね。

IIImVImIImV

こういう代理のパターンを説明するにあたって、IIImをトニックとした方が高い一貫性を保てるわけです。ジャズ理論の魅力は、基本システムがシンプルかつ数学的であることです。IIImについて、「機能はドミナントだが、例外的にIへは進みにくい」などというのは格好悪いし、そうまでしてドミナントに分類するメリットが全くないのです。

調性の不安定さゆえ

それからジャズは、転調の頻繁なジャンルです。調がよく分からない状態で、何がいちばんの指標になるかというと、それはやっぱりドミナントセブンスコードなのです。今更ながら、ドミナントセブンスコードは各調に固有であり、他調のダイアトニックコードと共有されないという重大な特徴があります。

すなわち、CキーのドミナントセブンスはG7ですが、その構成音はソ・シ・レ・ファですから、これが他のキーでダイアトニックコードになることはありませんよね。シとファに真っ先に記号が付くんですから。

G7はCキーにユニーク

つまり、ドミナントセブンスコードはその瞬間の調性を確定させる機能において圧倒的に強いのです

Em7の構成音はミ・ソ・シ・レで、Cキー、Gキー、Dキーという実に3つのキーでダイアトニックコードとして使われています。もちろんスケールの乗り方でおよそ調性は生まれますが、やはり鳴った瞬間の「キー確定力」は、G7とは比較にならないほど弱いわけです。だから、調性が揺れるジャズにおいて、G7が持っている意味というのがどうしても格別に強いのです。

言ってしまえば、ジャズにとってはドミナントセブンスが全て。その前に置かれたものが「プレドミナント」であり、その後に置かれたものが「トニック」である。そういう風に理解した方が、ジャズ理論の全体像は見えやすいのです。

ヴォイシング・テンションゆえ

また、ヴォイシングやテンションの使い方の差も、見解の相違に拍車をかけています。
ジャズのヴォイシングにおいて、真っ先に省略の対象となるのは「5th」の音です。IIImのドミナントらしさの唯一の拠り所とも言えるのが5thの導音ですから、導音が積極的に省略されて3rdや7thが鳴っているとなれば、いよいよトニックらしく感じられるのではないかと思います。実際に上の音源でも、導音を鳴らしておらず、そのため「ドミナント感」は若干弱まっています。

導音の省略

また、9thコードにする際、IIImは基調和音の中で唯一臨時記号を伴いますね。Em9だったら、ファのシャープ。これがまた、IIImのVImに対する推進力を弱め、同時にIの和音との類似性を想起させることが考えられます。

G7から見れば、ファ#の音はメジャーセブンスを構成してしまう音であり、絶対にアヴォイド。使われることはまあありません。対してCΔ7からすれば、ファ#はおなじみ、#11のテンションであり、リディアンスケールを弾く時にポンポン登場します。

またジャズではこうやってウォーキングベースが使われるので、Iの方の安定感が減少しているということも、IとIIImの親密性を強くしている。

Iとの類似性

こうやって9thまで積んでみると、いよいよIIImが「安らか」なコードであると言われることに、ちょっと実感が持ててきました。確かにIIImは影があって、不安さもある。でもそれってやっぱり「トライトーンの不安さ」とは違いますよね。

トライトーンの不気味さ。「ああ次はトニックに着地だな」と感じさせるドミナントセブンスの特別な不協和。それを唯一神と崇めるジャズにとって、ドミナントと呼べるのはV7だけ。だんだん、彼らの考えることが分かってきましたね。

だから、テンションをカジュアルに使うジャズと、そうでない古典派。ベースがよく動くジャズと、そうでない古典派。そういった音楽性の違いも影響しているわけです。こうやってテンションやヴォイシングまで絡めて考えてみると、なかなか奥深いものがありますよね。意見をまとめるとこうです。

  • IIImはその和音のアイデンティティがジャズにおいては確保されていない。
  • 四和音が基本のジャズにおいて、少なくともトライトーンが「ドミナント」には必要である
  • 「ジャズ理論が想定するドミナント」に必要なものを、IIImは実践上で欠いている。
  • テンションやヴォイシングが、それにさらなる影響を及ぼしている。
  • IΔ9の根音省略体とみなすべきである。

#5.ポピュラー理論の見解

まあ、「ポピュラー理論」なんて流派はあってないようなものですけど・・・一応確認します。まずはポピュラー理論の総本山といえる、バークリー系の理論から。

バークリー系の見解

バークリー系の書籍を開いてみると、そこにはIIImはトニックであるとあります。まあ、バークリーは結局のところジャズ理論ですからね。

The Berklee Book of Jazz Harmony
Joe Mulholland, Tom Hojnacki
Berklee Pr Pubns

バークリーJoe Mulholland, Tom Hojnacki “The Berklee Book of Jazz Harmony”, p7

同じトニックであっても、IIImの方が「主音を欠き、第VII音を持つため不安定である」という説明が丁寧で、好感が持てますね。これは「The Chord Scale Theory Jazz Harmony」などの他のバークリー系テキストでも同じです。

一般音楽理論の意見

では明確な流派を持たず、なんとなく「ポピュラー向け」で足並みを揃えている世間一般の簡易音楽理論はどうなんでしょうか?
もちろん、どの流派の影響を強く受けているかによって、説明の仕方は変わるでしょうね。きちんとした書籍になっているものから、いくつかピックアップしてみましょう。

トニック派
1「コード理論大全」より引用, 著:清水 響
1「新・ギタリストのための全知識」より引用, 著:成瀬 正樹
2「スグに使えるコード進行レシピ」より引用, 著:斉藤 修

どちらもIIImは完全にトニック扱いですね。日本のポピュラー理論はバークリーの影響がどうも強いようで、バークリー流の子孫たちは必然的にトニック分類となるのです。

T/D 二刀流派
2「ちゃんとした音楽理論書を読む前に読んでおく本」より引用, 著:侘美 秀俊

こちらは著者の方が武蔵野音楽大学出身で、完全にクラシック系の人です。

本の内容も3種の古典派カデンツがダイアトニックコードの基本パターンとして紹介されているなど、コテコテの古典派理論を展開しています。そのため、IIImはどちらの機能にもなりうるという解釈。ただ、「Tの代理になることが多い」と添えてありますね。
そんなわけで、一般音楽理論はやっぱりみんなバラバラで、著者の出身によって古典派かバークリー派に分かれるといったところですね。

#6.IIImの進行先

ところで、IIImの進行先については、こちらに興味深い記事があります。

ビルボードのトップ100にランクインした曲を中心に1300曲のポピュラー音楽のコードを分析した、という記事です。記事の最下に「Chords most likely to come after E minor」つまり「Emの次によく来るコード」というグラフがあり、そこを見るとFが59%で、Amの34%を大きく引き離しています。

AmよりFの方が多い!

もちろん日本では、4536の進行が強いですから、結果はもっと肉薄すると思いますけど・・・。ともあれ「和声」では「本来は経過偶成として生じた」はずの、トニックとしてのIIImが、これほど市民権を得ているということです。
この現象の背景には、エレキギターとパワーコードの普及も影響しているでしょう。ようするに、古典派時代はI/IIIを使っていたような場面でも、ロックプレイヤーたちは「そんな複雑なコード要らねえ」と言わんばかりにIIImで代用しはじめたわけです。その結果、二者の境目がドンドン曖昧になっていったのです。

またパワーコードもやはり、完全五度・完全八度の強烈な協和ゆえ、まるで単音であるかのように聴こえますから、導音の存在感が希薄になります。それがまた、トニックとしてのIIImに拍車をかけたのでしょう。

ちなみに上の記事はpart2,3と続きがあって、その1300曲の統計では完全終止よりもプラガル終止の頻度が勝っているといった、面白い分析結果が色々と書かれています。

論理の一貫性から

そして、こうもIIImIVへ進んでいるとなると、やっぱりIIImはトニックにした方が、収まりがよい。だってたいていの理論書は「DTに行きたがる」とか、「Tにしか行けない」とか自信満々に説明しますから、IIImDとみなしてしまうと、ココに多大な矛盾が生じてしまうんですね。それを避けるためにIIImをトニックにしているという側面も、少なからずあるでしょう。
また、基調和音の進行の中でも最も禁忌的である進行が、IIImIでしたよね。先ほどの統計でも、この進行は全体の1%、極めて少ない。ていうかこの進行でナイスな音楽を成立させることの難しさは、もう皆さん経験で分かっていると思います。
ですから、ダイアトニックコードの使い方を学ぶ段階でIIImをIの代理和音として定義しておけば、「代理和音からメインの和音に戻るのは収まりが良くない」という説明で、シンプルにiii-Iを禁則とすることが出来ます。

この初歩段階での説明のスッキリさというのは、学ぶ側にとってはすごく重要なもの。教育・学習という観点から見れば、こういった部分の配慮というのも、決して無碍には出来ないものです。

#7.ドミナント派の見解

しかしながら、メジャーな理論の中でひとつだけ、IIImを「ドミナントのみ」と分類している派閥があります。それは、このⅧ章に至るまでのどこかで紹介しているのですが、お分かりでしょうか?

・・・そう、中心軸システムですね。

Axis System

五度圏、もしくは単に半音ずつ並びの円を描いた時に、T・D・Sの機能がそれぞれ十字型に配置され、綺麗に時計回りでTDSTDSの並びになるという理論でした。この解釈でいくと、IIImDで固定。IIImをトニックとみなすのは、中心軸システムから言うと「間違っている」。

ただ正直、この状況だと旗色が悪い感じは否めませんね。それは、中心軸システムがTDS機能の詳細を語るにはとてつもなく大雑把だからです。

中心軸システムの弱さ

Axis Systemは、そもそもリンドヴァイ・エルネがバルトークの楽曲分析のため「だけ」に考案した理論の枠組みでした。そこにはこれまで述べてきたような「経過偶成」や「根音省略体」の存在、ヴォイシングによる差異といった繊細でリアルな部分は一切含まれていません
確かにAxis Systemは五度圏を元にすごく数学的に組み上げられているので、「この図を見ればIIImがドミナントであることは明らかだ!」と一見言えそうなんですけど、これはあくまでも抽象的に都合よくモデル化された世界の中での話なのです。

実際問題、中心軸システムに全てを委ねて理論を構築すると、IIImIという進行が「進みやすい」と言う他なくなり、逆に古典派で死ぬほど使われているVVIは「逆行感があって推奨されない」と説明することになって、現実と激しく乖離する結果に陥ります

だから、中心軸システムをもってIIImをドミナントと断言するのには、音響世界全体の論理の大きさからすると、ずいぶん心許ないのです。
もちろん、チャイコフスキーも述べていたように、この五度圏が、IIImをドミナントとみなす理由の「ひとつ」にはなりますけどね。

#8.自由派の見解

蛇足かもしれませんが、自由派音楽理論がなぜIIImを「基本ドミナント、たまにトニック」という立場をとっているのか、それについても述べさせて頂きます。

自由派がメインターゲットとしているのはポップス、ロック、電子音楽であり、これらの分野においては、IIImの「暗くて不安定」という個性は表現上とても重要。これを「代理の成立度」「トライトーンの神格性」といった「ジャズ理論的都合」から「Iの親戚に過ぎず、存在意義が薄い」などとする考えは到底認められないわけです。

特にダンスミュージックなどの電子音楽において、「トニック」に対して求められる安定度がジャズよりも圧倒的に高いことなどを考慮せねばなりません。


こういうワンコードのドロップに使うコードとして、VImIはありえてもIIImという選択肢は絶対に無い。そういう意味では、EDMは古典派クラシックと同じ。どっしり立つトニックとしては、IIImは明らかに力不足です。

もしこれが7th、9thと積んでいくものならそれぞれの差異も小さくなっていきますが、このようなシンプルな音楽においては、IIImとVImの間には、果てしないほどの安定感の差があります。IIImが“安らか”なコードだなんてとんでもない。それが言えるのは、ジャズの世界だけなのです。

理論の一貫性について

また自由派には禁則が一切ありませんし、TDSによる「代理」に頼らず30種類すべての動きを把握することを「接続系理論」で推奨しています。そしてその中でIIImIVは「逆行感がない」と個別に説明しているので、IIImはドミナントで何ら矛盾を生じません。しかもその際には、「IVに進むときのIIImはとてもトニックらしく感じられる」という、古典派の本格的な意見をしれっと盛り込んでいます。自由派は多くの流派を知っているから、その辺ぬかりないのです。

また借用和音についても、やっぱりTDS頼みではなくパターンでの暗記を推奨していますから、IIImがドミナントでも何ら整合性を欠きません。

仮に誰かが「Vを同機能のIIImで代理したら曲が破綻したぞ!」なんてクレーム言ったとしても、自由派は一度足りとも「同機能なら必ず代理可能」なんて言っていないわけなのでね。むしろ自由派は「同機能で代理する」というアイデアを「曲想を無視した大雑把な考え方」としてやや否定的に捉えているわけですから。

歴史を束ねる音楽理論

そして自由派は「序論」の時からずっと、音楽理論はひとつではなくって、絶対の正義は存在しないということを伝えています。機能をどちらかに決めてしまうことで、学習者が他流派と無駄な争いを起こすようなことは絶対に避けたい。色々な見方がありますよという相対的な価値観を常に持ってもらう意味でも、IIImは「二重人格」と教える以外ありえないのです。


#9.結論

さて、検証はこれで終わりです。全てをまとめなおすとこうです。

流派 見解 備考
古典派(19世紀末) D 純粋な「同機能」とは認めていない
古典派(近年) D or T 慣習重視で2つの解釈を許可
ジャズ理論 T 代理など実践上の整合性重視
中心軸システム D 五度圏の法則性を信じて決定

てんでバラバラですが、前回述べた歴史的経緯と、今回述べた解釈の理由を考えれば、いずれも納得できますね。いずれも正しいし、どれかひとつだけが正解ではない

「代理」や「ドミナントセブンスの絶対性」を中心にした体系ならTとするのが運用しやすいし、古典派思想や五度圏を重視して最終的に中心軸システムに繋がる体系にしたいならDがよい。実践上のバランスを取るならD or Tという立場もありだ。

音楽理論は本当に経済学と似たようなもので、どのように音楽をモデル化するかによって、運用しやすい理論形態も変わってしまうのです。

TDSに振り回されないこと

そして絶対に忘れてはいけないのは、どちらに分類されようともIIImの音が変わるわけではないということ。ドミナントだと認定された瞬間、サブドミナントに進みにくくなるのか? トニックだと認定された瞬間、終止に使いやすくなるのか? そんなバカな話はない。IIImの音は、生まれた時からずっとおんなじIIImの音です。
IIImはとても不思議な魅力を持ったコードですよね。それをやれトニックだドミナントだ、人間が作った枠にハメこもうとするのは、音楽への冒涜でさえあると思います。

すでに何度も述べているとおり、TDSなどというのは、調性内でコードを分類するためのフレームワークにすぎない。その歴史が想像以上に浅く、また曖昧なものであるということも前回確認しましたね。本質的には、どれひとつとして同じコードなどないのだから、ひとつひとつの個性と向き合ってあげるのが、一番いいに決まっています

#10.IIImを愛でよう

せっかくですから最後は、この何とも言えないIIIm、その「何とも言えなさ」を活かしている曲を聴いて終わりにしましょう。やっぱり実際の曲を聴けば、それぞれのコードに魅力があるのであって、IIImはIIIm以外の何者でも無いのだということが実感できます。

Lady Antebellum – Need You Now

やっぱりこれを挙げないわけにはいかないでしょう。「接続系理論」でも紹介した音源ですね。IIIImIIIImという、メチャクチャ特徴的なコード進行がサビに用いられている、史上稀な曲。
ドミナントほどの盛り上がりもなければ、トニックほどの落ち着きもない。これこそまさに、「どちらでもないIIIm」の魅力を引き出した曲と言えそうです。

Coldplay – A Rush Of Blood To The Head

Verseのコード進行がVImIM7IIImVIm9という、とても重苦しいものになっています。

この時のIIImは、典型的なナチュラルマイナー調におけるドミナントの働きをしていますが、2周目から入る逆再生のギターのような音が、♭13の音を奏でています。平たく言えば、「ド」の音です。よく聴くとアコギも♭13の音を内声に混ぜ込んでいますね。

♭13は5thの音と半音差で激しくぶつかりますから、ジャズ理論では基本的にアヴォイドです。だからコレを理論的に「解釈」するならば、IIIm7♭13ではなくI/IIIと分析する他ありません。しかしこの部分が本質的に持っている響きは、明らかに「ナチュラルマイナー世界のドミナント」としての重苦しいIIImなのです。それをIM7/IIIと記述してトニックとみなすことは、果たして正しいことなのだろうか?

聡明な方は、「♭13がアヴォイドだからコードネームの方を変えて解釈を成立させる」という行為が、理論と現実の逆転したおかしな話だと気づくと思います。理論に振り回されてしまっています。

どんなラベルが振られようとも、鳴っている音は変わらない。どちらかに決める必要はなくって、むしろ、IIImとIの狭間にあるサウンドだからこそ面白いと捉えるべきなのです。編曲者だって、どっちともつかない感じにしたいからココに♭13を差し込んだはずなんですから。

シンプルなように見えて、実は音楽の深淵とでも呼ぶべき玄妙さがこの曲にはありますね。

Salyu – Name

Aメロは1-2-4-5というカラッとしたコード進行なのですが、BメロからとにかくもうIIImIII7が多い。Bメロは一度もIに解決せずにコードが頻繁に動くのですが、その際の媒介として、IIIの和音が大活躍しています。
サビでもIIIの和音はたくさん登場するのですが、特徴的なのは「(好きになってしまったの)あなたを」のところはモロにI/IIIになっている点です。全体を通して鬱々としているがゆえ、ここの息を飲むような開放感は、神聖さすら感じます。

IIImIII7I/IIIそれぞれが持っている微妙な情感の違いを完璧にはめ込んでいるところが、さすが小林武史というところです。

スピッツ – 若葉


スピッツの「若葉」は、IIImの魅力が詰まった一曲です。どのパートを見てもIIImがいるのです!

パート コード
Aメロ IVImIIImVImIVV
Bメロ VImIIImIVIII
サビ IIIImIVVI
間奏 IV1VImIIIm

Aメロのは、VImへ強く繋がるドミナントとしての側面が強いですが、メロディがミを叩いているので、「ドミナントの代理」というのともやっぱりちょっと違います。ナチュラルマイナー世界の、最もピュアなIIImですね。

Bメロも、この薄暗さはVでは表現できない世界。IIImの良さが活きています。サビにしたって、このIIIImの切なさっていうのは本当に代わりが利かない。IVじゃダメなんです。

どのIIImをとっても、それはIやVの「代理」じゃなくって、「IIIm」という代わりの利かないひとつのコードです。やれファンクション、やれリハーモナイズと頭の中の話ばかりに躍起になって、我々はピュアなIIImそのものの美しさを本当に噛み締めているだろうか? その辺りを、自称「理論派」の人間たちは反省すべきなのです。


そんなわけで、IIImにはIIImにしか出せない魅力がある。当たり前のことです。 古典派では原則不使用であり、ジャズ派にも「存在が認められていない」などと言われてしまうIIIm。だからこそ、現代のポピュラー音楽を象徴するコードでもあります。

TDSという小さな枠にこだわるのではなく、IIImという存在そのもの、そのアイデンティティを活かすことにこだわるのが、音楽理論学習者にとって最良の向き合い方でしょう。